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長谷川 利行〜人生は、酒と絵具を持ってゆっくり歩けばいい~

コロナを引き合いに出すまでもない。
不安定な時代だ。
上手く立ち回った者だけが得をし、ぼんやりしていたらバカを見る。
誰もが損をしないように、明日自分がどうなるか知りたくて、あるはずない望遠鏡で必死に未来を覗こうとしている。
なんと窮屈でせせこましいことか。

それは大正という時代も同じだったろう。
けれどその中で、明日吹く風の行方など気にせず酒を飲み、絵を描き、最後は三河島の道端に倒れ、逝った人がいる。

画家、長谷川 利行(はせがわ としゆき)。
敬意と憧憬を込め、その人を「としゆき」ではなく、こう呼びたい。
最後の無頼、リコウと。


ところで筆者はエレファントカシマシが好きだ。
「真夏の星空は少しブルー」。
なんて夜道を歩けばつい、口ずさみたくなる。

リコウもそうだったのではないか。
いつものように拾った段ボールに即興で絵を描き、それを幾ばくかの金に換え、安酒に酔って日暮里の宵闇を歩けば、鼻歌の1つも出たはずだ。

29歳で上京してから、49歳で亡くなるまで、リコウは一度も定職に就かなかった。
定職どころか、住むところも判然としなかった。
日暮里界隈を根城にし、友の家に転がりこんだり、日蓮宗の行者の離れを借りたりと、転々とした。

だからリコウに会いたければ、こちらも日暮里の路上を彷徨うしかない。
そうすれば会えるだろう。
質屋で店の親父と押し問答しているか、飲み屋で焼酎をあおっているか、ゴミ捨て場で木切れを拾っているか、バーの片隅でマッチ箱に絵を描いているか。
そのいずれかは知れないが。

でも気をつけた方がいい。
声をかけたが最後、なんだかんだと丸め込まれて「まぁこれで1つ」、なんてササっと描いた絵を渡されて、代わりにビールの1杯も奢らされかねない。

だからといって憎んではいけない。
何故ってそれがリコウだからだ。

困った奴?
信用ならない?
その通りだと思う。
彼の死後、親しかった者さえ、彼については口を閉ざした。
多かれ少なかれ、皆、リコウには迷惑をかけられたのだろう。

それでも。
観てみたかった。
リコウが路上で拾った木切れに、瞬く間に絵を描き上げる、その瞬間を。
もし奇跡というものが存在するのなら、その瞬間こそ、そう呼ぶに相応しかったはずだ。

アトリエを持たなかった彼は、どこでも、何にでも、即興で描いた。
木切れも、紙切れも、新聞紙も、チラシの裏も、彼にとってはキャンバスだ。
絵など、しかめ面してアトリエにこもって描くものではない。
軽やかに、心赴くまま描けばいい。
甘美な酒に酔うが如く。
筆をどう動かすかは、砂埃を巻き上げ下町を吹き抜ける風にでも聞け。

そうして描かれた絵は、音楽のように跳ね、見る者の胸を叩く。
軽やかに、時に重く。
その変幻自在さは、どこか掴みどころのなかった作者そのものだ。

リコウが絵を描いていた期間は20年に満たない。
30歳の頃から描き始め、50になる前に逝ってしまった。
道で倒れているところを発見され、養育院に収容されるも、胃がんの治療は拒否した。
享年、49歳。

もうええ。

見上げれば、そんな声が聞こえる気がする。
少し青さの残る夜空の向こうから。

酒もたらふく飲んだし、絵も描いた。
若い頃は小説なんてのも書いたな。
まぁどっちも、さして物にはならんかったが、まぁええ。

そんな声が、聞こえる気がするのだ。
上野の不忍池の、ほとりにひっそり立つ、利行碑の前に佇めば。

賢く生きて、銭集めに汲々とするよりも、アホでも酒を飲んで、絵を描いて、楽しく生きた方が人生は面白い。
なんと単純明快な人生の真理か。
リコウはそれに忠実に生きてみせた。

彼が亡くなった時、所持していた沢山の作品は、養育院の規則により全て焼却されたという。
惜しいことだ。

今や彼の作品には数千万の値がつく。
いつだって金欠だった彼のことだ。
それを知ったなら、血相を変えて黄泉の国から戻ってきてはくれまいか。

そんな夢想もするが、残念ながらそれはないだろう。
リコウは金はなかったが、金に縛られることはもっとなかった男だ。
だから飄々とこう嘯いて終わりだろう。

死んだ後のことなど知らん。
それよりコッチで一杯やろうや。
え?まだそっちにゃ行けねぇって?
そうか、なら仕方ない。
手酌で先に、やってるぜ。


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