十二歳の赤ちゃん返り

こんにちは、未織です。
少し時間が空いてしまいました💦

今日は前回の続き、妹が生まれた頃の話です。

「あかちゃんがくる、お姉ちゃんになる」

妹が生まれるまでの間、
私は本当に良い姉になるために色々がんばりました。

作文にも書いてあったとおり、
毎日、放課後は30分で宿題を済ませ、
両親の代わりに晩ごはんをつくり、
他にも色々な手伝いをしました。

夏休みの宿題も冬休みの宿題も、
その他の調べ学習や作品作りなんかも、
すべてが妹関連のこと。

夏休みの自由研究は、提出しなくてもよかったのに、

大きな模造紙にあかちゃん大百科なるものを
作りました。

あかちゃんがおなかのなかで育つ仕組み、
妊婦さんに大事なこと、
生まれたてのあかちゃんの特徴、
なりやすい病気や対処法、

などなど、様々な雑誌を読み漁り、
かなり立派な新聞を仕上げたのです。

さらに、二ヶ月かけて
かぎ針であかちゃん用のベストを作りました。

これはかなり大きめにつくったので、
実際に6歳くらいまで大事に着ていました。

学校がある金曜日の朝に破水し、
はやる気持ちを抑えて、
特別にケータイを持たせてもらって登校したことは
今でもはっきり覚えています。

なかなかお産が進まず、
生まれないまま夜を迎え泊まりになったため、

母から頼まれた、パジャマや薬や
加湿器なんかも、忘れずにひとつ残らず
大きなかばんに詰め、

両手で抱えてタクシーに乗り、
ひとりで病院まで運びました。

あの日々の、誇らしさ。


私が頼られているんだ、

他でもない、私だけが長女で、姉で、
私が家族を支えているんだ。

この頃のこの思いが、
私の自立心の原点であり、

その後歪められて忘れられてしまう、

大切な宝物の欠片です。

初めての、私より小さく守られるべき存在

24時間を優に越える、
相当な難産の末生まれてきた妹。

その存在は紛れもなく、
私が待ち焦がれた、初めての妹でした。

可愛くて可愛くてしょうがなかった。


ミルクを飲ませること、
おむつをかえること、

くるくるの髪の毛に触れること、
産毛をなでること、

すべてがいとおしくて可愛かった。

でも同時に、
見て見ぬふりのできない、
チクチクした思いが胸の隅に居座るようになります。

これからは、
この子の方が、私より小さい。

この子の方が可愛い。
この子の方が大事にされる。

私はまだ、一人でできないことがたくさんある。
助けてもらわないといけないことが。

まだ幼いままでいたい。

この子に、
お母さんを取られたくない。

できないことがまだあるよ、

見ててくれないと間違えちゃうよ、

間違えたら助けてくれないと、
自分じゃどうにもできないよ、

少し寂しさを我慢すれば、
少し考えれば、
一人でできることはたくさんあった。

妹が生まれる前までは、
私がやるよと誇らしくやっていたことが
いくつもあった。

でも、お母さんに守ってもらうために、

できないってことにしたい。

頑張れないってことにしたい。

少しずつ、
自立ではなく依存へ

成長ではなく後退へ

妹ではなく自分へ

意識が傾いていきました。

こんなはずじゃない

もっと良いお姉ちゃんになってるはずだった

という想いもちゃんとあり、
葛藤が強くなっていました。

当時の私の思いを正確に綴るため、
また作文を借りてみようと思います。

以下は、私が中一のときの、

『ハッピーバースデー ~命かがやく瞬間~』
青木和雄 著
金の星社

を読んでの感想文です。

この本は、

母・静代をはじめとして、
家族から精神的虐待を受け続け、

『生まれてこなければよかった』と追い詰められる少女・あすかが、

声を失って祖父母のもとに引き取られ、

祖父母の愛や様々な出会いから傷を癒して
成長していき、

その姿を見た家族の心も変えていく物語です。

普通は、
あすかに辛くあたる家族をひどいと責め、
あすかを応援したくなるところですが、

妹を素直に受け入れられなくなってきていた私には

この静代というキャラクターの
バックグラウンドや現在の境遇、

あすかに対する想いに親近感を覚え、

どのように静代が変わっていくのか、

心を成長させ、
自分と真っ当に対峙したあすかから

『ママと思うから甘えたくなるんだよね』

『これからママのことを静代さんと呼びます。
 もうママとは思いません。』

と言われてまで、

どのようにあすかと生きる道を選んでいくのか

そのことの方に強く興味をもちました。

当時の私の想いを振り返ってみます。

「小さな成長を、笑顔で見つけるために
ーハッピーバースデーを読んでー」
     未織 中1

「なんてひどい母親」
妹が生まれる前の私が『ハッピーバースデー』を読んだなら、そう思っただろう。


しかし、六ヶ月前に姉になったばかりの私は、少し違う感想を持った。
私の妹は、約一年前に母のおなかに来た。
そのことを母から知らされた時、私はしばらくほかほかとのぼせてしまった。

