合同会社Staylink
震災から48時間までの僕らの記録。
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震災から48時間までの僕らの記録。

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9月6日  AM 3:08

北海道で今まで感じたことのないほどの揺れを体感した。

その時ちょうどスタッフのお別れの場を開いていて、すすきののビル5階にいた。

大きな揺れに戸惑うも、会は続いていた。

数十分後、電気が消えた。

その場にいた子たちの顔から血の気がスーッと引いていくのを感じた。


恐怖。


北海道は安全な場所だと思っていた。だけど、今回ばかりはそうではなかった。

建物から出ると、今まで見たことのない、真っ暗闇のすすきのが目の前にはあった。

町中から電気が消えた。


大きな揺れの後、すぐには地震は起きなかった。

幸い妻は東京にいた。それが僕の中で大きな救いだった。

スタッフの子たちを送りながら、僕が友人と経営している3つのゲストハウスを確認しに行った。

宿に入ると、非常用の電気が不気味に光っていた。部屋中いたるところを見回ったが、負傷者はいなかった。

リビングには数名のゲストが怯えた面持ちで寄り添いあっていた。

「大丈夫ですから。不安であればこのリビングにいてもらっていいですからね。」

こんな言葉しかかけることができなかった。それは僕自身も不安だったから。この後何が起きるかわからない。何をすべきかもわからなかった。


携帯は使えたので、Twitterを通して北海道のみんなに声をかける。いくつかもらった返信の内容は「無事ですが、停電中です!」というものが多かった。みんな無事ならそれでよかった。

そのまま家には帰らず、一号店の Guest House waya にいることにした。何かあった時にすぐに対応できるように。


寝ようとするも寝付けずに、朝を迎えた。不安の表情で宿泊者達がやってくる。

「・・・私たち帰れますか?」

答えられなかった。わからなかったから。

ひとまず、wayaの一階にあるWorld Living Roomと読んでいる空間になら、しばらくいていいので、少し休んでいてくださいと伝えた。


スタッフの子たちも起きてきた。

「大丈夫ですかね?」

心配そうに尋ねる。

大丈夫。まずは今できることをやろう。

ただそう伝えた。


僕らがまずできることは、水の確保だった。

断水になって、水不足になるのが恐れた。

風呂場の浴槽から、ゴミ箱、ペットボトルと大きさに構わず、水を貯めれるものには、全て水を溜めた。


その後、回復を願ってニュースを見ていても、復旧未定の文字で溢れる。

今北海道に来るのは賢明な判断には思えなかった。

Twitterを通して北海道旅行の中止を促した。


当たり前だが、停電の影響で充電することはできなかった。

次第に電波も弱くなってきた。札幌の中心地に行かなくては、携帯を使用できないほどになっていた。


そして、僕らはもう一つ差し迫って決断すべきことがあった。それは、その日チェックアウトの方々とどう向き合うかだ。

地震が起きたとはいえ、その日は満室だった。道外から来る予定なら、来ることができないからキャンセル処理をしてしまえばいいが、泊まりに来る予定の方々が、前日どこにいるかまでは把握していなかった。もしかすると札幌にいるかもしれない。そうなると、地震が起きたとはいえ、泊まりにくるだろう。

そうなると、インターネットを使えない状況になってしまったので、満室の宿のベッドを解放するわけにはいかなかった。

泊まってもらうためのベッドは用意できないが、目の前で行き場を失って困っている人たちを見捨てることはできない。

どうすればいい?

そんな時、僕らが学生だった頃に掲げた一つの言葉を思い出した。

「すべての人がただいまと言える居場所をつくる」

この言葉を思い出した時、僕らがすべきことはすぐに決まった。

「こういった状況なので、wayaのリビングルームを無料で解放します。雑魚寝にはなってしまいますが、避難場所としてこの場所を利用してください。」

目の前にいた方々から、少しだけ笑みが溢れた。

その表情を見た瞬間、この決断は間違いではないと確信した。

そして、共に会社を作った河嶋、木村、wayaマネージャーの中村、8月で退社したばかりの北川、学童保育担当の日向、スタッフの前田や津田、その他のスタッフの子たちと連携を取りながら、今目の前にいる人たちのためにできることをやると決めた。

