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あの日とこの日。「感化」されつづける倉俣史郎展。

ロウバイの花が愛らしく花開く頃、世田谷美術館へ
「倉俣史郎のデザイン ー記憶のなかの小宇宙」を見に行った。

倉俣さんの展覧会に初めて行ったのは2011年。
当時はまだ建築インテリアを学ぶ大学生で課題のために、なくなく行った展覧会だ。

その時の展示だけは妙に強く覚えていて、自分のなかで小さな変化があったことを覚えている。

今振り返ると、それが持続する感動体験のはじまり。

今回ふたたび倉俣史郎さんの展覧会を訪れ、
10年経ってもう一度、新しい角度から心動かされる時間を味わった。なくなく行った「あの日」が今日「この日」となったら、より意味のある日になったのも不思議である。そうやって10年、20年後、また節目節目に倉俣さんの世界感にふれて、年を重ねていることを展覧会という場で感じるのも、またいいなと思った。



どうしてこんなにも倉俣さんの世界観に惹かれるんだろうとふと考えるとやっぱり、

作品やそして言葉、彼の世界観が、ここではないどこかに連れていってくれる感覚じゃないだろうか。

「音色」「浮遊感」そんな言葉とともにどこかへ
見えない世界につれっていってくれる感覚だ。

2008年7月の雑誌pen、おかりした雑誌に倉俣史郎さん夏目漱石さんを重ねてこんな言葉があった。


お世話になっている編集長からお借りした2008年7月号pen



どのような「感化」を与え、どれほど深く、どれほど持続するかということ。


時間を背負った過去の雑誌を開くという経験とともに、

「どれほど持続するか」なにかここにとても惹かれた。




感化され続けているもの、なんだろう。

*


砧公園内のシマサルスベリ

🌳:シマサルスベリ@砧公園

そう、来るたびにこの木の前に立ってしまうのだ。


》本展覧会
◆倉俣史郎のデザイン ー記憶のなかの小宇宙

》2011年 過去展覧会
◆倉俣史朗とエットレ・ソットサス


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