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【エッセイ】ノスタルジック・ワールド(後編)

【あらすじ】

どんどん近くなる世界。私たちは自分たちの目で母国と異国を見比べることができるようになりました。違和感もあれば共通点もあるのでしょう。私が感じたノスタルジックを皆様にどれだけ伝えられるでしょうか。

 ブラジルと言う国は、私にとってそれほど発展途上にあるという印象はなかった。蛍光灯の明るさでその国の経済状況を判断できるものではないが、50年前の日本と同じ生活レベルなのだろうかと余計な想像をしてしまった。自由に外出することを禁止されていたため、観光らしいことがほとんどできなかったということも災いしたのか、わざわざ地球の裏側まで行って他愛もない印象だけが残ってしまった。実に勿体ないことである。
 
 しかし実際にサンパウロと言う街に行かなければ、このような印象を受けることはなかったであろう。日本に居ながら、他国のことをテレビや雑誌で知ることはできるが、このような生の印象は実際にその場所に行ってみなければわからないことである。それがどうしたという話ではあるが、実際に渡航する醍醐味とはこういうことなのかと、旅について実に勝手な解釈をしたことを覚えている。
 
 明治維新のころに話を戻す。討幕を試みた薩長連合軍と江戸幕府軍の戦争が激化する中、両軍は外国から軍艦を購入し軍事力の強化を図った。軍艦と言っても、石炭を燃料とする蒸気船である。現代の大型クルーズ船に比べれば、スピードも乗り心地も圧倒的に悪い。
 
 しかしその当時では、徒歩とは比較にならない画期的な移動手段となった。この蒸気船での移動は、当時の薩摩藩があった鹿児島県から大阪まで約3日、土佐藩があった高知からは約1日を要した。鹿児島から一旦福岡まで北上し、関門海峡を小舟で渡り、中国地方から関西にかけて歩き続けることを思えば、船酔いなど耐えるに忍びないことではなかったであろう。しかしこの蒸気船でヨーロッパやアメリカに行くとなれば話が違う。
 
 大政奉還の後、日本を新しい国にするべく新政府の主要人物たちは、ヨーロッパの文化を学ぶために異国へと旅立った。彼らが乗船した蒸気船は、横浜を出港し香港からシンガポールへと東南アジアの南方を進み、ロンドンに到着するまでに46日を要したそうである。なんと1ヶ月半もの間、娯楽施設など何もない船の中で過ごさなければならない。
 
 それも現代のようにパスポートさえあれば、気軽に誰もが行けるような訳ではなかった。しかし現代に生きる私達は、1日あればジャンボジェット機で地球の裏側にまで行くことができる。言い換えると北極や南極のような僻地を除けば、1日以内で世界中のどこへでも行けるということである。
 
 家に居ながらメディアを通して世界の国々の情報を手に取るように知ることができる。それにその国の文化に直接触れたければ、飛行機を使えばいとも簡単にそこへ行くことができる。150年前までの日本のことを思えば、世界はなんと狭くなったことであろう。
 
 それ故に多くの渡航者がそれぞれの感性で海外の文化を解釈し、様々な意見が生まれる。同じ国を訪れた渡航者であっても、その国を絶賛する人もいれば、二度と行きたくないと言う人もいるだろう。ニューヨークのようなおしゃれな街を愛する人もいれば、アフリカのような大自然を満喫したいと思う人もいる。
 
 その評価はいくつかの国を訪問し、体験したことを自分自身の感性を基に心の中に根付かせた各国の印象を、相互に比較することによって判定されるものである。要するにこのような異国に対する自己評価をできる人は、複数の国を訪れているということになる。
 
 私に限っては2019年のサンパウロ訪問時と同じく国際学会に出席するために、ハワイのワイキキを訪れたことがある。言わずと知れた世界有数の観光地である。ブラジルとハワイのどちらがよかったかと聞かれたら、私はハワイと即答する。
 
 その理由はブラジルに比べてハワイは日本に近いこと、のんびりとした雰囲気が良かったこと、日本語が通じること、治安がいいこと、と実に身勝手な判定基準に基づいている。ブラジルの方々には失礼な話である。それに私のように異国の何気ない風景に、自国では目にすることができなくなった懐かしい光景を照らし合わせるような人もいるのではないだろうか。
 
 たとえ些細なことであれ、その土地々々に実際に訪れ、自分の目で見て、自分の耳で聞かなければ、知り得ないことはたくさんあるはずである。その人にとって贔屓な国を決める貴重な判断材料になるのだろう。世界が身近になった現代は、海外旅行の楽しみ方も千差万別である。
 
 日本の長い歴史の中で、たった160年足らずで世界はあまりにも近くなった。未知の世界であった異国のことを深く知り、異国を相手にビジネスをする人もいれば、異国を訪れることを趣味にする人たちもいる。
 
 同じようなことを繰り返し言うが、150年前と言わず私が子供のころであった50年前でも、そのような人たちは極めて少なかった。今や世界の国々は、日本の都道府県の一部になっているかのように思える。数十年先には、ブラジルの家庭の蛍光灯は、今よりもっと明るくなっているのだろうか。確かめるにはまたブラジルに行ってみないとわからないのだろうか、そんなことを考えている。

<前編はこちら>


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