見出し画像

子供が「恥ずかしい…」を感じたとき、わたしたち大人にできること。

前回、前編で恥を感じたときに人は、恥を感じないようにするためにどうするのか?【恥を感じたときの4方向のコンパス】について書きました。

恥ずかしい…と思ったとき、

①自分を責める
②他人を責める
③抵抗する
④撤退する

あなたはどこに進みますか?というお話でした。


昨日、サークルで後編を伝えていて、実際にこのコンパスのワークをやってみてもらったんです。4方向全部を体感してもらうワーク。

すると、「このコンパスの東西南北を行ったり来たりしているだなぁということに気づいたよー」と感想をもらいました。


例を出してみます。最近わたしに起こった「恥」について。

それはある日、久しぶりに友人に会う約束をしていて約束の時間までに余裕があったから、土手を散歩していたときのこと。

突然フッと自分に違和感を感じた。

周りはみんなスポーツウェアにキャップを被ってウォーキングをしたり、ジョギングやサイクリングをしていた。

でもわたしだけはワンピース着て、大ぶりのイヤリングをして、ハットを被って歩いていた。

なんだか一瞬で居心地が悪くなった。
一人居場所を間違っているような気がして、わたしだけこんな格好してて、すみません。。と恥ずかしくなってしまった。

そしてわたしはすぐに散歩をやめて車に戻った。④の「撤退」に進んだ。もしかしたもう二度と大ぶりのイヤリングをしてこの時間帯に歩くことはしなくなるかもしれない。車にイヤリングを置いていくかもしれない。次はジーンズにTシャツになっているかもしれない。

それからしばらく車の中で心と向き合い、
コンパスの4方向全部をやってみた。

「わたしはわたし、周りがどう思おうと関係ない。誰が見てようがそんなのわたしには何の影響もないし。」と、③の抵抗を感じてみる。

「そらこんな早朝に散歩してる人なんてみんなスポーツウェアやろ。土手じゃなくてちゃうとこ散歩したらよかったのに。」と、①の自分を責める。

「みんながチラチラ見るからやん!だからまるでわたしが場違いみたいに感じたんやんか!みんなが見てこんかったらわたしは平気で心地よく散歩続けられたのに!」と、②の他人を責める。

わたしはあのとき、「その場相応しくない…」と④の撤退を選んだんだけれど、この①②③もあえてやってみると、無意識のレベルできっと全部感じていることだなって思った。行ったり来たりしていて、全部入り混じっているんだなって。


Livは「恥」を感じるとき、「帰属」「受容」「尊厳」のニーズが満たされていないことが多いと話していた。

わたしもまさに、

「属していない」
「含まれていない」
「受け入れてもらえていない」
「尊重されていない」

が、そこにあったとことに気づく。

そしてワークでは、

「その時に信頼できる人が隣にいます。なんて声をかけてもらいたいですか?」

という問いかけだった。

わたしは、

「みゆきはそのままでいいんだよ。そのままで大丈夫だよ。」
「イヤリング、可愛いよ。」
「そのワンピース、可愛いよ。」
「どんな格好でもちゃんとみんなあなたのこと受け入れているし、含まれているからね。だから安心していいんだよ。」

というような言葉だった。

誰かからかけて欲しい言葉で、自分の願う世界がわかる。4方向のコンパス。おもしろい。


そして、Livが話してくれた子供が恥ずかしい思いを感じた時に、大人に何ができるか?という話がとても興味深かった。

Livが当時8歳の息子がカフェにいたときのこと。

ーーーーーーーーーーーーーー

息子は飲み物と食べ物が乗ったトレーをもって歩いていたのですが、そこにあった段差で転んでしまった。ジュースはこぼれ、シナモンロールも転げてしまった。

その時に、彼は母に向かって、

「注意してくれればよかったのに。なんでこのカフェに段差があるって言ってくれなかったんだよ!」

と言った。

私は恥についてよく知っていたので、彼が恥を感じた瞬間、それが怒りに変わったと気づいた。

私を責めている彼を責める代わりに、私は「ちょっと恥ずかしかったね」と言ってそれらを片付けた。

そこには人が見ていたので彼が恥ずかしく思ったことを私はわかったから

別の飲み物と食べ物を買って、別の場所に座りました。そして、さっきの出来事について話した。

そして、人々が見ている前で彼に責められたことは、私にとっては恥ずかしいことだったと伝えた。

ある意味、家族というのは、恥ずかしい思いをした時に、それを話し、それは自然なことで、人間のニーズの帰属、受容、尊厳に起因し、その恥についてプロセスすることを学ぶところだと思います。そしてそこから私達は深いつながりを持つことができるのです。

