エッセイ「感覚」 4.聴く
たまたま耳にした音が、永遠に頭の中でループを続けることがある。環境音でもBGMでも歌でも。映画のサントラなんかは本当によく残る。とくに洋画は。
昔から朝起きたらクラシックのCDをかけるのが日課の環境で生活をしていたものだから、いまだに音楽を聴こうと思うと、まずはクラシックから探してしまう。今日の気分はどれか、いまは穏やかな「美しく青きドナウ」よりも少し激し目の「運命」のほうが求める音楽に近い、とか。
そうやってクラシックにはかなり親しい距離感で関わってきたわけだが、彼らの音楽はあくまで聴くことを目的としたもの。そこに集中して耳を傾けていようがいまいが、少なくとも我々の耳のために作られた音楽、だと思う。けれど、冒頭で話した頭に残ってループし続ける、となるとどういうわけかそれは映画のサントラに取って代わってしまう。とくに洋画。
漫画やゲーム、テレビといった娯楽には多少なりとも制限のあった我が家だが、洋画だけは幼少期からよく観ていた。子どもでも楽しめるファンタジーだけではなく、銃声なんかも聞こえるようなアクションもの、内容がよくわからず眠くなるような作品まで多種多様。もちろん今でも洋画は大好き。だからUSJに行ってテンションが上がるのはアニメのエリアではなく、ハリウッドエリアだったりする。
サントラ。それは映画を観るときに、物語の内容を補完するために必要なもの、たぶん。けれどときにそれは、物語を超えて、音そのものが脳内に語りかけてくる。それがループしてしまうサントラ。ここまでくると、もうサントラだけで楽しめちゃう。サントラを聴けば、自ずとそのシーンが浮かぶし、またその逆もしかり。
聴く、と書くとどうしても真面目に聴くことを目的としてじっと耳を傾けるようなイメージがあるけれど、きっと本当は、聴くこそただ楽しくふらっと耳を寄せるようなもので良いのかもしれない。だから今日も、気取らずに耳を音の世界へ散歩に連れ出したい。
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