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おもう

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ありのままの自分を受け入れる

ありのままの自分を受け入れる。 否定も肯定もしない。 心と身体を繋いで、 心で感じたことが、そのまま身体を通して外に表現されるところを目指す。 これは、わたしの課題だ。 人は、大人になればなるほど、 何かを隠す。 特に負の感情。怒り、悲しみ、寂しさ、嫉妬、不安。 それを大きな声で叫ぶこともしなくなる。 ここ数年、全てを肯定して生きてきて、 否定することを否定していたなぁと思ったら、 急に涙が溢れた。 自分の負の感情に向き合った瞬間だ。 音楽だけでなく

毎日生まれ変わるように生きたい

毎日を楽しみ、 毎日を大切にしてきたから、 日常が日常でなくなることがとても寂しい。 ああ、私も寂しさを感じられる人間だったんだなぁって思う。 この感情に浸れたら、楽だろうに。 気持ちいいんだろうなぁ。 そんなふうに思っているのに、その感情の必要性を問う。 そして、やっぱり寂しくない気がする。 感情をコントロールしていくと、そこにあったはずの感情が無になって、 それでいいのか?と思いながら、 それでいいのだと思う。 美化された感情に浸りたがる人間たちは、

自分を大切にするように、自分の作ったものを大切にする。

何かを作る経験を、みなさんもしたことがあると思います。 絵を描いたり、ブロックで遊んだり、料理や裁縫をしたり、詩を作ったり短歌や川柳を詠んだり。。 子どもは、自分が描いたり作ったりしたものを、とても素直に誇ります。 「できたー」 「先生みてよー」 「すごいでしょ」と。  そして作ったものを大切にとっておこうとしたり、持ち帰ろうとしたり、プレゼントしようしたりと考える。   誰かに教えられたという行動ではなく、本能的な思考。  その姿は輝かしくて、美しい眼をしていま

イタリアで作ったひとつの歌

記憶にある中で、私が自分の曲を奏でてみようと試みたのは、小学校の低学年の時だ。 ピアノの練習を一通り終え、その延長でテキトーに鍵盤を鳴らす。 それはまだ和音も調性もちぐはぐな即興音楽だったように思う。 一つ鳴らした音から、次に鳴らす音を考えるのが楽しく、そして一度奏でたものはすぐに忘れ、常に新しい気持ちで新しい音を作る感覚。 イタリアに留学し、そこで経験したのは言葉の壁であったが、外国語の壁というよりは、感情と言葉の間にある壁。 この「ありがとう」という気持ちを、g

得体の知れない感情との対峙

何かがあったというわけではないけど、 とても悲しい気持ちになる。 俗に言う「疲れ」だろうか。 生きていると、 どこかで行き詰まったように感じる瞬間がある。 自信がないとか、 上手くいかないとか、 先がわからないとか、 そういったものではなく、 ただ呆然として 足元が見えない。 私は存在してるのだろうか。 そんな感じ。 信じるところを信じて、 大切なことを大切にする。 やりたいことのために進む。 そのやりたいことを明確にする。 こつこつと頑張る

『結果として他人のためになっていた』を目指す。

久しぶりの投稿となりました。 すっかり秋も深まり、心長閑な日が続いているようです。 今回の投稿は文部省唱歌の『おうま』です。 全く秋に関係ないのですが。。(笑) タイトルとも無縁。。(笑) 親子の優しい情景を描く文部省唱歌です。 最近、noteから離れていました。YouTubeの投稿も少し間が空いていました。 ここ数日の間に、noteの中のある方が「どうしたのかな」とコメントを下さったり、YouTubeを聴いて下さっている同僚が「楽しみにしています」と声をかけて

涙が流れる時と、その終わり

私にとって「本当な」何かを感じた時。 悲しみや寂しさを知った時。 怒りや嬉しさを感じた時。 良いものに触れた時。 美しいものを感じた時。 表面的なものじゃなくって、 他人からは見えないとこにあるような、 いわゆるモヤモヤが、 ぴーんと心に触れた時。 そして特に言葉となった瞬間に、 涙が溢れ出る。 どんなに考えても、 どんなに想像しても、 その人の本当の気持ちはわからないものだと知った時。 自分の中に、少しばかりの、 だけど、ものすごくぎゅっと詰ま

