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ランクの逆襲
このタイトルだけでわたしはこわいなぁって思うのですが、そこに光を当てていきたいってお話。
昨日のつづき。
人と人の間にある「ランク(力の差異)」について、
男性/女性
先生/生徒
上司/部下
親/子
というような「社会的ランク」や、
行動力のある人/ない人
自己肯定感が高い人/低い人
なんでも乗り越える力のある人/ない人
などの「心理的ランク」。
ランクには4つ種類があるよーというお話のアウトプットをしました。
(詳しくは昨日のnoteを♡)
では、今日は学びの続きを後編としてアウトプットしていきますね。
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みなさん、教育現場には、どんなランク(力の差異)が存在していると感じますか?
・校長や教頭/先生
・先生/生徒
・通常クラスに通う生徒/不登校や通常のクラスに通えない、または通わない選択をした生徒(それが自分の選択だとしてもランクが下になることがある…)
わたしは、
・モンスターペアレンツ/先生
って答えたんですね。
すると、
「みゆきちゃん、それはどっちがランクが上なの?」と、ファシリテーターの渋谷聡子さんに聞かれました。
普段わたしたちは、先生に対して遠慮したり、言葉を選んだり、どこか自分が下だっていうイメージがありませんか?でも、この場合わたしは「モンスターペアレンツ」が上だと思ったんです。好きなこと言うし、先生は言い返せないし。
保護者の方が比較的自由に発言ができる。でもそれに対して、教師が「うっせーコノヤロー!」とは言えない。教師は受け取らなきゃいけない。一回聞かなきゃいけない。
だって、教育委員会とか、報道されるかもとか、弁護士とか、訴えられるとか。。今の時代はあまりにも先生たちのリスクが高い。
(その分、先生たちはほんとうに孤独だなんだと知って、講座中にわたしは涙。。。)
先生同士でも、新米先生やベテラン先生、主任などのランクの差があり。
保護者間でも、働いているお母さんと専業主婦(PTAは専業主婦の人の方が時間あるでしょ?みたいな圧力とか)、お金持ちの家庭とかでランクがあったり。
子供同士でも、勉強ができる、足が速い、リーダーシップがある、おしゃべりが上手で人気者、英語が話せる、顔が可愛いとか(今だったらYouTuberの子とかもあるかも)などの様々なランクの差がある。
ではでは、
★ランクが高いとどうなるの??
「できることが当たり前」だから、ランクの高い本人に気づきにくい。
相手ができないのは、相手の能力とか、頑張りが足りないからだって見えてしまう。無自覚にランクの乱用をしてしまう。
「上から目線」と言われるものは、相手からするとそう感じたり、強要されているように感じるのだけれど、本人はそんなつもりはない。
★ランクは低いとどうなるの?
相手の高いランクにすごく敏感。
(めっちゃわかるわ、これ。)
相手はそんなつもりじゃないのに、相手は上からだとか、見下されているとかを体験をする。
(わたしの中にこれめっちゃあるぞ。)
そうなると、何が起こるか?
<ランクの逆襲>
言葉だけだとこえー。。
例えば、めちゃくちゃ美人で仕事ができる、でも独身の上司に部下が怒られた時に、どんな感情が湧く?
「だからあいつ結婚できないんだよ」
(言うたこと…あるかな…あるかも。笑)
その相手のランクが低いところを突っつきたくなる。ランクの逆襲をして、自分の生存を担保しようとする。防衛本能。
(みんな生きていて一回は経験あるんじゃないかな。)
そして、ここからさらに大事。
実は、このランクの逆襲が、世の中に起きている事件に絡んでいることが本当に多いそう。
例:幼児虐待
社会的にランクが低い痛みを持つ親が、自分よりもランクが低い子供に逆襲をする。
その逆襲というのは必ずしもされた相手にするわけじゃない。
ランクが低いところ低いところへいく。
コロナや社会情勢が悪くなると、元々ランクが低い人たちのところにさらに痛みが集結されてくる。
ランクというのは、誰しもが持っているもの。
個人や集団の対立などの根源にある力の差。
この個人や集団の力のバランスが取れていないと、さらに大きな社会の政治や階級などの対立に結びついて、差別や紛争を起こしていく。
力の差異に無自覚であると、乱用してしまう。だから、自分の中にあるランクに気づくことが大事。
今まで生きてきた中で、自分が「犠牲者」のような気持ちになる体験をしたこと、ありませんか?
または相手を抑えつけるような「抑圧者」になったような体験をしたこと、ありませんか?
