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心地よさが共感を生む

私が「共感なんてあると思わない」と言う時、

『共感とは何か』について自分の中で極限まで考えた結果として、

心底そう思ってることもあるし、

共感している自分がいるということを知られるのが恥ずかしいから、

あえてそんなことを言っている時がある。


「そんな寂しいこと言わないで」という人がいるが、

私からすれば、

この世のほとんどが共感ごっこだ。

共感したいなぁと思って共感している。

私はこの「ごっこ」まで共感と表すべきなのか否か分からない。


私の中で感じていることは、私の中で起きていることで、

他人の気持ちを想像することはできても、

そこに答えなんかはない。

自分の主観を捨て切ることも、

相手の主観を完全に取り入れることも出来っこないから。


共感は、

そう思いたい気持ちが人間に備わっているから起こるものだと割り切っている。


だから、人と分かり合えないと思ってしまうのは

悪いことでもなければ、

むしろ普通だと思う。


怒りたい時に怒って、

笑いたい時に笑う。

それが違うと感じるならやめて、

我慢したいなら我慢する。

我慢できなければできないし、

無理しないのが一番。


自分の感覚について、誰かと答え合わせをするものではないし、

もし仮に答え合わせをしたら、

私は0点を取る自信がある。


他人は他人。

自分は自分ってこと。


人は心地よさを求めるから、

共感もそこに付随する。


共感したいようにする。

心地よい心で接したい。


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