見出し画像

[りんごの転がり人生]5: 闘病生活と人の繋がりを噛み締めた辛抱編:前半(~53)

ほんとうに小さい舟で大海に漕ぎ出した。
手動のオールものこころもとない板切れだった。
そんな、広島での生活がなんとか軌道に乗った(沈まずに風をとらえて進みはじめた)。

親兄弟や親戚が近くにいない状況で頼れるのは他人。
息子と2人で生活するためには、友達、近隣、学校、職場
それぞれの人達との間で良好な関係が保たれること、理解と協力が得られることが最大の課題だった。

無理をしないことがとりあえず沈まないための秘訣、

一人でできることは頑張る。
一人でできないことは素直にお願いして、協力を得る。


一人でできることを甘えたりサボったりしても誰も助けてくれない。(世の中それほど甘くはない)
でも、
一人で頑張らなくても良いことは、一生懸命やっていると救いの手が差し伸べられる。

世の中は本当によくできていると感じる瞬間は多々あった。

特に

自分の進みたい方向をしっかりイメージしていれば、自ずと縁は繋がる。

このことを本当に何度も何度も体験した私は「世の中捨てたものではない」という掟のような考え方を持つことができるようになったのだ。

ただし、

自分の未来をイメージしてその未来を信じる

これは口でいうのは簡単だが、その実践は容易く(たやすく)はない。
「そんな偉そうなことを言ってるが、おまえは本当にそうできるのか?」と、とことん試される。

良いこととそうでないことはいつも背中あわせで、どちらも無視はできない。
ただ、現実に起こる事象は一つ
そして、それにまつわる考え方(人の心)は本当に色々だ。

良いことをしっかり意識して信じる。
そうでないことも把握して必要以上に怖がらずに対処する。
そんな生き方を模索した辛抱編

まずは
新しい職場に出会う。
将来の旦那さんに出会う。

前編です。


<ここまでの記事>
以下の順にお読みいただくと[波瀾万丈ストーリー]がよくわかります。
はじめに[りんごの転がり人生]波瀾万丈を綴ります
7話_1夢を見つけて、夢を追いかける挑戦編[ミニ四駆]
1話順風満杯のバブル編「挫折を知らずに育ったりんごの青春」
2話前半幸せの絶頂から転がり落ちた潜伏編(前半)
2話後半幸せの絶頂から転がり落ちた潜伏編(後半)
3話地上に出てお日様を浴びた復活編(~37)
4話新たな旅立ちと世の中へ漕ぎだした冒険編(~44)


インストラクターとしてやっていく

パソコン教室では、主に汎用的なソフトやインターネットの基礎的な使い方の講座が主だった。時はパソコンのバブル時代でパソコン教室が所属する大手の家電店では連日パソコンが飛ぶように売れていた。そしてその購入者のほとんどは初めてパソコンに触る人が多かった。
そんな「一体何に使うのかわからないけどとりあえず買ってみた」人達のために用意されたパソコン教室のカリキュラムは、マウスの操作方法から始まりホームページの見方やメールの使い方を学んで行く。お絵描きやゲームソフトを駆使してクリックやドラッグをマスターするのだ。
そこをクリアーした人は「年賀状の作成」、「ラベルや名刺を作るソフト」、「簡単なホームページを作るソフト」などに進んでいくようカリキュラムの流れが準備されていた。おかげでそれらの講座を受け持ちながら、一般的に名の知れたソフトの使い方を網羅することができた。

さらにはWordやExcelといったビジネス向けのソフトも人気が高かったので、インストラクター仲間の間ではマイクロソフト系の資格を取得する風潮が強くあった。
私もその流れに乗った。当時超人気の[MOUS試験]、さらにはその上の[MOT試験]を目指して試験勉強の毎日だった。
電車やバスの中では参考書を読み、家では模擬試験を繰り返すというまさに受験生並みの生活を2年ほど頑張った。おかげでインストラクターの登竜門とされる[MOT](マイクロソフトのオフィシャルトレーナー)の資格を取得し、「この道で行こう」そう決めていた。