おそらく、両方あるじゃないかなって。
わたしだったら、職場の上司からパワハラのようなものを受け、身体を壊した体験であったり、母として子供をコントロールするような、力で抑えつけるするような体験であったり。
これって、両方に「痛み」があるんです。
そこの痛みやトラウマのようなものを癒さないと、相手がその本人に対してじゃなくても、誰かしらに復讐やリベンジは繰り返されることになる。
自分の中にある「ランクの痛み」というものに気づいて、そこの痛みを解放しないと、相手への心からの共感というのが難しい。
それには、まず自分の中になる痛み・傷に共感をしていくこと。これがランクの世界を超えていくキーとなる。
そして、「ランク」というのはなくならないんです。
このランクというものを、どうやって捉えていくのかが第一歩目。
① まずは自分のランクに自覚的になること。
→必要に応じてランクを引き受け(親として子に必要なこととか、上司として部下に必要なこととか、自覚して引き受ける)、そして不要なときは手放す。
② その自分の中にあるランクによって「犠牲者」や「抑圧者」になった痛みを『共感』で癒していく。
復讐したいという気持ちが収まらない限り、相手へ思いやりや慈愛は生まれない。対話に向かっていく上でも重要。
なるほどなぁ。
わたしがココでフッと感じたのは、もし、我が子が学校で何かあったとして、「先生ちゃんとしてくれてるんですか?先生だったらなんとかしてくださいよ!」とランクを逆転させるのではなくて、「先生、わたしもこのことについて一緒に考えてもいいですか?」と言いたいなぁって。
(英語や人種のランクがあるので、この街に住んでいる限り、ムリかもしれない。。)
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ランクの高い人たちの「痛み」ってなんだろう?
それは『圧倒的な孤独』。
ランクが上げれば上げるほど、トップになればなるほど、孤独を感じる。
上の人は自分のランクに気づかない、ランクは下からが見えやすいと、書きました。
しかし、この圧倒的な孤独やランクの上の人の「痛み」は、下からは全く見えない。これはよくあること。そこに『光をあてる』ことが大事。
校長先生には校長先生の孤独さ、痛みがある。
部下は不満を言うけれど、管理職は管理職で誰も助けてもらえなかったりして孤独だったり、痛みがある。
親はいろんなことを背負って、それを子供に見せないようにしたりしますよね?
親にも孤独がある。でもそれは子供には見えない。なんとなく察する子供も多いけれども、それがなんなのかとハッキリと理解するのは大人になってからだったりする。
こんな風に、夫婦や親子だけでもあるランクが、集合体(学校、社会、コミュニティなど)になってくると、どんどん複雑になっていく。
このランク逆襲やパワーバランスが働いているということを、ちゃんと引いてみれることが、学級運営とか学校経営に本当に大きく変わる。
いじめをする子はランクが高い子が多い。
頭が良くて、足も速かったり、リーダーシップもある。
でもそのパワーの強さをいじめを牽引するところに使うのか?
それとももっとリーダーシップに発揮して、みんなを引っ張る方へ使うのか。
ランクが高いことを自覚し、ランクが高いことをちゃんと祝福することが大事。
ランクが高いのは才能というよりも、その人の責任。
自覚して、祝福して、それを社会のためにどう上手く使うか?
こうして、ランクを見れるようになるっていうのが重要。
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今日はここまで。
後編にしますって言いながら、まだ終わっていません。笑
ヨシ、また書こう。
最後のいじめっ子はランクが高いっていう話。
もし、いじめっ子たちが、
「お前は悪い子だ!成績を下げる!」
と言われる代わりに、
「君はこれだけ人を引っ張る力があって、それはとてもとても素晴らしいことなんだよ。その君が持っている力を誰かを悲しい思いをさせるために使うのってなんだかもったいなくないかなぁ?
先生はね、もしかしてこういう場面で活かしてみることができるんじゃないかって、そして、それはクラスのみんなにとっても贈り物のような体験になると思うんじゃないかなって思うんだけど、どう?」
と言われたら、どう感じるんだろう?
「うっせーうぜーよ、どっか行けよ!」
って言われるかもしれないし、どうなるかはわからないけれど、「悪い子」と言う言葉が心や身体に残るよりも、何かしらの「種」は植えられるんじゃないかなって、わたしは希望を感じました。
明日はランクの痛みの連鎖を断ち切るには、〇〇〇〇が大きな可能性を秘めているっていう話を、アウトプットします。
では、今日もハートフルな1日を。
また明日ココで♡
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