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人生の後半を見つめ直す

このお話は人生も後半になって今更ながら自分の人生に自問自答を始めた大人のお話です。人生に迷いつつ、遠回りしつつも自分なりの人生を歩んでいきたいなという同志の方に、こんなケースもあるよということで届くと良いなと思っています。


ふと湧いてきた疑問

会社員生活も気がつけば20年を越え、その間、いろんな方にお世話になりながら、様々なことに挑戦させていただき、たくさんの経験をさせていただきました。
華々しいキャリアでは無いけれども、自分なりに頑張ってきてそれなりのスキルもつき、充実した時間だったと思います。
でも時々ふとこんなことが頭に浮かぶようになりました。
「このままで死ぬときに後悔しないだろうか?」
こんな自分への問いに対して徐々に考えることが多くなり始め、そして自分の本当にやりたいことについて考え始めました。
そんな中、今までを振り返ってみて、とても印象に残っている経験を思い出しました。

質問です

あなたは人の最も美しい瞬間はどんな瞬間だと思いますか?
私は「人がこれまでの枠から一歩踏み出し、新しい扉を開く瞬間」が一番美しいと思っています。
そう思うようになったのはこんな経験からでした。

最初の原体験

それを最初に目の当たりにしたのは数年前、経済メディアNewsPicksが実施していたNewsPicksアカデミアという講座の運営を担当させていただいていた時でした。
NewsPicksアカデミアではいくつも講座がありましたが、その中でインフォグラフィックの講座を担当している時でした。
グラフィックを作るという性格上、デザイン経験のない方にはちょっとハードルの高い講座で、最初はかなり不安そうにしている方が何人もいらっしゃいました。
6回シリーズの講座の途中、ドロップアウトしないかと運営側もハラハラ心配していました。

Mさんもそんな中のお一人でした。
ところが最終回の発表の際には見違えるような作品とプレゼンをされ、講師も運営もびっくりの進化を遂げたのです。
そして「人生ではじめて好きな趣味ができました!」と漫画か!?と思うくらい目を輝かせて嬉しそうにおっしゃったのです。
このクラスは「偏愛」をテーマにインフォグラフィックを学ぶ講座だったので、Mさんは自分の好きなものを表現する、ということの楽しさ、喜びをこの時体験されたのでしょう。
プレゼンだけでなく、その後、絵本やキーホルダーといったグッズまで作って自分の好きなものを表現し、私にプレゼントしてくれました。
(ちなみにMさんの偏愛はアダム・スミスでした)
「人ってこんなにキラキラ輝くのか・・・!!」と感動したことを今でも覚えています。

さらなる出会い

そしてさらにこの後忘れられない経験をします。
この講座の後に担当させていただいたのが書家でありプレゼンクリエイターでもある前田鎌利先生のプレゼンの講座。

この講座はプレゼンのスライドをどう作るかというテクニックだけでなくプレゼンする本人の「念い」を非常に重要視するクラスでした。(前田鎌利先生はあえて「念い」とされているのでそれにならっています)
このクラスの受講生の方々がすごかった!
皆さん、ご自身の「念い」を形にすべく一歩踏み出し行動された結果、講座期間中、商談成立・昇進・転職・起業をされたのです。
そしてこのクラスは個人プレーだけでなく、チームとしてクラス対抗の卒業式プレゼンでも見事に優勝!!

本来は最終回のプレゼンで一位だった受講生がソロでプレゼンするはずだったのですが、一位になった方が「みんなで取り組みたい」とご提案されたため、みんなで一丸となって卒業式のプレゼンに挑み勝ち取った優勝だったのででした。
この時の喜びは通常の何倍も嬉しかったことを覚えています。
このクラスを受け持って、自分の念いを持って一歩踏みだす行動力に感銘を受けましたし、さらにそれは一人ではなくチームだと加速するのだということを学ばせていただきました。
そしてやはりこの時の受講生の皆さんもとてもキラキラ輝いていました。

「Business as Art」

その後私はNewsPicksアカデミア、さらにはNewSchoolで20近くの講座を担当し、数百名を超える受講生の方と出会い、「人がこれまでの枠から一歩踏み出し、新しい扉を開く瞬間」にも何度か立ち会ってきました。
そんな中で印象的だったのが、山口周さんの著書「ビジネスの未来」をベースにした「ビジョンクエスト」というクラスでした。
「ビジネスの未来」は資本主義の過去・現在・未来を分析し、人間が人間らしく生きるために本当に必要とされるべき は、どのような「社会システム」であるべきなのかを問うた本です。

この本の中で私が印象的だったのは個人レベルでなく、今後未来に向けた社会制度としても「エコノミーにヒューマニティ(人間性)を回復させること」「人間性に根ざした衝動に基づいた労働と消費」が大事という点でした。
この本の中の表現を借りれば「Business as Art」です。
つまり、ビジネスパーソンもアーティストのように個人の衝動に基づいた仕事に携わり「社会彫刻」する、ということです。
文明化の競争、効率化を追求する社会から文化的豊かさを育む「高原社会」に向けて一個人が出来ることとして、まずは真にやりたいことを見つけ取り組むこと。
それはとても希望のあることのように思えましたし、そうであってほしいなという願いにも似た気持ちを覚えました。