インターネットプロバイダーのサポート業務の常勤職に就(つ)く

その矢先の出来事、

友達から
「お姉ちゃんが○○○さん(私の名前)にぴったりの仕事があると言っている、話だけでも聞いてみない?」との誘いがきたのだ。

私は、目標としていたインストラクター資格も取得しこれからさらにこの道を極めようと意気込んでいる時期だったので、その話に乗るつもりはサラサラなかった。だが、せっかくの誘いを無碍(むげ)には断れないと思い本当に付き合いで、「話を聞くだけならいいですけど~」と友達のお姉さんに会うことにした。
聞かされた話はあるインターネットプロバイダーのサポートセンターの仕事だった。大好きなインターネットに関われる魅力的な話しではあったが、今の仕事と給料に十分満足していた私は、時給が半分以下になるその仕事には全く心が動かなかった。

それでも「断ってもいいから派遣会社の面接を受けて」と頼むお姉さんの顔をたてて、面接を受けることにした。そしてなぜか「わかりました、行きます」と答えてしまったのだった。

自分でも全く持って不思議だった。「Yes」と答えたことに自分が一番驚いていた。
なぜ、そうしようと思ったのか。(今でも不思議だけれど)

のちのちその職場で、今の旦那さんと出会い籍を入れることになる。
「運命の出会い」というほど熱くもないが、でも何か目に見えない力に引き寄せられたようだった。

当時、自分の気まぐれな決断の言い訳として考えたのは、インストラクターの仕事は次の月の仕事が約束されているわけではない。あくまでその場限りのコマ数を割り当てられる日雇い待遇で収益の安定性がない。
息子は中学になっていたのでそろそろ学費もかかり出す。先の約束された仕事の方が安心できる。
そんな理由をつけて自分の決断を正当化した気がする。


かくして、私はせっかく取得した[MOT]の資格を全く棒にふった。Macの仕事も無理を言って辞めることになった(ただ、私が辞めると相談をした日の前日に同僚が昔からのオペレーター仲間から仕事を探していると相談を受けていた。渡りに船とはこのことでその新人さんに仕事を引き継ぐことになり、職場に迷惑をかけることなくMacの仕事からも手を引くことができたのだ。やっぱりそうなるように何かの力で仕向けられたと考えるのが自然だった)

新しい仕事は新鮮だった。手厚い事前研修も行われた、同期で入社した新人は20名ほどいたが、私はその中でも「インターネットの基礎知識」「パソコン操作の基礎知識」では群を抜いていた。研修内容はほぼ知らない事は無かったし電話越しとはいえパソコン操作のおぼつかない相手のサポートをすることは、いままでのインストラクター経験の力が存分に活かせる業務だった。私は新人研修を受けながら、いつかこの研修をする担当になろうとその内容をトレースしていた。

3カ月の研修をうけて、現場デビュー。

職場はインターネットプロバイダーのテクニカルサポート専用のコールセンター。つまり「インターネットに繋がりません」とか「メールができません」といったトラブルにみまわれたお客様からの入電に対応してサポートし、問題を解決するのがお仕事となった。

電話なので相手の様子やパソコンの画面は見えない。そのためにあれこれ失敗もやらかしたが、だんだんとコツをつかみ業務をこなせるようになった。

この仕事の単価(時給)はインストラクターのお仕事の半分ほどだったが、1日の稼働時間が長い、おまけにインセンティブ(裁いたコール数によってオプションの報酬があった)のおかげで、月の収益は1.5倍程になった。また社会保障や様々な福利厚生の制度が付いたことも大きな魅力だった。なにより「次の月に充分な量の仕事が確保できるだろうか?」という心配から解放されたことは本当にありがたかった。

半年ほどたったころ、その職場にあるMac担当部署に欠員が出て人員の募集がされた。ある朝目覚めた時、なぜか突然「Mac班に行こう」と思い立った私はその募集に応募をし、申請が受け入れられ部署移動をしたのだ。
なぜ突然思い立ったのか?後付けになるのだけれどそこで私の前に現れたのが、現在の旦那さんになる人だった。
(ただ、そうなるにはまだ当分時間がかかる)

コールセンターの仕事は早番と遅番の2交代制だった。遅番の終了時間は午後9時。そこから家に帰れば10時は過ぎる。息子は中学になっていたので一人でいることに不安はなかったけれど、私が夜遅くなって帰るまでご飯を食べずに待っていた。ある時「不満はないの?」と聴いた私に「別に、何不自由ないよ!」と、本当にそうなんだろうなぁと思える笑顔で答えてくれたのだ。その笑顔に私は救われ、彼に美味しいご飯を食べさせるために一生懸命働こうと誓った。

