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何をしたかではなく、何を学んだか。2018年から2019年へ移行する前の備忘録。

2018年も間も無く終わりますね。

2018年から2019年なることは大きな出来事のようですが、冷静に考えてみると、12月31日から1月1日へと、ただ一日が経過するだけなんですよね。

でもそんな何気ないことに意味を持たせて、思考、行動することが大事なんだと思っています。

そして、僕はこのただこの何気ない瞬間に意味を持たせようと思い、2018年を振り返ってみることにします。


<2018年振り返りシート>

僕は以下のシートを作成して、2018年を振り返ってみることにしました。

「参考」

40人のビジネスパーソンが絶賛した「1年の振り返り」完全マニュアル

振り返ってみると、2018年が会社としても、個人としても最も濃厚な一年になったことがよくわかりました。日々を過ごしている中では気づかなかったので、改めて


<1月〜3月>

マネジメントの本質

2018年はこの時期が一番苦労しました。会社として抱えているものをこなす力量が自分には備わっていなかったため、多方面でうまくいってない時期でした。幸い落ち込んだりしない性格かつ負けん気が強いので、精神的にまいってしまうということは一切なかったのですが、常にもどかしさは抱えていました。

チームマネジメントに力をいれても、何が正解かはわからず、正しいルートを敷くことができなかった。(何が正しいルートかは一概には言えませんが。)

そんな状況下で、ヘルニアが原因で人生初の手術を体験したり、同時期にWayaの別館と呼んでいる、3号店のWaya Annexが完成したり、迷いながらも走り続けなければいけないという状態でした。この経験は今後の人生に大きく役に立つのだろうと今でこそ思えますが、その渦中ではそんなことを考える余裕もなく、ただただ日々を乗り越えるという感じでした。

会社外のプロジェクトも同時に動いていて、ゲストハウスサミット2018を3月に開催したことは、今にも繋がっている大規模な企画の一つとなりました。
*今年度もゲストハウスサミット2019-ゲストハウスの可能性-が2019年2月15日、16日、17日で開催されます。

振り返ると、2018年で一番もがき、多くを学んだ時期だった気がします。


<4月〜6月>

創造と育み

4月に入り、Guest House wayaGuest House yuyuの二つのマネージャーから、wayaのマネージャーのみへと移りました。これが心の負担をかなり和らげました。yuyuマネージャーを担ってくれた共同代表の木村と、その全体への設計を見直してくれた代表の河嶋には感謝です。

この時期には、yuyuで世界初の事例となる、ゲストハウス内で行う小学生のためのアフタースクール「アドベンチャークラブ札幌」が始動しました。アドベンチャークラブ札幌代表の日向はこのプロジェクトを2017年から実現しようと動き、時には挫けそうになりながらも、実現しました。その姿に胸が打たれる瞬間が多々ありました。この取り組みによって子ども達の世界が広がっていけば素敵ですよね。

この時期、私生活の大きな変化としては、結婚したことでしょう。まさか自分が20代で結婚するとは思っていませんでした。ただ、そんな自分がこの人とならと思える相手と出会えたことは、本当に幸福なことです。今妻は社会を考えるお菓子屋さんissue sweets lab を経営しております。乳製品/卵/小麦/白い砂糖不使用のおいしいお菓子がたくさんあるので、よかったら一度お店を訪問してみてください。

5月には手術後の無理がたたって、ヘルニアの再発。再度手術をすることになりました。人生で手術経験のなかったのに、まさか一年で二回も手術をするとは思いもよりませんでした。この頃から、食や運動などの健康に関わることに対する意識がガラッと変わりました。

手術後間も無く、また新しいプロジェクトが動き始めました。今年の10月末に開催した「北海道移住ドラフト会議2018」を株式会社大人五十嵐さん、株式会社DKdo黒井さんと共に企て始めた時期です。このプロジェクトによって多くの出会いや気づきが得られたのですが、ここではひとまず割愛します。

そしてそれとほぼ同時期に、共同代表の木村から「これwayaに適しているんじゃないかな?」というメッセージと共にリンクが送られてきました。

飲食業界の常識を覆す。『居酒屋ガツン』が提示する“コミュニティ作り”ニューウェーブ

この記事を見た瞬間に、身体中に電流が走る感覚を得ました。wayaの未来はここにある。そう思えたのです。

この記事を見てすぐに、今までBarとして営業していたwayaのシステムを変更するために動き始めました。そして、6月よりBar営業から、持ち込み式のリビングへとシステムを移行しました。詳細は以下の記事から。

WLR(World Living Room)〜「持ち込み式」という飲食店からの逸脱〜

wayaが将来もずっと存続し、価値を生み出し続ける持続可能性に目を向けた時に、このシステムが一番適している。システムを変更してから、半年経った今でもそう思えています。

*現在のシステムは記事と多少異なります。来月以降WLRからShared Loungeとして新たにシステム変更があります。wayaHPリニューアルと共に情報公開しますので、少々お待ちください。

そして、何と言っても合同会社Staylink社員である中村が6月に入り結婚したことは、僕の中では大きな出来事です。自分の経営している会社の社員が結婚すると、社員の家族のことにまで意識が向くようになって、これは個人的に興味深い気づきでした。中村と中村の妻の人生もこの会社は背負っているのだなと。ただ、「お前の人生は俺に任せろ」と言えるほど、強靭な体力と、聡明な知識を持っている会社、個人だとまだ僕は思えていないので、「一緒に走ろう」ということしかできません。その分一緒に走ってくれる仲間に対して、困っている時には手を差し伸べるという意識は高く持てています。そんなビジネスパートナーである前に、大切な友人、家族のような(意識としての)関係性は持っていたいな。そんなことを再認識できる機会となりました。中村が幸せな家庭を、人生を今後も築けるように。


