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滲んだ絵

ある日、その先生は職員室から出てこなかった、ベルが授業のはじまりを告げているというのに。それは、先生と生徒たちの些細なすれ違いであったような気もするし、激しくて大きな衝突だったような気もする。何せ、小学生のときのことなので、記憶が曖昧なのだ。
私たちは焦った。そして、何人かの生徒たちが、とある計画を考え、実行に移す。生徒の一人(いや、二人だったか)が職員室へ先生を呼びに行き、教室に入ってきたところで「4ー3の歌」を皆で歌ったのだ。この歌は元の曲から歌詞を自分たちで考えて「替え歌」にしたものだ。先生の提案で三番までつくり、毎日帰り際に歌っていた。教室に入るなり響き渡る歌声に、先生が頬を濡らしたのは言うまでもない。

数年の歳月を経て母に聞いたことだが、親たちの間では「生徒にそこまでさせるのはどうなのか」という不安の声があったらしい。「そこまで」とは、毎日歌を歌わせていたことである。私の記憶では、その歌を皆と楽しく歌っていた覚えがあるから、それを聞いたときは、あまり気分が良くなかった。
だが、記憶なんてものは曖昧なものだ。時が経てば、だんだん、絵に水がかかったように滲んでぼやけていく。それも、つらく忌まわしい部分から順にその色は背景に溶けていき、形がすっかり変わってしまった都合のいい記憶だけが後に残る。それは、我々が持つ防衛本能なのであろうが、それによって、次のような記憶の差異が生じることになる。
これも後に母から聞いたことだ。私は、皆で歌を歌うのが嫌だと言い、家に帰ってくるとつらそうな顔をしていたという。その歌の内容はおぼろげながら頭に残っている。クラス全体を褒め称え、また、先生を褒め称えるものだった。おそらく、子供心にもその光景に恐怖を覚えたのだろう。あるいは、宗教的な危うさを感じたのかもしれない。
そして、数年後に先生と偶然出会った母によれば、先生も私がつらそうにしていることを感じとっていたという。そのとき同時に先生は、当時娘さんとの関係で悩み、不安定な状態にあったことも告白したとの話だ。

記憶というものは、時とともにその形を変えていく。覚えていなくていい記憶を、すこしずつ、水で溶かしていく。残っているのは、皆と笑っている楽しい記憶と、「生徒に真正面から向き合ってくれる、この先生が大好きだ!」というあたたかい気持ち。

それでいいのだ、と思う。

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