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ランクの痛みの連鎖を断ち切るには…?

前編・後編と書いてきました。

書ききれなかったので、今日は最終回♡

(よかったら、前編・後編から読んでいただけたら内容がつながると思います♡)

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ランクというのは『多様性』であり、
勝ち負けとか、
どっちが上か下か、

ではなく、

ランクの痛みの連鎖を断ち切り、
『多様性の個性』と認めて補い合うのは・・・

『自己価値の承認』 が鍵になってくる



今までの「適合の社会」で
わたしたちがしてきたのは、

【行動】の良し悪し+【結果】の高い低い

=【存在価値】


だった。(悲し。。。)

教師としていつも子供に共感的で、
穏やかで、アクティブで元気だったら
=良い先生。

親として、頭ごなしに怒るのではなく、
いつも子供に耳を傾けて、
栄養満点のお料理を食べさせてあげて…
=良いお母さん。

いい成績とって、
運動ができて、
みんなと仲良くできて、
先生のいうこと聞いて、
=良い生徒。

行動と結果がその人の価値だった。

条件付きの承認。
条件付きの愛。


そうなるとどうなる?


自分の行動と結果にダメ出しをされると、
【存在否定】されたような気になる。

そうすると

「リベンジ」
「復讐」
「ランクの逆襲」

をしたくなる。


(講座内ではトランプさんの事例がとてもわかりやすかった。)


では【無条件の愛】とは??

よく勘違いされているんだけど、
どんな行動も許すことが無条件の愛ではない。

大事なのは、存在と行動・結果を分けて考えること。


行動は教育したほうがいいこともある。
(赤信号・ごはんに感謝することetc..)

ただ、行動と結果というのは、
子供であっても大人であっても、
いくらでも進化し続けることができる。

いくら行動と結果が未熟だとしても、
存在そのものが未熟なわけではない。


「存在そのものは変わらずに
本当に誰もが素晴らしい存在なんだ」

という【自己価値の承認】。

ここに「自分も」「周りも」行けるかどうか。

人は、行動と結果にランクをつけるんだけど、
自己価値の承認ができたら、

【ランク=存在】ではないとわかる。

逆襲しなくて済む。
多様性を受けれ合うことができる。


【行動と結果=自分の価値】
という世界ではなく、
自己価値の承認の世界を作りたい、

それには、

まずは、

『自分が自分に対して
条件付きの愛を止めること』

からスタートする。


「教師たるもの、親たるもの、こうあるべきだ。」
「そうじゃない自分は至らない、だめだ。」

その自分の中にある条件付きの世界を
まずは止めること。

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子供たちに、
「自分はどんな人ですか?」
と聞くと衝撃的な答えが返ってくる。

それは、
【行動・結果=存在価値】
になっているから。

「わたしはバカな子です。」
「わたしは思いやりがない子です」

本当にそんな言葉が返ってくる。

「それ誰に言われたの?」

「小さいころからお母さんに言われてきた。」

「なんで?」

「二つ下の妹がいて、その妹にお菓子とかおもちゃを譲りなさいって言われる、だけどわたしはあげたくない。だからあげたくないっていうと、

『ほんと、思いやりのない子だね。お姉ちゃんなんだからさ、もっと妹に思いやりを持ちなさいよ!』

って言われたきたの、だからわたしは思いやりのない子なの。」


本当に子供たちの内側にこういうことが起こっている。たくさんの子供たちがこういう答えを言うそう。

(泣けてくるんですけど…)


そこで、こう声をかける。

「『思いやりがない』とお母さんが感じた『行為』をしたかもしれないけれど、思いやりがない人として生まれた人は一人もいないんだよ。」

すると、子供たちは衝撃的な顔をするそう。

(泣けてくる。。。こうして一人一人の子供たちの心に自分へのあたたかさを思い出してほしいよ。。)