—————————————-

と。。

あーーーーーーーーー♡
めちゃくちゃLivのこと好きになりました♡笑

Livは『恥と子どもたち』について本を執筆中らしく、今すぐ日本語で読みたい!と思った。子育て真っ只中の今っ!今読みたいーっ!笑

上のLivと息子くんの出来事で、わたしだったら「いや、あんたがちゃんと段差見てへんかったからやんか!」と言ってしまうと思う。でもそれも自分も恥ずかしかったからなんだね。自分の恥を感じないようにするために相手を責めていたんだっていうことに気付けると、すごく柔らかいところに戻ってくるなぁって。

そして「わたしも他の人に見られてる前で責められて恥ずかしかったんだよ」って伝えていいんだなぁって。

子供は「恥」感じた時に、その恥の気持ちを落ち着かせてくれること、助けてくれる誰かを必要としている。なぜなら、それに対処できる神経系をまだ持っていないから

相手を叩きのめしたり、追い込む代わりに、私たち大人にはできることがある。
膝に乗せて「恥ずかしかったね」って言ってあげること。

これ、わたし自身つい最近実感したことがあるんです。

3歳娘が再開したスクールでトイレに間に合わないこと。家ではできるんだけど。。
二日に一回、靴もボトボトになり、服を着替えて帰ってくる。

「明日はできる!」と本人はいう。
「うん、できるよ!大丈夫♡」とわたしも言っていた。前向きじゃん!って。でもそこに気づいてあげられていなかった。

スクールが再開して最初はとても楽しそうに行っていたのに、日に日に「今日はお休みがいい…行きたくない…」と言うようになった。

その時、以前ある方が自分が幼稚園のときにおもらしをした瞬間に、みんながサーッと引いた顔をして、その日からみんなと距離ができたって話をしてくれたことをフッと思い出した。

それを今でもそれを鮮明に覚えていると言うことは、とても恥ずかしくて、とても辛い思いをしたんだ。そして、恥ずかしかったっていうことにその時、誰も寄り添ってくれなかったんだ…って。

「恥」としっかり向き合い、対処しないとトラウマになっていくってLivは言っていた。その傷が深ければ深いほど、たくさんたくさん時間がかかると。


娘がおもらしをしたとき、わたしはその場にいないし、先生や他の生徒が娘に対してどのような目線や態度、言葉を発しているかはわたしにはわからない。もしかしたら寄り添ってくれているかもしれない。

わたしができることをしようと思った。

帰ってきたあと、落ち着いてから娘を膝に乗せて「トイレ間に合わなかったんだね。ちょっと恥ずかしかったのかな?」と聞いてみた。すると、ウン…と頷いて下を向いた。「そっか、みんなの前だったし、恥ずかしかったんだね。」と言い、また娘は頷いてギュッと抱きついてきた。

しばらくハグし、ゆっくり呼吸をしてジッとしてると、スルッと抜けて遊び出した。

すると、次の日から「行きたくない」と言わなくなった。たまたまかもしれないけど、何か違う空気間をわたしは感じた。

「恥」って本当に日常で、毎日のように感じている感情だなぁってLivのセッションを通じて初めて実感した。でも人はそれをいかに避けるように感じないように①〜④を行ったり来たりしているか、ということも。

NVCで感情の表というのがあるんだけど、何かのワークするときに話した出来事に対して、わたしは今まで「恥ずかしい」という感情を選んだことがない… ということに初めて気がついて驚いた。

それくらい人は「恥」という感情を避け続けているんだなって。


あー、もっともっとLivから伝えたもらったこと、

「子供が尊厳を失うとき」とか、
「恥を感じないようにしているのは、自分の一部がそこになくて、生きていない」と話していたこととか、
「1歳から1歳半くらいで恥を感じるようになる」とか、

シェアしたいことがたーくさんあるけど、ボリュームがすごいので、書いて伝えるのは一旦ココまでにします。


「恥」という感情、「あー今ここに恥ずかしいって感情があるなぁ」って気づき、その瞬間を楽しむようにしよう。

Liv、そして翻訳してくれた方、本当にたくさんのギフトをありがとう♡


では、また明日。

この記事が参加している募集

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