私にとって「赤ちゃん」と「お姉ちゃんになる」は、十二年間待ちこがれてきたもので、例えようのないくらいうれしかった。

その証拠に、妊娠六ヶ月頃に書いた作文には、「赤ちゃんがくる、お姉ちゃんになる、そう思っただけで、どうしようもなくて、躍り回りたくなる。」とある。

そして二月。
妹は生まれた。
もちろん私は出産に立ち会った。
母の手を握って、自分も一緒に死ぬ気でいきみながら、出てきた妹の頭を初めて触ったとき、私はじんわりうれしくなった。
初めて妹が笑ったとき、私も何だか楽しくて、笑ってしまった。

誰かに会うたび、「小さなお母さんね」とほめられる。
それがうれしくて、いいお姉ちゃんになるんだと思った。

だがしかし。

一ヶ月二ヶ月とたつ内に、私はだんだんしんどくなってきた。
生まれたばかりの頃からすれば、予想もしていなかった。
赤ちゃんの世話が大変だということは知っていたが、そうはいっても自分ならなんとかやれるだろうと思っていた。
そのはずだったのに、近頃の自分といったら、だめだ。

自分のことに夢中になって頼まれていた妹の世話を忘れ妹がティッシュを食べていたり、段差から転げ落ちていたり、ということもあった。
世話をしたくなくて、泣き声に気づかないふりをしたり、寝たふりをしたこともあった。

さらに親からも、「自分のことは自分でしなさい」と叱られることが急に増えた。
その度に妹が、その場を和ませるように私に笑いかけたり、その場を察してか、泣き出すこともあり、私のせいみたいでみじめだった。
なんだか自信もなくなって、「お姉ちゃんなんだ」という誇らしい気持ちも薄れていく。
かつて思い描いていた輝かしいお姉ちゃん像とは、まるで違っていた。

妹はいいな。

毎日楽しそうで、叱られなくて。

妹がうらやましい。あわよくば自分も赤ちゃんになれやしないか、と本気で思ったりもした。毎日自分のことでぐるぐるなやんでいる自分が嫌だった。

だが、私は気付いてしまった。

こんな気持ちでなやんでるままいたら、すぐ大きくなってしまう妹のその時その時を、笑顔で見つけられないではないか。

そんなのは嫌なのだ。「あすか」をぎゃくたいしている「静代」もきっと、嫌だったはずだ。

そこで、そんな気持ちになったときすぐ笑顔に戻れる方法を考えた。

ひとつめは、生まれたとき、初めて笑ったとき、初めて寝返りしたとき…色んな瞬間を具体的に思い出すことだ。

「生まれる前、いっぱい赤ちゃんのものを作ったりして、すごく待ちわびてたな。」


「生まれたとき体中しわしわだったな。」


「初めて寝返りしたとき、誇らしげだったな。」

思い出してからまた妹を見ると、「大きくなったなあ…。」と、少し笑顔になるのだ。

もうひとつの方法は、自分も愛されてきた、ということを思い出すことだ。

私が今、なやみながらも妹を大切にしたいと思うのと同じように、私が小さいときも、両親に思われてきたのだろう。
私が笑えば親も笑い、何かができれば喜び、病気になれば泣いて心配したのだろう。
今の妹のように、両親にとって、私は大きな大きな存在だったのだろう。
そう思う度に、心の中からあたたかい自信が湧いてきて、次に進むことができた。


そして今、妹が泣くときも笑うときも、私は笑顔で一緒にいることができる。
お姉ちゃんとしての自信が薄れたとき、このふたつを思い出し、笑顔で妹と一緒にいられるようになりたい。

「静代」の「父」が言っていた。

「六十億に一つの奇跡で結ばれた親子の絆を、どうぞ大切にしてください。」

六十億に一つの奇跡で生まれた私と、六十億に一つの奇跡で生まれた妹。

私と妹は、すごく大きな奇跡で、つながっているんだ。

ときには休もう。私もまだまだ子供だから。

ゆっくりじっくり、妹と一緒に大きくなろう。

自分のために逃げてきてしまった

この作文を書いたのが、
中一の夏休み。

妹、生後5ヶ月あまり。

このときに、この作文の最後にあるように、

妹と一緒に大きくなろうと

本当に思えていたら。

色んな困難があって、
そこには必ず父親の影もあって、

でも必ず、私を導いてくれようとする母がいて、

疑いのないまなざしで、
無償の愛を全力で注いでくれる妹がいて、

自分はまだ12,13で、
失敗しても間違えても、

支えてもらいながら成長しようとする素直さが
本当はあって、

そんな環境のときに、

逃げずに、

自分の責任で選ぶということを、

自分の責任で発言するということを、

覚えてくるべきだった。

妹の目まぐるしい成長も、

自分の一歩一歩の成長も、

「笑顔で見つける」ことができただろう。

このあとから今まで、
絶対に忘れてはいけない失敗が
いくつもあります。

私自身が遺しておくために、
ひとつひとつ記していきたいと思います。

今日はここまでです。
お読みいただきありがとうございました🌻

☀️未織☀️

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