そんな風にわたしたちは「存在価値」と「行動」をどこかで繋げて話している。そうやって大人が生きていると、子供たちにも連鎖されていく。


人は他者評価・他者承認を求めている。
だけど、それをもらっても
わたしたちはどこか受け止めていない

自己価値の承認ができていないと、
周りからいくら褒められても承認されても、
「承認」として捉えていない。

本当に自分で自分を承認していないと、
「いやいや!そんなことないよー!」
って【受け取ってない】

「承認」って聞こえていない、
スルーしている。

だから、
他者評価を求め続けることが終わらない。

だから、
自己価値の承認が初めの一歩。


赤ちゃんって、ただそこにいるだけで素晴らしい。

自分で食べられなくても、
自分で動けなくても、
自分で眠れなくても、
本当に存在だけで価値がある。

ところが成長していく上で大人たちは、
「行動で」存在を図るようになってくる。


あの子はもう歩けるのに
うちの子歩けない
…

あの子はオムツ取れているのに
うちの子はまだ取れない…

あの子は九九が言えるのに
うちの子はまだいえない言えない
…

あの子は偏差値が高い高校行ったのに、
うちの子は地元の誰でも入れる高校…


こんな風に、
どんどん結果に存在をくっつけ始める。

社会的に適合できるのかできないのか、
というところに評価がついてくる。


結果が先にある、結果ありきの社会。

【結果→行動→存在】

結果を先に出そうとする。

結果を先に求めようとする。

「結果(資格)が取れたら、
わたし自信を持って何かができる」とか。

だけど、結果というのは一番最後にやってくる。
時間の遅れとともに、やってくるもの。
結果を先に求めていると何もできない。

〇〇があったら、
もっと自由にこんなことができるのに。

〇〇があったら、
わたしんだってこんなことできるのに。

良い学歴があったら、
良い大学に入れたら、
良い会社に入れたら、

自信が持てて、自分は堂々を振る舞える、
みんなに優しくなれる、
という順番。


そこから、ぐるんをひっくり返して、

「存在」を先に持ってくる。

【存在→行動→結果】

何も持っていなくても、
何も獲得していなくても、
まずは自分の存在そのものを承認する。
そうすると結果的に
自分の内側にスペースができて、
人に優しくなれる。


こうした自己価値の承認、
自己肯定感の高さを、
自分だけランクを上げても
受け取り続けるしかないので、

みんながやっていくことが大事。


こうして、ランクに気づいて、
社会を見てみる。

ニュースを見てみる。

今までにはなかった視点で
物事を見つめることができるかもしれない。

————————————

以上、三回に渡って、

【学校の「今」を対話し「未来」を創る】

という講座から、

『ランク(人と人との間の力の差異)』

についてアウトプットをしてきました。


わたしはまさに今「自己価値の承認」
と向き合っています。

ずっと、ずっと、ずっと、

「頭がわるい」
「学歴もない」
「運動神経もよくない」
「難しい言葉も知らない」
「大した個性もない」
「飛び抜けた能力もない」
「英語も中国語もダメ、語学のセンスもない」
「料理だってあるものでパパッと作れない」
「おしゃれのセンスがない」

=「自分には価値がない」

と思っていた。

もっともっとたくさん、
書き切れないくらい出てくる。


うちの子供たち。

上の息子は、

「僕はこれができないから」
「僕はすごくないよ」

と「ない」という言葉をよく使う。

一方、下の娘は、自信に満ち溢れている。


息子に対しては明らかに
「できないところ」を指摘してきたから。

「これはできたけど、ここができてないよ」
そんなことを言ってきた。

うちの父と暮らしているときも、

「言うこと聞かへん悪いやっちゃな!」
「お兄ちゃんやろ!分けてあげなさい。お前はケチやなぁ。」

とたくさんたくさん言われてきた。

でもその教えが当たり前の時代だった。
父も父で精一杯やってきた。
わたしもそう言われてきたし、
そうやって伝えることしか知らなかった。

でも、気づいたわたしは、
他の道があるって知ったわたしには、
今はそこが大きな大きな「痛み」となっている。

でも、そんな自分も受け止めたいし、
許してあげたい…っていつも思ってる。

でも、それはそんな簡単にはできない。


だから、今「自己価値の承認」と向き合っています。

最近始めた【挑戦】も学び始めてみたら、
やっぱりそこだなって思った。

これは誰の力も借りなくても、
自分の力でチューニングできるものなんだ
ってことをたった数日で体感してきている。

生まれ変わると思います。

今まで自分が持っていた
価値観や概念がぶっ飛ぶと思います。

1年かけてじっくり。
わたしが一番楽しみだ♡

そして息子にも今からできることをしていくの。


では、今日も読んでくださり、
ありがとうございます。

ハートフルな一日を♡
また明日、ココで♡

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