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樹々と共に②

少女は少年のもとに今日も訪れた。時間は昨日同様に真夜中。こんなにも暗い森の中で、どのように時間を管理しているのか。そして、村から出ていく少女の後ろ姿を眺める人影もあった。
ただし、その人影は、動かない。

「やあ、昨日の今日でもう来たのかい」
少年の目は昨日ほど強くなかったが、それでも何かを想うように樹々を見つめていた。
「たくさんおひるねしてきた」
少女の目は、暗いながらも輝いているのが分かった。瞳に湛えた潤いを、逃すまいとしているように表面張力が健気に働いている。
「あと、これ」
幼気な少女は、そのままの笑顔で少年の前に握り飯を差し出した。
少年は物を食す必要などないのに。
「あぁ、ありがとう。あとでゆっくりいただこうかな」
優しい噓。
「めしあがれ。きょうは、なにするの?」
美しい瞳。
「今日は、お話をしよう。きみの知らない、外の世界のお話だ」
身を乗り出す少女。
「おそとの、せかい?」
額をゆびさす少年。
左手には昨日のVSE。
少女は輝く瞳が落っこちないように、はやる気持ちを抑えるように、どこか理解が追い付かないようなそんな面持ちで、VSEを両耳に嵌める。

ここは?
この国の、ちょうど反対側。
はんたいがわ?
そう。この丸い地球の、ちょうど反対側にある国だ。
まるい……ちきゅう……。
なんだ、プラスチックは知っているのに地球は知らないのかい。
きいたこと、ない。
じゃあ太陽は、って知っているわけないか。光を知らないんだもんね。
たいようは、しってる!
なんでよ。
かみさまは、たいようのうまれかわり!
きみたちには信仰する神様がいるのかい?
しんこう?
信じているってこと。
いる! みんなかみさまのことおねえさまってよんでる!
御姉様。
そう。すごくきれいなの!
ふうん。それは興味深いね。
あ! あおいとりさん!
お、もう“あお”を覚えたのかい。すごいね。じゃあ、あれは、どの“あお”かな?
あお!
そうだね、あれが青だ。美しいだろう。
うつくしい! でも、どうしてあのとりさんはひとりなの?
いちわ、だね。どうしてだろうね。何かを待っているのかな。ご飯か、それともお母さんか。
ううん、たぶんあのとりさんは、おともだちをまってるんだとおもうわ!
お友達?
だって、あなたにそっくりだもの。
 

少年は思わず額から右人差し指を離しそうになった。そして、その行動に思い立った自分に驚いた。感情なんて無いはずの、作り物の少年は、自分が驚いたという事実にも驚いていた。
「いつの間にか、こんなものすらも備わっていたのか。ねぇ博士、なんてことしてくれたんだい。確かに家出する前の三日間の記憶は無いけどさ」
自分が、目の前の人間に近づいている。その事実が、少年のあるはずの無い心を締め付ける。
「人間はいいよなぁ。少しの断片があれば、記憶を遡れるんだ。一方僕なんて、破損したデータは返ってこない。ねぇ、お嬢さん」
少年の声は、VSEに遮られて少女には届かない。
 

突然、頭の中に少女の鳴き声が響き渡る。
うわぁぁん!
どうしたんだい?
とりさんが、とりさんが……
血塗れだね。おかしいな。こんな景色を見せたいわけじゃなかったんだけど。ごめんよ。やっぱり欠陥品みたいだ。

少年はそれだけ言うと、少女の額から右人差し指を浮かした。
開かれた少女の瞳は、さっきまでどこから差し込む光なのかは分からないくらい輝いていたのに、その表面張力は役目を終えたかのように息絶え、大きな瞳から涙が溢れる。
暗闇の中で、的確に少年の手を取ると、少女は自分の頬に当てた。
「つめたい」
「ごめんね。悲しい景色を見せてしまった」
「いいの。でも、いなくなっちゃったのかとおもって」
自身の存在を伝えるように、少年は空いている手で少女の頭を撫でる。
「じゃあ、今度はお嬢さんのお話を教えて。知っているお話。御姉様のことでもいいな。御姉様について教えてよ」
流れていた涙は止まり、少女の瞳にまたしても役割を取り戻した表面張力が現れる。
「おねえさまのおはなし!」
「そう。神様なんだろう? 神話とかあるの?」
「うん! このせかいをつくって、たいようとしてみんなにすーはいされてるきれいなおえねさま!」
「創世神話か、それに太陽。でも僕の知っている綺麗な太陽女神は世界までは創っていないな。それに、きみたちは太陽を見たことないじゃないか」
「だから、すーはいするんだっておばあさまがいってた!」
見たことの無いものを、見たことが無い故に崇拝する。その気持ちが、少年には理解できなかった。
事実として、事物として、事象として認識できるものでなければ、少年にはインプットがされない。
「見たことないからこそ、ね」
「おばあさまがよくおはなししてくれるの」
「どんなお話なんだい?」
「えっとね」
少女は何かを思い出すように、さっきまでの少年とはまるで違う目で樹々を見上げながら、言った。

「おねえさまが、おいわのなかにとじこもっちゃったときに、わたしたちのおばあさまのおばあさまの、もっともっともーっとおばあさまが、おねえさまのおせわをしていたの!」



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