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うつ病になった時、心の悲しみだと思っていた事は、怒りの塊だったことを、今思い出した。

こんにちは、リン☆だあく(@rindark)です〜! 
今思うと、以前のわたしは、かなりのネガティブ思考の持ち主でした。
何か悪い事が周りに起こるとそれは、全部わたしの言動のせいだと思っていました。
どうして、こんなにも辛い考え方しかできなかったのか、今のわたしから見るととてもかわいそうな少年時代だったと思っています。

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1、自分が悪いと悲しみに暮れていた

自分が成長して行く過程で、何かが間違っていたのは現在のわたしからみると明らかです。
そうでなければ、負の現象の全てを自分のせいにはしなかったはずです。
わたしの父はアルコール依存症でした。(当時はそれが当たり前で、それがアルコール依存症だと知ったのは最近です。)
その影響でDVも目撃しましたし、父からの暴力も日常の事でした。
しかも、そんな家の長男だったため、跡取りとしての重責がわたしの肩にはかかっていました。

1-1、誰かの文句は自分のせい

本家の長男としての重責の中には、一族を率いるという教育があったのだと思います。
それは、例えるならば、生まれながらにして市政を担う市長になったようなもので、全ての責任が押し寄せてくるものでした。
それだから、少年だったわたしは、全ての悪い事、誰かが家族の文句を言っていることはすべて自分のせいだと思っていました。
これは、今思うとかなりつらい考え方で、自分で自分を苦しめてもいました。

1-2、上手く行かないのも自分のせい

家族の関係が上手く行かないのも自分のせいだと思っていました。
わたしがいい子でいないから、家庭内が緊張感と暴力があるのだと信じて疑いませんでした。
ずっと親からや親族から、弟や妹が問題を起こしたとしても、それは長男であるわたしがきちんと教育をしないからだと言われて育ちました。
けれど、そんな事は本来は親が担うもので、少年であったわたしの責任ではなかったと今のわたしならわかります。
しかし、当時のわたしにはわからなくて自分を責めるばかりでした。

1-3、誰が怒ると自分が悪いと思ってた

そういう家庭で育って来ていると、家族の中で怒りの感情がどこかに渦巻いていて、当時から怒りをうまく表現できなかった(怒りを表現したら殺されると思っていました。)わたしは、誰かが怒ることはわたしが悪いからだと、それも自分のせいにしていました。
逆に言うと、自分が怒るよりも、自分のせいにして事をおさめる方が楽だったのかも知れません。
しかし、そのせいでこの蓄積され、表現されなかった自分の怒りは、知らず知らずのうちにわたしの心に溜まってしまっていたのでした。


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