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読書感想文:閉塞した世界と日常と自分の存在と。

第三十一回やまなし文学賞受賞作品集を読了しました。

noteでも仲良くさせていただいております、秋田柴子さんの作品が掲載されております。すごいですね✨紙の本!憧れます!

拙いながらも、感想書きます✨


秋田柴子「雨を知るもの」
私には、その土地ならではの「閉塞感」というものが、一般的な感覚より薄いと思う。だから、よく言われる「地域の人がみんな自分のことを知っている」「町中その噂を知っている」みたいなことは実感がしにくい。でも、このお話は単にそういった地域の閉塞感だけでなく、閉塞感やそれによって生じる些細な、でも確実な軋轢や、被害、加害は、実はどんなところにでもあるのだと教えてくれる。家庭内、学校、クラス、友達グループ、会社、そして社会全体。すべてが実は閉塞しており、私たちはその中で日々を過ごしているのだ。どこにいても。誰といても。
では、いったいこの閉塞した世界の中で自分は何をどうして生きていけば少しは息がしやすいのだろうか、と考えると、そこには人とのつながりが見えてくる。人とつながるときの自分。その存在をどうしていくか。それを決められるのは自分だけなのだ。まわりから何を言われても、どんな環境にあっても、息をするのは自分である。まわりのせいにして世間と一緒になって窒息しそうな人をよってたかって沈めるのも自分だし、自分に重しをつけてみずから沈んで窒息するのも自分。私は違うから、と遠目で眺めるのも自分だし、浅瀬を探してもがくのも自分。世界はすべて閉塞していると考えると、自分の行いや言動を振り返ることが必要だ。私は、誰かを沈めていないだろうか。誰かが窒息しそうなとき手を差し伸べられるところにいるだろうか。そもそも私は窒息していないだろうか。
しっかり深く呼吸をして、閉塞した世界の中で、できる限り軽やかに人生を泳ぎたい。ときどき渦潮にもまれながら、沈んだり浮いたりを繰り返しながら、窒息しそうな人になるべく手を差し伸べ、ともに浅瀬を目指し、大きく息をしたい。


ずいぶんと抽象的な感想になってしまいましたが、素晴らしいお話でした。寓話でもあり、現実社会への皮肉でもあり、読者への戒めでもある。それでいて「説教臭く」ならないのは、技術だけでなく著者のお人柄かな、と思いました。終わり方も不思議な余韻があって、とても良かったです。文章がとても丁寧で品があって、柴子さんらしいな、と感じました。

ほかの受賞者の方の作品ももちろん拝読しました。個人的には、時系列の使い方や文体など、柴子さんの作品が一番読みやすく好みでした。あらためまして、受賞、そして出版、おめでとうございます✨


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