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『ぼくの枕はかく語りき』(戯曲)

諸注意

上演された作品は、戯曲(下記にPDFで貼り付けています)とは異なる部分がございます。ご了承ください。
無断での複製・配布・上演を禁じます。
上演を希望される際はyoshiki.itoh.88@gmail.comまでご連絡ください。

作品概要

『ぼくの枕はかく語りき』は2013年に大阪・中崎町のイロリムラ・プチホールにて開催されたドラマティック・リーディングで、太田省吾さんの「なにもかもなくしてみる」という言葉をモチーフに書いた戯曲です。
まだほとんど執筆経験のない9年も前の作品なので、いま読み返すとたいへん拙く思えるのですが、上演済みの戯曲を一本くらいは読めるようにしておこうと、こうして掲載する運びとなりました。

この本を書くにあたって、彼のエッセイをいくつか読みました。しかしながら、そこで得た情報はひとまず横に置いています。それに縛られてしまってはおもしろくないと考えたからです。
なにもかもなくす……すなわち「無」。そのイメージから出発して、真っ先に浮かんだのは、「夢」でありました。夢を見るということは、小さな死です。私たちは毎晩、眠りながら向こうの世界を覗き見しているのです。そう、「夢」を考えることは「死」を考えることでもあるわけです。となると、いささか連想ゲームのようにはなりますが、「なにもかもなくしてみる」とは「死」のことであるとも言えるでしょう。
私は常々、俳優は死者であるべきで、演劇とは死の表現であると考えています。これは、伝統芸能である能などから知見を得ています。ですから、昨今もしばしば見られる、日常生活の延長線上のような芝居には疑問をもっています。

これまで語ったことは、ここを訪れる皆さまからすれば、至極当然、普通の話でありましょう。そうです、私は「普通」の物語が書きたかった。
前述したように、この戯曲はリーディング(朗読劇)として上演されました。身体性をともなう通常の芝居に対し、朗読劇は台詞でのみその劇空間をつくります。その際の作劇アプローチとして、もちろんいつも通りそのまま書くという方法もあるかと思います。ですが、私がとったのはト書きをなくすという手でした。
ト書きの持つ重要性は重々承知の上です。そこで、「枕」という存在を登場させ、これを「語り」としました。「枕」は人間に夢を見させる道具と言えますから、芝居という「夢」 ……つまり「死の世界」を観客に提供する立場とするのは悪くないのではと思えました(以上は、私がリスペクトする恩師の作風からも影響を受けています)。

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