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人に伝えたいものがあるから、自分を伝える

私は今までずっと、他人から「あなたは大丈夫」と言われて生きてた。

自分では何が「大丈夫」なのかわからないけど、ある人の言葉を借りれば、

「自立している」ということなのだと思う。

だけど、私が「大丈夫な人」であるのは、そうならざるを得なかった環境があり、

また、生まれ持った思考の故だということを知っている。

自分の中では、どんな時でも「大丈夫な人」であったわけではないし、

「大丈夫な人」であることから抜け出したくなったり、

いっそ「ダメな人」と言われる方が楽だと思うことが度々あった。

他人に弱みを見せることを好まず、

他人に心配されることを、迷惑をかけることだと思っていた一方、

「私は大丈夫じゃない」と誰かに気づいてもらいたい気持ちから、 

他人との距離を遠くしてみたり、近くなりすぎたりするのを感じて、不安でいっぱいだった。

そんな葛藤の中をさまよううちに、自分の心も、他人の心も歪んで見えてきて、

自分のことを信じることができなければ、他人のことも信用できず、

「信じる」なんてことを大事にする人を理解できなかった。

虚無感や孤独を抱くことはよくあったが、打ち明け方がわからず、結局、自分の心に向き合えなくて、

隠しきれない感情を隠すことが癖になってしまった。

不安を抱く時ほど、「もっと強くなれ」と自分を鼓舞した。

勉強したし、たくさん走ったし、ピアノを弾いた。

でも、常に何かが欠けている気がして、そこには自分が思う楽しさも幸せもなかった。

そしてある時、心と体が動かなくなってしまった。

自分の思考で自分自身を殺してしまった・・・そんな感覚だった。

さて、ここから少し暖かい光をあてていこう。

今の私は、「大丈夫な人」であることに不安がない。

楽しく前向きに、幸せを感じて生きている。

だが、おわかりの通り、ずっとそうではなくて、そうなりたいと願い、そうなれるように努力した人間である。

私は、これから少しずつ、その軌跡を書こうと決めた。

『人に伝えたいものがあるから、自分を伝える』

そんな大切なことを教えてくれたのは、
このnoteで出会った人たちだ。

noteに投稿を始めて2か月だが、

私がつながりを大切にしたいと思えるnoterさんたちは、正直で勇気のある人たちだ。

きちんと自分に向き合い、それを言葉や技にして発信している。

そんな姿に私は勇気をもらった。

せっかくの自己表現の場、

書きたいことを書いておこう。
書けることを書こう。

そう思っている。

私は小さいころから音楽をしてきたが、大人になって思うのは、

私の音楽を聴いてくれる人がいて初めて、私の音楽になるということ。

こうして今読んでくださる方がいるから、私の文章は私の文章となる。

みんなから好まれるものにしたいとか、受け入れられるものを作るということではなくって、

受け取ってくれる人のことをありがたいと思うと同時に、

自分が発信したものを通して、何か「つながる」。

そのつながりを私も感じた時、自分のものとして成り立つ。そんな感覚だ。

私が表現することの意味は、そんなところにある。

だから、みんなのことを大切に、私の中のあーだこーだを、

できる限り温かいものにして届けていきたいです。

いつもありがとうございます。

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