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それでもぼくが小説を書き続ける理由

400ページほどの長編小説を書いたことがある。
400ページで長編と胸を張って言えないが、ここでは長編と呼ばせていただく。

時代小説だったが小説を書くということが、どんなにたいへんなのか思い知らされた。
人気小説家の方々は、いくつもの小説を執筆し、出版されているが、私からすれば奇跡的な偉業だ。

まずアイデアから考える。
頭の中でそれがまとまったら、ストーリーの概要を書く。
これが簡単な作業ではない。
時代小説だったので、登場人物が活躍していた時期と歴史上のイベントが起こった年度との整合性を調べ上げる。
現代はインターネットであっという間に情報を得られるが、司馬遼太郎先生が数々の歴史小説を執筆されていた頃はどうやっていたのだろうか。

いざ書き始める。
最初はすらすらと書けるのだが、やはり行き詰まってしまう。
行き詰まったら先へ進めなくなるから、一旦前章に戻って微修正し、突破口を開く。
この繰り返しが延々と続く。
いわゆる悪循環ってやつだ。

概要で描いていたストーリー通りにも進まない。
なんと概要を後から書き換えるという意味のない作業を余儀なくされた。
時間がかかればかかるほど、前章の記憶が薄れて辻褄の合わないストーリー展開になってまた悪循環に陥る。
時には1週間経っても1行も進めない。
もうやめようかと何度も思った。

見直しの時間も含めると完成までに2年近くかかってしまった。
東野圭吾先生なら、2年あればいくつの作品を執筆されるだろうか。
出版社の公募にも応募したが惨敗。
何もかもが散々な結果に終わった。
もうこんなことはしたくない。

そんなぼくを見かねた妻が、noteにぼくの小説を連載してくれた。
48話に及ぶ連載が終わって、とある方からメッセージをいただいた。
何と私の捨てられるだけだった作品を絶賛していただいた。
嬉しくて涙が溢れた。
心が折れそうになっても書き続けてよかったと心底思えた。
また頑張れる勇気をもらえた。

人気作家の方々が次々に作品を生み出されるのは、この快感が忘れられないからなのだろうか。



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