見出し画像

おそろしい保育園

ここ何日か甥っ子が実家に来ている。

まだ2歳で保育園に行ってるんだけども、この夏実家の近くに引っ越してくる。
そのため、先月から度々帰省してるが今回は新しい保育園の慣らし保育というものらしい。

慣らし保育では、朝から三時間ほどの滞在して帰ってくる。
私は甥っ子が帰ってきた頃の騒音で起きるので詳細はよくわからない。

今回書きたいのは私の感じる保育園という場所の凄まじさ。とはいうものの私は大人になってからそんな場所には行った事がない。そんな私が凄まじいと思うのはそのウィルスや菌などの濃度。

これから話すことは私の偏見という枠組みを超えないので反感を買ってしまうかもしれない。

というのも甥っ子が保育園に通うようになった昨年の夏。それまでは実家に帰省を繰り返し、私も時間の許す限り甥と遊んだしその時間は日常のストレスを忘れ、心身を充電する大切な時間だった。彼が保育園に通うようになったことでその時間は身体を試される時間へと変わっていった。出来るようになることも増え、会うのはすごく楽しいし相変わらず時間の許す限り、人見知りが本格的になった甥に認めてもらえるように一緒に遊んだりして心の余裕を取り戻した。

大体、土日に帰省するので一泊ほどで帰ってしまう。せいぜい一緒におままごとして終わるのだが次の日、朝起きて歩くのが辛く、きっと微熱があるのだろうと思いながら迷惑が掛かるため、体温を計測せずに仕事へ向かう。この一連の流れで私にとって甥っ子の帰省は度々やってくる身体の限界を試す機会となって行った。

その時期からもう半年になろうか、もう仕事も辞めているがわたしの体調は甥がくる毎に悪化する。しかし誘惑とはなんとやら、体調崩すなあと思いながらも遊んでしまう。

今年の正月の帰省だったか、仕事が始まる2日ほど前に甥が帰り、仕事が始まって2日ほどでひどい下痢と高熱が始まり会社を5日ほど休んでしまった。病院では胃腸炎の類だと言われたがいい加減次の帰省では甥っ子と距離を保とうと思った。

確かその月のうちに、内見か何かでもう一度甥っ子がきた。
極力接触しないように。まあでも、私にも予定があったりで少し喋って昼食を共にしたくらいしか接近の機会はなかった。
なのに、それなのにまた37.2。その頃には鬱症状やパニックなど常に体調や精神が宜しくなく、ただ全てのことに対して熱意がなく生きているのも不思議なくらいだったので自分にそれだけの体温が出たことに逆に驚いた記憶がある。

それでまあ二月になると仕事も辞めることが決まりなんだかんだの体調にはあまり関心がなくなった。
しかし、姉たちの新居が決まってから帰省頻度が増え、一方の私は仕事もしてないので体調の悪化による懸念点がない今、帰省の度に目一杯遊んでやってる。姉も契約やらなにやらできりきりまいだったので面倒を見てやってるのもある。

ただ保育園児の持っているウィルスや菌は数知れず。昔からうちで誰かがインフルエンザを持ち込むと必ず自分も発症した。ウィルスには滅法弱い私には必殺である。

保育園に入る前はあれほど一緒にいても平気だったのに、保育園という場所は恐ろしい。
甥っ子もたまに熱を出すというのだが特に実家に来た時に体調が悪い訳ではない。
 常に多少免疫力の弱い二十代女性なら発症させてしまうほどのウィルスだか細菌だかを持ち帰っているということだ。

私が尊敬するのは姉だった。
毎日我が子が持ち帰るウィルスや細菌に負けず家事育児と仕事をこなしている。飛んだ免疫力の持ち主である。鈍感力というよりも本当にその得体の知れない敵に抗体で打ち勝ってるという感じだ。
甥っ子にしてもその小さい体で自信は免疫力を持ちなおかつウィルスや細菌を生きたまま持ち帰る媒介者となり役目を果たしている。

きっと幼稚園や保育園の幼稚園の園児はみんなそれだけの自己防衛能力があり、父親や母親、保育士や先生にも抗体がある。
それだけの得体の知れない何かが混在するその場所は想像するにも恐ろしい。

思えば私の幼少期から現在にかけて私の母が発熱しているのを見たことがない。家中インフルエンザにかかった時も母は健康そのもので管理にまわっていた。母親の神秘なのか科学的な母性の証明なのか思えば恐ろしいことだ。

ちょうど今、甥っ子は4泊といつもより長く滞在している。が、私はすでに37度台の微熱があり頭痛寒気に弱々しくも負けている。喉は痛いし体は痛い。それでも私はまた、甥っ子を抱き寄せ、持ち上げ、「飛行機モード:などというよくわからん遊びを一緒にしてしまうんだろう。

そんな幼児のかわいさも彼の成せる媒介の能力なのかも知れない。彼がいよいよ引越し、生活した時に保育園に迎えに行くことだけはしないと決めたこの一晩である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?