<7月〜9月>

破壊と本質

7月はWLRや新オペレーションの構築など、今まで築いてきたものに変化を多くもたらしてきた時期です。それと同時に宿の繁忙期を迎えていたので、バタバタとしていました。6月に宿の許可なし営業が正式に禁止となり、宿泊者が例年より多少増加したこともあったので、ここにきて正式に許可を取って宿運営をすることにこだわっていたことが報われたなーなんて思ったりもしました。

個人としては、地元稚内で開催されたTEPPEN MUSIC PARTYのお手伝いとして関われたことが思い出の一つとして色濃く残っています。地元に対してのアクションは毎年何かしらで行なっていきたいですね。

8月に入ると、代表河嶋が結婚しました。河嶋とは高校一年生の時に出会っているので、かれこれ12年の付き合いとなります。そんな河嶋の結婚を聞いた時には、幸福感で満たされました。改めて結婚おめでとう。

そんな河嶋が主軸の一人として関わっている、新世界への修学旅行という不登校むけの居場所作りプロジェクトが動き始めたのもこの時期。このプロジェクトはたつみかずきさんや、鈴木 健太郎さんなどの尽力の元生まれ、来年以降動きがより活発になっていきます。


そして9月。

今後も忘れはしないであろう、北海道胆振東部地震(ほっかいどういぶりとうぶじしん)が起きました。

この時に芽生えた感情はここでは書ききれません。もし興味を持ってくれる人がいれば、以下の記事から読んでみてください。

震災から48時間までの僕らの記録。

この出来事によって、「本質とは何か?」との問いが頭の中に常によぎるようになりました。柴田涼平にとって本質とは?Staylinkにとっての本質とは?

今後もこの問いと向き合い続けながら、僕は僕の人生を進んでいきます。


<10月〜12月>

WhyとHow

10月に入りwaya,yuyu合同の周年パーティーを終えた後、僕らは1月オープン予定の小樽と円山での準備を始めました。このプロジェクトは、主に河嶋と木村が担ってくれています。

その最中、僕は北海道移住ドラフト会議の開催、ゲストハウスサミット2019の準備、ゲストハウス間の連携で泊まり放題の実現が生み出された「Hostel Life」の準備、そしてゲストハウス基金の始動に躍起になっていました。

ゲストハウス基金は北海道の震災前から考えていたもので、今回の北海道地震が起きた後にすぐに動き始めたものです。

ゲストハウス基金の詳細な内容や記事は以下からご覧ください。

北海道地震で被災した経営者が「ゲストハウス基金」を通じて本当に伝えたいこと(LOCAL LETTER)

ゲストハウス基金開設 ネットで資金調達 災害時無料開放の負担軽減 /北海道(毎日新聞)

被災しても旅の思い出を 外国人にゲストハウス開放 札幌のオーナー(東京新聞)


11月に入ると震災後の対応に関する取材が多く入るようになりました。ありがたいことに、NHK WORLDでも取り上げていただき、海外の方から感謝の連絡や寄付をしたいという連絡もいただくようになりました。ありがたい限りです。

そしてこの時期一年間かけて作り上げた「Guest House wayaができるまで」がついに出版されました。人生で出版などしたことはもちろんありませんが、自分たちの物語を一つの本にまとめることができたのは本当に良かったです。RPB(ロールプレイングブック)というスタイルで書いた本。僕らの創業物語に「あなた」が四人目のメンバーとして加わり、話を進めていくような本。この本によって、挑戦の模擬体験ができて、これから挑戦する人が0.5歩でも進めればいいなという思い出書いた本。クラウドファンディングを通して行ったプロジェクトかつ自社出版なので、書店での流通はしていません。ただ、必要としてくれた人の手に渡る。そんなことを望んでいます。

10月〜12月は内部と外部のプロジェクトを同時に進めている中で、色々とできることが増えてきたなという実感を持つことができたのと同時に、WhyとHowについても思考を繰り返すことが多かったです。

How(どうやってという意味合いで「手段」の意)は増えたけれど、Howを増やすことだけを考えすぎて、Why(なぜという意味合いで「目的」の意)は見失ってないか?

できることが増えてきている今だからこそ、Whyの部分と向き合わないといけません。

先日河嶋と、Whyが共感を生み、Howが行動に説得力を持たせるという話をしたのが記憶に新しいです。

自分なりのWhyとHowの公式をしっかりと持ち、Staylinkの柴田としても、個の柴田としても、ブレずに進んでいきたいです。

*この記事を書きながら、会社の自分と、個の自分との差がないことに気づき、それって冷静に考えると幸せな状態だなと思いました。


長くなりましたが、これでもかなり割愛したと思います。一つ一つを丁寧に話すと、一日以上かかってしまいそうなくらいです。そのことがどれだけ色濃い一年を過ごすことができたかを証明していますね。


さて、2019年も間も無くですね。

皆さんはどのような2018年を過ごしましたか?
2019年はどんな年にしたいですか?

2018年から2019年の移行を意義あるものにするか、ただの時間の経過にするかはその人次第。どうせなら少しでも意義あるものにできたら嬉しいですよね。


最後によくあるやつですが、僕の2018年を漢字一文字で表すと「芽」だった気がします。ちなみに2019年は「養」をテーマに過ごしてみようと思っています。


最後までこの文章にお付き合いいただいた皆さん、2019年も柴田涼平を、合同会社Staylinkとどうぞお付き合いいただけたらと思います。

皆さんが良い年末を過ごせること、2019年が素敵な一年になることを願って、この文章を終えようと思います。


より良い発信をすべく、知識を蓄えるために活用させていただきます。