見出し画像

昭和時代の管理教育を令和時代のスポーツに当てはめて効果はあらわれるのか?

昭和時代の管理教育を令和時代のスポーツに当てはめて効果はあらわれるのか?

という題名で少しばかりお話をします。リンです。

さて、スポーツに限らずですが最近色々話題である子供の「育てかた、しつけ方」。その中でもスポーツというものは人間性が見えやすいものであるし、チームスポーツ(たとえ個人スポーツでも基本仲間がいるので)であるがゆえとても問題視されやすい。これは支える人が多いため、目につきやすかったり、自分自身が支える側に回る事が多いからである。

俺はこうだった。という指導者

たしかにこういう指導者はしっかり実力者であり、他人に有無を言わせない人が多い。

こうみれば

実力がある=もの凄く努力家であり、そのため才能が開いた=その人のやり方はあっていた。

という方程式はあながち間違ってないとも言える。

しかしこのやり方が

「疲労がハード」で「原始的」かつ、「精神がやられる」ものであったらどうだろうか?

100いて99人はダメになると思う。

例えば実力者には「昭和時代の田舎で培った雑草魂」を持つものが本当に多い。

この雑草魂で成功したやり方をほぼ変えずに、精神から何までを管理、統制をし、趣味やプライベートも許さず、思春期の現代っ子。つまり「令和時代の都会で育った者」に教えたらどうなるであろうか?


ただただ「拒絶反応が起きる」

ただだだ競技や大人が嫌いになりますよね。

何故 指導者の大人たちは、自分の成功が皆の成功だと思うのか。

心当たりのある指導者や親達は今一度考えるべきだ。

子供たちは昭和時代の管理教育世代とは違う教育を受けている。

子供たちはまだ何も分からない吸収段階。そこにひとつの答えを導き出させようとすることはあまりにもおかしな話だ。

End

このサイトの運営継続のためのサポートよろしくお願いします。