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リレー選手になりたくなかった、


運動会シーズンらしい。



街中の学校では生徒達がグラウンドに集まり
メガホンから発せられる先生の指示する声が響いていた。

練習だろう、男子が怒られていた。




運動会、
思えばいつからか
秋からこの季節に変わっていた。

たしか、
私が小学生になって何年かした時のことだった。


なぜ秋からこの季節に変わったのかはちゃんと覚えていないし、
教育方針の詳しいなんちゃらかんちゃらは知らないが

私は秋が良かったと思っていた、
この季節は地味に暑い。




小学校も、
中学校もちゃんと運動会に参加した。
当たり前か


高校では
ちゃんとした運動会というものがなかった。

部活も野球部は強かったけれど、
他の運動部は形だけという感じでみんなそこまでやる気が無さそうで

高校自体あまり運動に力をいれていなかった記憶がある。

けれど、
体育の授業の出席に関してはやけに厳しかった。
創作ダンスで一緒のチームだったギャル達が優しかった。



なので、
高校ではあまり運動に対して熱意を持たずに過ごしたが

小学校の私は今思うと本当に、すごかった。


運動会にをかけていた。


低学年の時は全力で
「ひょっこりひょうたん島」を踊ったし

「マツケンサンバ」が流行った年には
全力で松平健になりきった。

小学生恒例の「ソーラン節」も
目が血走るまで本気でやったし

組体操もどこの位置だったか忘れたが
背中で一生懸命耐えた。




全力少女だった私が特に
運動会の中で命をかけていた種目が


「徒競走」



もう、絶対に負けられない戦いだった。
負けず嫌いだった私にとって徒競走は、
その一年のモチベーションを左右する一大イベントだった。

"一位を取らねば、家に帰れない"

とまで思っていた。2位以降は野宿である。



自分との人生がかかった約束を果たす為、
毎年、徒競走の練習に全力で取り組んだ。


そんなある日、徒競走の練習のタイムで
リレー選手の候補に選ばれてしまったことがある。



しかし、私はとてつもなく、嫌だった。


というのも、リレー選手というのは
クラスの命運をかけた責任重大な役割のため

運動会までの放課後毎日、
リレー選手の特別練習があるのだ。


私は小学生の時から
定時直帰型の面倒くさがり人間。
その練習が嫌なので、リレー選手の選出テストの時にわざと遅く走り
リレー選手になるのを回避した。


「こちとら徒競走がメインディッシュじゃ、
リレーは私の出番じゃない!」

という心境だった。
自ら出る場所を選ぶこども。



今考えると
何やってんねん、とあの時の自分に言いたくなるが

すぐ家に帰り、冷房の効いた部屋で
お菓子を食べながらシルバニアで遊びたかった気持ちを痛いほど覚えているので、
いい思い出として残しておこうと思う。



そんなわけでリレー選手選出は無事に回避し
徒競走では一位を獲得できた。
根性で6年間連続首位。根性というか執念。


なぜあんなに一位にこだわっていたのか
今となっては不思議だが

一年に一度、
あふれんばかりの熱意をひとつのことに注げたというのは良い経験になったと思う。



中学に上がってからは
徒競走もなかったし、みんな思春期でぬるい空気の中だったので
あまり運動会が楽しかったという記憶がない。

カップルとか、互いに相思相愛、
みたいな男女は楽しかったのではないだろうか。

いいな、、、
一度そういう甘酸っぱさを運動会で感じてみたかったものである。
綱引きの記憶しかない。





次、運動会に参加するのは
自分の子どもが生まれた時だろうか。




私と同じように
「リレー選手になりたくない」

と言われたら、静かに頷いてあげようと思う。




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