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人を見る目があるとはどういうこと?

noteに載せるため、懐かしいチラシを引っぱりだしてきた。

今もちゃんと繋がってるわけではないものの、人脈アピール(?)と取られたら嫌だし、記事にするか迷った。
ただ、やっぱり考えていることを記録したい気持ちが強いので、日記にしておく。

この「なにもかもなくしてみる」というイベント(学生は私のみだった)で知り合った方々(許可を得ていないため、念のため具体的な名前は伏せておく)は、芥川賞候補にはじまり、OMS戯曲賞や日本の劇戯曲賞など、その後目に見える実績を残し多方面で活躍されている。

それも作家としてお話しした方のほとんどがそうなのだから、集まるべくして集まったという気さえしてくる。
その中で、体調を崩していた期間が長かったとはいえ、いまだに当時からの積み重ねがない私は、奮起を誓うばかりで、

……いや、違う。こんな決意表明みたいなことをしたかったのではない。

では、なにが言いたかったのかというと、

「集まるべくして集まったという気さえしてくる」、ここである。

このイベントに劇作家の立場で参加するきっかけとなった、太田省吾さんの本を読んでディスカッションをする読書会に声をかけてくださったのは、大学でお世話になっていた演劇評論家の先生だった。

詳しい経緯を思い出せないのではっきりとしたことは言えないが、おそらく彼が中心となって人を集めていたのだと思う。

であるならば、やはり見る目があった……そういう話になる。

正直、人を煽るのがうまい先生で、あのころ調子に乗っていた私(べつに乗ってなかったんだけれど、まわりからはそう見られていたように思う)は、このときいろいろと助言をしてくださった中心メンバーの方に、「あのひと、うまいこと人を煽ってくるから、注意するんだよ」といった趣旨の忠告をうけていたのだった。

その言葉がずしりと響いて、ちょっと距離を置いたりしてしまった時期もあった。
しかし、なんというか、単に私の付き合い方が下手だっただけなのだと思う。

卒論もその先生に担当してもらって、戯曲と両方で卒業するつもりだったのだけど、ちょうど体調に難があったこともあり結局は叶わずじまいで、その後は疎遠になった。

なので、機会があれば、また近いうちに会いに行きたいと思っている。

先生は覚えていないかもしれないけれど、学内で演劇の価値観が合う(と感じる)人がおらず悩んでいた私にとって、歳の離れた大人たちと議論を交わす時間はじつに有意義で、心が救われたのだから。

人を見る目があるとはどういうことだろうか?

私にはまだわからない。

あの輪の中に自分がいたというのは事実で、それ以上でもそれ以下でもない。

いまは、そう思っておこう。

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