「俺、猫飼ったんすよ」
結局救ってくれるのも人なんだな、とバカみたいに簡単に和らいだ胸の内を他人ごとみたいに感じながら、そう思った。
人と関わりたくない、会いたくない、触れたくない、とひきこもって安全に私を守る城壁を強くしようとしていた。壁の一部を取り除いてそーっと他人を入れてみると、内側も外側も陽のあたる湖面みたいに穏やかだった。
嬉しくて気が抜けてしまった。
先日、体調を崩して長く休んでいた事業所に戻った。
行く、話す、と決めたのに、直前まで本当にこれがやりたいことなのかと悩み、胃が波打つような時間を過ごした。
久しぶりに降りた駅で心臓あたりが縮こまり、息がつまる。目にすることを避けていた光景を見て、嫌な記憶達がざわつき、次々と感情と引っ付いてあふれそうになる。なんとか涙になる前に、喉元で理屈に合わない波を押し戻す。
顔もうろ覚えくらいで再会したらなんか泣いてるやん、という事態は避けたかった。
呼吸が浅く、緊張で血圧が上がっていくのを感じる。指の先まで吹きさらしになったような、なんとも心もとない肌感覚に覆われて、力が上手く入らない。よく見れば少し震えている。くっそ。
あーーーくっそ。
自身の情けなさを嘆いたこの「くっそ」の勢いでドアを開けてやった。
人の温度と話し声で満たされた小さな空間には確かに覚えがあるのだけれど、私だけが冷え切った鉄のかたまりに入っているようだった。
最低限必要なことを済ませて椅子に座っても、全然自分はそこに戻ってきてくれなくて。食器をならす音が、男性の声の響きが、無意味に傷口を掠めていく。こんなに冷え切って、臨戦態勢を張り巡らしていったいどうするつもりなのか。小さく再生される記憶や紐づいた感情を制御しようとひたすらに戦っているしかなかった。
「俺、猫飼ったんすよ。」
実体感のない私の斜め上、照明がぼやけて作った傘の中でスタッフの一人が話しかけていた。
どういう生き物か定義しかねる、とても柔らかい雰囲気の男性だ。
ねこ、飼った……???
あの、私が頭を抱えるほど求めてやまない憧れの生き物を?
中から湧いて出た圧力で何かがはじけ飛んだ。バカみたいに大きな声が出て、何やら次々とまくしたて、急なテンションの上がり方に大分引かれた。(片方耳栓してたからっていうのもありまして)。
話が逸れるのだが、私は今ちょうど猫狂いとなっていた。猫が飼いたくて、猫と暮らしたくて、あのもふもふした温かい生き物に触れたくて日々悶絶しているところだった。
それまであった冷たい鉄のかたまりが感触もなしにどこかへと消え失せる。急速に自分の身体に私の感覚が戻ってくる。手が動く、指が温かい、まばたきする瞼とまつ毛が肌を撫でるのが感じられる。その間に見える景色は間違いなく自分の頭で認識していると分かり、一瞬一瞬が鮮やかに記憶に刻まれていく。擦り傷を触るように巡る過去への思考は止まった。
嬉しかった。私が、戻っていたのだ。
戻ってきた私はその後、別の女性スタッフと面談をした。
仕事が出来て優秀なのは確かだが、いつもそれだけでない安心感と落ち着きを与えてくれる人だ。彼女の言葉選びへの繊細な気遣いなのか、声のトーンなのか、まとわせた空気なのか、話した後は、「まだここにいてもいいのだな」という肯定感で目の奥がじんわりと温まる。
何かでギリギリのところにいる人が訪れるこういう場所で、下を見るしかなくなった人とちゃんと目を合わせて話が出来る、素敵な人だと思う。
だからこそ面談が終わった後は、この人の給料は能力に見合っているのだろうか……と余計な思考が入ってしまうのだが。
なんだつまるところこんな単純なことなのかと少し笑う。
自分を守るために作った城壁はほんの指一本で砂の城のようにもさりと崩れた。触れるまでは怖くて、気持ちが張りつめて、これを壊すのにはすごく力がいるし、なだれ込んでくるものはもっと強くて苦しくて、覚悟が必要なのだと思い込んでいた。
「猫飼った」というのは沈んでしまった私の感覚を吊り上げるのに、ド正解の言葉だった。ちなみに「猫飼っている」はド正解とは違う。話すと意味不明に長くなるので割愛。彼がそれを引っ張り出したのは全くの偶然なわけだ。
けれども、人と人の交流において、こういう偶然は結構起きるものだと感じないだろうか。
何気につぶやかれたアーティストが自分が最近日課のように聞いている人だったり、昨日興味を持って検索しまくった動物が食事の合間にぽつりとこぼれてきたり。
自分が意識していなかった点と点を誰かがつないでくれたり、隠れていた小さなものをそっと思い出させてくれたりする。そうして小爆発のように心が動き出すあの喜び。
そして残念なことに、こうした針の目を通すような反応は自分ひとりでは起こせないものなのだ。
居場所を作っておいて良かった。好きだと感じられる人たちに会っておいてよかった。あきらめてまとめて捨てたりせず、逃げ出さずにおいてよかった。
「くっそ」の勢いでもなんでも、扉を開けて戻ってみてよかった。本当に。
私は人が好きだ。そんな風に実感した一日だった。
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