そして、震災が起きたその日の PM 1:13 にはこの内容を投稿した。

少しでも多くの人にこの情報が届いて欲しい。ただそれだけだった。

その期待に応えるかのように、この投稿は予想以上に拡散された。


少し話は変わるが、この日wayaでは うどん打ち×ロックミュージック/手打ちライブパフォーマンス というイベントを開催予定だった。そして、主催者の 小野うどん さんがwayaに来た。

「大丈夫でしたか?」

うどんさんとお互いの安否を確認し、イベントをどうしようかという話になった。

普通なら、こんな状況下ではイベント開催などせず、自粛するべきなのかもしれない。しかし僕らは、このイベントを予定通り開催することにした。うどんさんのご好意で、このイベントを無料で開催することになった。

「こんな時だから、少しでも人が笑顔になるイベントを開催しましょう。」

僕らとうどんさんは合意した。うどんさんは、その夜のイベント開催のため準備を始めた。


しばらく経つとwayaでは電気が復旧し、充電ができるようになった。

同じタイミングで、電波も少しずつ回復していき、次第に鳴り止まないくらいの電話応対に追われた。

「ベッドはないので雑魚寝にはなりますが、リビングを無料解放しています。炊き出しも朝昼晩無料で行うので、遠慮せずに来てください。」

この言葉を何度言ったか今では覚えてもいない。ただ、目の前の人に手を差し伸べるのに必死だった。


気づけば日も暮れていた。もうこんな時間か。目まぐるしくて、どれくらいの時間が経っていたかなんて気づいてもいなかった。

そんな時、人の優しさを感じられる出来事があった。

「少しでも足しになればと、食料を持ってきたよ。」

そういってたくさんの方々が、wayaまで食料を届けてくれた。写真を取っていなかったことが悔やまれるが、本当にたくさんいただいたのだ。

Vegie というラーメン屋の店長川村さんからトマトスープを60人前ほどいただいたり、震災が起きた際に必ず炊き出しを行なっている方から、炊いてあるお米や味噌汁、カレーをいただいたりした。

また腐りずらい大量の野菜を届けてくれる方もいたりと、本当に人の優しさを肌で感じられる出来事だった。


PM 7:30 うどんさんによるイベントが始まった。

パフォーマンスは圧巻だった。ロックミュージックに合わせて、うどんを最初から最後まで作り上げる。僕らはそのパフォーマンスに魅了されていた。


うどんさんは、パフォーマンス後にうどんを無料で提供してくれた。



うどんの他にもいただいたトマトスープも無料で配給した。

その夜、被災初日にも関わらず、多くの方の笑顔を見ることができた。

僕は被災中だからこそ、そこにいる人たちに小さな幸せを見出して欲しかった。このまま被災した思い出だけを持って、帰路に着くのは悲しかったのだ。北海道が、札幌が、そしてwayaがまた帰りたい場所になるために、僕は忘れられない思い出を、そこにいる人たちに残したかった。

その日の夜、リビングには多くの人が寄り添いあい休んでいた。僕は家に帰ることなく、縦に5つ並べた椅子の上に横たわり、何が起きても対応できるようその場にいた。この日も眠ることはできなかった。


9月7日 AM 7:00

リビングで一夜を過ごした方々が続々と目を覚まし、携帯を開いてニュースを確認していた。

「運休見合わせ」

どのサイトを開いても、その言葉で溢れていた。

落胆する方々が多い中、伝えられる言葉は「大丈夫」だけだった。ただ、前日とは違い、その言葉は心から思えるものだった。根拠は何もなかった。その言葉を聞いて安堵の表情を浮かべてくれる方も多かった。