愛する道のり

愛することができないのは、愛されたと感じたことがないから。 愛されていないと感じるのは、愛を感じられないから。 愛を感じられないのは、信じられないから。 信じられないのは、自分を信じられないから。 自分を信じられないのは、自分がわからないから。 自分はよくわからない。自分は一つではないから。 でも、どんな自分も自分だとわかると、 自分のことを信じられるようになる。 自分を信じられると、他人を信じられるようになる。 他人を信じられるようになると、愛を感じられる

自分を縛りつけていたものは、自分。

私は過去、火星人でした。 火星人になりたくてなりました。 なぜなら、 地球に存在する人間として、 自分は相応しくないと思ったからです。 周りの人が笑うことの何が面白いのかがわからない。 「楽しい」と口にするその感情の源がわからない。 周りにいる人たちが、皆同じ目的で同じ方向を見ている中に自分もいる時、 キューっと自分がどんどん小さくなって、何も考えられなくなってしまう。 また、人間の顔についている目、鼻、口といったものが、 ただの生命存続のための器官だと思った瞬

自分で自分の答えを作り続ける

悩んでいる人を目の前にすると、 「自分で抱え込まないで」 「自分のせいにしないで」 なんて言う私だが、 自分のことを認めて、自分のことを整理していくと、自分の思考は誰のせいのものでもなく、ただ、自分のせいなのだ。 悩んでいるのだって、それを選択してるのは自分だ。 親がこうだから、こんなふうに育ったからと、人や環境のせいにしてても、何も変わらない。 「もともと私はこういう人間なんだから仕方ない」って、遺伝的素質の話を始める人もいるが、もともとの自分がわかるってどういうこ

そのままの自分でいること

茨木のり子の詩が好きだ。 図書館でふと手にした「ポケット詩集」。 その一篇に『 汲む ー Y. Y に ー 』があった。 (上記 詩より 一部抜粋) 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人と思わなくなった時 堕落がはじまるのね (中略) 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな 変に恰好つけなくていい。 不恰好でも、 その人らしさがあれば 伝わるものがある。 大切なことを守り続ける。 それで十分だということ。 『 いつまでも大

自分らしく生きるとは。

他人を大切にする前に 自分を大切にする。 自分がしたいことを犠牲にしたら、 生きている意味はどこにある? 『他人のために』することも、自分がしたいこと。自分に返ってくること。 いつでも どこでも自分を自分で見続ける。 他人の中に何かを探したって、 そこには何もない。 想像するのも、感じるのも、 考えるのも、行動するのも、 全部自分がすること。 自分のすべてに責任を持つ。 それが自分らしく生きるということ。

他人の本心とは、自分がどのようにその人を信じているかってこと

「あの人の本心がわからないわ」 なんて言う人がいるが、私は誰の本心も知ったことがない。 本心とは、そもそも誰の真実なのか。 読み取られる側の真実なのか、それとも読み取る側の真実なのか。 人はある程度、自分に嘘をついて生きる。 もし、「私は自分に嘘をつかない」 と言う人がいたら、嘘をつかないという言葉が嘘だろうと思う。 みんなから「優しいね」「良い人ね」と思われている人は、上手く生きている分、どこかに嘘がある。 みんなに同じように接したら、傷つく人ができてしまうこと

私が大切にしたいことの羅列

自分らしく生きること。 そのためにできることを日々こつこつと続けていくこと。 丁寧に生きること。 自分が好きであること。 どんな自分も前向きに認めること。 自分の力を信じること。 果てはないが、その都度楽しむこと。 できると信じること。 何でもやってみること。 どんなこともプラスに変換すること。 自分から迷宮入りしないこと。 幸せを感じ続けること。 全ては自分次第だということ。 自分の中の自分を信じ、 常に変わっていく自分に向き合って、 他人に優