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家族と迎える、新しい年。


柔らかくも、しっかり芯のある人間になりなさい。幼い頃、母は言葉遣いやしきたり、礼儀マナーに本当に厳しい人で「どんなときも、自分で自分を律する」、いつの日かこの言葉は私たち親子の約束だった。


昨年の初め、フリーランスである私は、なんとも言えない大きな行き詰まりを味わっていた。小さな理由がかさなって、劣等感とともに「このままじゃいけない」となにかにかられる恐怖感だった。小さくともたしかに何か変わる自分を感じたい、そんな気持ちもあったと思う。毎日のように本屋に行っては、焦るように今の自分の心を穏やかにしてくれる言葉を必死になって探していた。


でもそのときに母が、
『まわりがあなたを育ててくれるから、身をまかせなさい。大丈夫よ。人だったり、まわりの自然や社会があなたを育てくれるから。まぁ、だからこそ感謝をしないとだけどね。』と言った。

自分で自分を律する、凛としなさい、と強くこだわってきた母からの珍しい言葉だった。電話で言われた時、そこには緊張感がなく、心からホッとして、涙して、自分のなかで張り詰めていたものがスッと取れた瞬間だった。


まわりの自然や社会が育ててくれる。
この言葉をイメージすると、
自分のコントロールではない何かに委ねられた姿が
一人の人間としての小ささを感じるとともに、ピュアな気持ちにさせてくれた。


その時から、散歩中に見える風景から人生観までなんとなく見え方が変わった。それは、自分をあまやかすとか、まわりに頼るとかそういったことでなく、「まわりを感じて生きる」という意味として心に留まり響き続けている。


まわりとともにある自分。


これが最近の母親からの学びである。
あんまりにも個人的な話でちょっと恥ずかしいが、平凡ないち親子のやりとりが、少し前の自分のように想いを抱えて言葉を探している、
届くべき人に届き小さくともその想いにより添えたらと思い久しぶりにnoteとInstagramに書き出してみた。


私にとってはだが、社会では一人の人間
母もきっとこの30年あまり、変化してきたんだろうなと。家族や家族のような存在・地域・たまたま居合わせた空間、まわりから学ぶことにもう一度立ち返りたいと思う今年の年初め。


家族の存在が見えづらい日本の社会だが、
どんな瞬間でも、その人にとって大事な家族がいることを忘れずに今年の一年も大切に過ごしたいと思います。


本年もどうぞよろしくお願い致します。


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