そこにいた世界中から来た方々に少しでも安心を届けたかった。

そして、少しずつ良いニュースが耳に入ってくるようになった。


午前中には地下鉄が動き出した。

そのニュースを喜びながら聞いていた。引き続きラジオに耳を傾ける。

その数時間後には空港が機能していること、そしてさらに数時間後には、空港までのアクセス(バスや電車)が回復したとのニュースが流れた。

そこにいた多くの人が安堵の表情を浮かべた。

「よかったですね。これで無事に帰れます。」

僕も笑顔でそのことを伝えられた。


「一緒に写真を撮ろう!!」

チェックアウト時に多くの方から言ってもらえた。

初めて会ったとは思えないほどの絆が生まれていた。

「また帰ってきます。」

その言葉が本当に嬉しかった。


PM 1:00

その日も無料でご飯を提供した。

こんな時だからこそみんなでご飯を囲むことは本当に大事だなと感じました。

ご飯の後は前日に同じく、鳴り止まない電話と、メールへの返信への対応を行いました。

それと同時に、polcaというものを駆使して、支援金を集うことにしました。

Guest House waya、Guest House yuyuの無料解放、朝昼夜の炊き出しの費用を募ったところ、本当にたくさんの支援金が集まりました。

「少しでも力になりたいと思っていたんだ。支援をさせてくれてありがとう。」

こんな言葉をいただくこともありました。本当に人は暖かいのだ。

支援してくれた方々、本当にありがとうございます。


PM 6:00。

この日は、そこにいた人たちも巻き込みながら一緒にご飯を作った。

「みんな手伝ってよ!」

そう声をかけると、そこにいた方々が「喜んで!」と言って、晩御飯作りを手伝ってくれた。被災中とは思えない、暖かい空気がそこには流れていた。


その間に、代表の河嶋は僕らの1日半の動きをFacebookでまとめ、共同代表の木村は無料で解放している場所のまとめを作り、マネージャーの中村は現場対応に全力を注ぐなど、それぞれが誰かの指示を待つのではなく、自分ができることに全力を注いでいた。


そして、多くのマスメディアも駆けつけてくれた。

テレビ・新聞対応、ラジオの生出演など、必要としている人に、必要なことが届くように尽力してくれた。

本当にありがたかった。

※出演は37:20〜


色々なことが同時に起こっていた。それでも一番大事なことは、今目の前にいる人のために何ができるかを考えることだった。

そして、この日の夜は 札幌国際短編映画祭 の方々が、特別に短編映画を1時間wayaにて放映してくれた。

作品のどれもが素晴らしく、そこにいた人たちは作品の虜になっていた。

1時間の贅沢な時間を短編映画の関連で過ごした後、僕らの友人である、うたうたいのまえだゆりなと、Shohei & the MU.S.I.C.のショウヘイがアコースティックライブを開催してくれた。

その場に居合わせたみんなが幸福感に満ちた表情を浮かべていた。僕はその表情見て、素敵な歌を聴いていた時、涙を堪えるのに必死だった。

その日のイベント終わり、みんなで撮ったこの写真は、僕の宝物になった。

被災中とか関係なく、ここ一年で撮れたwayaの写真の中で、一番の写真と言っても過言じゃない。そこにいるすべての人が本当に素敵な表情を浮かべていた。

困難の中でも幸せや希望は見いだせるんだ。


9月8日 AM 2:00

寝静まったwayaで一人、この48時間で起ったことを振り返っていた。

僕らは最善を尽くせたのだろうか?

どんな準備が足りていなかったのか?

また同じことが起きた時、僕たちは何ができるのか?

そんなことを考えまとめていたのだけど、二日間睡眠を取らずに動き回った体が、勝手に僕の脳に睡眠を促し、気づくとそのまま眠りに落ちていた。


これが僕らの震災後48時間の記録でした。

次回また起きた際に、どういう行動を起こすか、事前に何が必要かは、このブログの最中でリンクを貼った、河嶋の投稿で確認ができます。もしものために、一度目を通していただけたらと思います。



最後に、

僕は今回の震災で、Staylinkは最高のチームだと確信しました。

思いやりと自主性で溢れたメンバー。

この仲間と働けて本当に幸せです。

ありがとう。

このメンバーとだったから、今回の震災を乗り越えることができました。


「今目の前にいる人のために何ができるか?」

振り返ると僕らの行動指針はこれだけでした。

これからも、今目の前にいる人のために何ができるかを考え、行動し、社会に価値を生み出していきます。

これからもどうぞよろしくお願いします。


合同会社Staylink 

共同代表 柴田涼平(Rio)


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合同会社Staylinkは「場をつくり、世界をつなげる」をテーマに、北海道札幌市で2014年に会社を創業しました。 宿泊施設の運営やプロデュースを通して、人のつながりや、新たな人の流れを生み出しています。