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身近にいるアホに言われたことは無視していい話。

タイトル通りである。
少し言葉が強くて申し訳ないが、こんな感じで書いていく。

身の回りには様々な種類のアホがいる。
上司、先輩、親、友人あるいは、メディアなど日々生活していく中で本当にたくさんのアホに触れていくことになる。
そういう人たちや存在は、立派な肩書きや経歴を盾にして、いかにもそれっぽいが空虚な、
アホ語録から引用したアホ語を話して偉そうにいろいろふっかけてくる。

が、無視していい。完全に無視。
「はぁ?」と思う相手は強く心に決めて無視するのだ。

でもまあ、ただ無視するだけだと不安になるという人は
まず自分の中で基準となる存在を設定すると良い。

心の中に決めた、尊敬する人がいればその人だけを信じて進めばいい。
アホからの評価は気にしない。
推しがいれば推しの言葉を心に留めて頑張ればいい。

私は文章は下手なのだが、身近なアホに貶されても気にしない。
私は自分の書く文章が好きだから。
もしアホが文章で食っているとしても所詮はペーペーのこちらに絡んでくるくらいの暇人であり、
アホはその道の端くれとしてその世界にしがみついているだけで大売れっ子作家なわけでもないのだから
全くもって言うことを聞かなくていいのである。
むしろ従ってその人に気に入られてしまい似てしまったら、己まで売れないつまらない物書きになってしまう。そして若者を潰すモンスターになってしまう。

アホが私の文章にごちゃごちゃ言ってきたところで所詮、何の意味もないのだ。

と、自分に言い聞かせたところでどうしても、面と向かって言われてしまうと落ち込むだろう。
私だってそんなに強くないので、まあ、普通に凹むわけなのだが、
そういうときに「心の師匠」が大事になってくる。

私の中で「心の師匠」が何人かいて、文章についてはこの師匠たちを基準にしているので、そのレベル未満の文章を書く人の話は無視していい。

当たり前だが、文章を褒められたら喜んでいい。
しかし、褒めることによって何かを変えたりコントロールしようとしてきたりする人の話は聞く必要はない。違和感に従うべし。

相手が言ってくることはその人の知識や能力に基づいており、それが大したことないのなら参考にしてはならない。
ただ、相手の知識の多さや考えの深さや柔軟さを察知するために己も普段から広い知識や高い能力と想像力を出来る限り身に付けて、学んでおくことが必要になる。
もし、ものすごく知性の優れた人と接する機会があったとしても己の知性が絶望的に劣っていたら、何も理解できず学べないという勿体無い事態が発生してしまうからだ。
全てを知っておく必要はないが、参考にすべき人を見分ける力は日々鍛えておくと良いだろう。

見分ける際の話だが、仮にアホな人が経歴がご立派で目上の人であっても、それは現時点でそうなだけである。
将来の自分がその人と同じ年齢になったときは比べものにならないほど偉くなっている可能性があるのだから関係ない。
「そこまで自信が持てない」という人は、身近にいる尊敬する人や著名人をいろんな世代で見つけておき、それと比較することである。
別に技術とか能力的なものは仕事にもよるし特に優れていなくてもいいのだが、人格的にどうか、ということを照らし合わせて欲しいのである。
で、「○○みたいな有名な人だって、この年齢でこんなに謙虚なのだから、○○と同い年でこんなに威張っているこの人はやはりアホなのか〜」と思える。そんな感じである。

逆も然りで未熟な若者に会った場合、どんなに若くても「はて、この人と同じ年齢の頃の私はこんな未熟だったかな」と考えてみると良い。
それで大体わかる。「若気の至り」は案外少ない。その人の単なる性格の場合も結構、ある。
「ああ、この人は若いのではなく単に考えが深くないタイプなのかもしれない。私はこの年齢の時、もう少し柔軟に考えられたはずだから。」などと思わされる。

肩書きやパワーバランスに靡く人は基本的に自分の考えや評価基準がなく、言うことがコロコロ変わるので気にしなくていい。
偉い人からの命令とあらば「はい、世界中のカラスは1羽残らず白いです!」と言えてしまうようなタイプだ。
「社会人だから」とか「生きるため」とかもっともらしいことを言うだろうが、仕事でやる人はプライベートでもそうするし、人生そのものがそうなのだ。
だから、そういう人に近付くと、見てくれは悪くないが掴みどころのないフワッとした中で、うっすら幸せなのに全く楽しくないというハリボテ人生になる。
無難に過ごしたい人には良いのだろうが、私としては非常に物足らず、一人の個性ある人間としてはどうなのかと疑問に思う。

アホじゃない人、は本能的にわかる。
優れているにもかかわらず対等に向き合ってくれる上に嫌味なく褒めてくれて、会って話すだけで幸せな気分になれるような人である。
(めちゃくちゃ美形だから話すと幸せになれる、とかはNGである。あくまで相手に出会ってコミュニケーションをとった際の感覚の話である。)

幸せになれる、とはつまり「自分を好きになれる」ということである。
そしてその幸せは「自分のことが好きな人」からお裾分けされるものである。

目的地が「自分を好きになること」だとしたら、アホな人たちはその標識を見失っている状態。
だから、不安だからといって、他人をコントロールしようとする。
まあ、無理にそうなろうとするのは難しいが、惨めな思いをさせてくる人とは縁を切るべし。

また詳しく書きたくなったら、追記する。

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