「モモ」

皆さんはミヒャエル・エンデの童話「モモ」を読んだことがあるでしょうか?
このお話の解釈の仕方は色々あるかと思いますが、私は「効率や経済合理性を過度に求めすぎると人の生活は”灰色”になる」というメッセージを受け取りました。
灰色の人生、無味無乾燥の人生、経済的には豊かであっても何の喜びも感動もない、心の貧しい人生。貧しいというより心を失う、といった方が良いかもしれません。
中には高性能なマシーンのように生きたいと思う人もいるかもしれませんが、私はモモの中に出てくる「灰色の男たち」のようにはなりたくないと思いました。
でも、ふとそんな風になりかけている自分に気づいたりもしました。
コスパ・タイパ、というワードが流行り、経済的にどれだけ価値を生み出すかがそのまま人の価値に結びつく時代です。
もちろん、それが悪いというわけではありませんが、それだけではないと思うのです。
当たり前のようにも思えますが、変化のスピードの早いこの時代、つい流れに流されそうになるのもまた事実です。

作者ミヒャエル・エンデの言葉は21世紀の現代にも通じるのではないでしょうか?

時間とはすなわち命なのです。
そして命とは人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど命はやせほそってなくなってしまうのです。
人間は自分の時間をどうするかは自分で決めなければならない。

そして「モモ」の中に出てくるこの描写、どこかで見たことあるなとグサッと刺さりました。

しだいにしだいに子どもたちは小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。
やれと命じられたことをいやいやながら,おもしろくもなさそうにふくれっつらでやります。
そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われるとこんどはなにをしたらいいか,ぜんぜんわからないのです。

遠い昔に置いてきた忘れ物

では現代のテクノロジーを否定して昔に戻れば良いのか、と問われれば、そういうわけでもありません。私も長くテクノロジーの業界で生きて来た人間なので、その利便性や必要性は理解しています。
同じく長く携わったマーケティングの世界ではよく「目的と手段を履き違えるな」ということが言われますが、それと同じだと思います。

最近思うのですが、人生で本当に重要なことは大体、子供の頃に読んだ童話や昔話、伝記や格言、ことわざ等にあったなと思います。
でも大人になるにつれていつの間にかどこかに置き忘れて「人生の幸せ=経済的に成功する」という考えのもと、それが立派な価値ある大人になる条件のように思い歩いて来たように思います。
そしてそのためには経済合理性の追求が必要だと思い、効率化・合理化はそのために最優先されるべきと考えていました。

もちろん、経済的な成功が悪いというわけでもないですし、お金はなくては困るものです。
ただ、人生の幸せの幸せの条件はお金だけではないですし、最近は人の幸せの条件が科学的に研究結果として出てきてもいます。
ハーバード大学での84年に渡る「幸せ」の研究結果をまとめたこの本は非常に興味深いと思います。

人生を何周も遠回りしながらそれにやっと気づいたような気がします。

自分は何を?

資本主義制度が確立し、成熟した現代に置いてその枠組みから逃れるのは非常に難しく、効率化・画一化の方向性がなくなることもないと思います。
それはそれで非常に重要なこともでありますし、なくす必要もないでしょう。
ただ、それが行き過ぎると「人間らしく生きる」ということが犠牲になるのではないかと思うのです。
その慣れの果てが「モモ」に出てくる灰色の男たち、つまり時間とお金の奴隷になってしまうということなのではないかと思います。

それを防ぐのに一番重要なのは「時代の波に飲み込まれずに、自分の意思で本当にやりたいことを問い、そして実践してみること」なのではないかと思います。
そのために自分の出来ることに取り組みたいと思っています。

とはいえ現実は・・・

とはいえそれは、簡単でないこともわかっています。
「自分が本当に心からやりたいこと」を見つけたいと思いつつもそれがわからないと悩んでいる人はたくさんいます。
また自分のやりたいことがあっても一歩踏み出せない人もたくさんいますし、何らかの理由で諦める人もたくさんいます。
人間は基本的に変化を嫌い現状維持を求める生き物でもありますし、それに抗うのは並大抵のことではありません。
そして仮に一歩踏み出しても続かない、続けるのが難しくて諦めるケースもたくさんあります。
むしろその方が一般的なのかもしれません。

それでもなお

でも、私はやはりあの瞬間を見たいと思うのです。
人が自分のやりたいこと、好きなこと、自分の念い、衝動に向かって勇気を出して一歩踏み出す瞬間を。

そう気づくのに何年もかかってしまいましたが、これからの人生はそのために時間を使いたいと考えています。
正直に言えば、もっと早く気付けたらよかったなと後悔することもあります。
そうすれば少なくとも時間は沢山ありますし、やり直しもききやすいからです。
いい歳して今更何やってるんだという声や、どうせ上手くいかないよという声も聞こえてきます。

でもそれでも後で後悔するよりはずっといいと思っています。
死ぬ時に「なぜあの時やらなかったのか」と自分を責めるより「失敗もしたけど色々チャレンジして楽しかったね」と自分を労えたらどんなに良いでしょう。
この歳だから逆に今までに得た経験を周囲や社会に還元したいとも思います。
逆に今だから出来ることもあるのかもしれない、そう思うとちょっと勇気が湧いてくるような気もしています。

そしてそのために具体的に何をするのか、現在絶賛準備中ではありますが、輪郭が見えてみたらまた、シェアをさせていただければと思います。
遅まきながら人生の後半戦に花を咲かせようとしている同志の皆さん、一緒に頑張っていきましょう。

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