さらに1年ほど経ったころ、「新人研修担当」の話が降ってきた。そう転職時にイメージしたことがここで現実となる。

私はこの職場でキャリアを重ね、「新人研修」のインストラクターから、現場のリーダー、そして責任者の立場になる「スーパーバイザー」となり日々お客様のトラブルと奮闘しながらインターネットとパソコンの世界を制覇していくことになる。

インターネットの世界はこの時期に飛躍的な進化を遂げる。

ダイヤルアップ接続だった電話回線が
ADSL回線
光回線
モバイル回線へと移っていく過程に最先端の情報がキャッチできる環境で関わることができた。

またソフト面では、
ホームページを持つことが一般の人にも普及し、様々なサービスができた。
そうするうちに、気軽に簡単に個人の日記サイトが構築できる「ブログ」が出現し、一世を風靡する。

そして
ついにSNSの時代へ、TwitterやFacebookの登場となるのだった。

回線はモバイルが主流、
媒体はパソコンではなくスマートフォンの時代に突入する。

そうしたインターネット時代の流れの中を、技術やサービスが最初に登場する瞬間から携わり、ありとあらゆるエラーやトラブルを経験し、その解決に奔走した日々は私の知識と技術を高めてくれた。
また、責任者になってからの主な仕事は「クレーム処理」だったので、全国から集まる強者のお相手をさせていただき、根性も育った(^^)。

なかでも、私を一番育ててくれたのは、部下(オペレーターさん)の指導やコーチングの業務だった。一筋縄では動いてくれないおばちゃんたちやいわゆるジェネレーションギャップのある若者まで幅広い層の「あーでも」「こーでも」を聴きながら、クレームを減らしオプション販売の成果を上げるの重要な役目を担っていた。

人を動かす
ここでも、ナポレオン・ヒルの本で得た考え方は私を大いに助けてくれた。

「怖いけど優しい」よく言われた部下から私への評価。


旦那さんとの出会い

Mac班に配属になったときに出会った彼は、パソコンのことにもネットのことにも尋常でないほど詳しく、ちょっとめんどくさいほど細かい人という印象だった。同じ部署で働きながらも彼の方が一足先に出世していたので、常に彼は私の上司の立場だった。特に意識はしてはいなかったものの、「職場でMacの話しをする」「夜な夜なサポート仲間で作ったコミュニティでグループチャットをしながら自然と最後は二人で残って長話になる」「職場の人と飲みに行った帰り、運転手役だった私は最後は彼と二人になった車の中で延々話す」そんな風に少しづつお互いの距離が縮まって行った。
ただ、彼もバツイチで「もう二度と結婚はしない」と叫んでいたし、私も息子の児童扶養手当をもらいながら当分このままがいいと思っていたので結婚の話には進展しなかった。
出会った頃の彼は、親と同居していたもののあまり食事を摂っていなくてガリガリに痩せていたしそのためかよく体調を壊していた。そんな彼を見かねた私はとにかくご飯を食べさせねばと、毎日自分の家に寄ってもらって晩御飯を一緒に食べその後お家まで送って行く、そんな日々が続いたのだ。

職場では一切特別な素振りや雰囲気を出していなかったので私達の関係はほぼ誰にも気づかれることなく過ぎていた。

偶然受けた検診での一幕

そんな時、私は職場で受けた健康診断で便鮮血反応が陽性となって、「精密検査をしなさい」との通知を受けた。ただあまり気にせず機会があればくらいに捉えていたのだが、たまたま彼がお腹の調子を壊し行きつけの病院で診察を受けるのに付き合った時、その病院の壁に「大腸の検診をしています」というチラシを見つけて待ち時間がてら病院の受付に相談した。
じゃあ、「内視鏡検査をしましょう」ということになり予約をして検査を受けることとなったのだ。検査当日、担当してくれた女医さんが「特に異常はなさそうですね〜もう少しで終わりますからね〜」と言った時だった。その女医さんの手が止まった。モニターには明らかに普通ではない大腸壁の様子が映し出されていた。「潜血の原因はこれですね」、そして「明らかに癌です。それも初期の状態ではありません」「外科を紹介しますので至急に診察を受けてください」とその病院の外科の先生を紹介されたのだった。

自覚症状も全くない状況だったので、この検査を受けていなかったらと思うと今でも冷や汗がでる。(おそらく私は今この世にいない)

そこからは急展開、

身体中をCTや内視鏡で調べられた。幸い他に怪しい影や兆候はなく、癌のある大腸の部位を切除する手術が行われることになった。「開腹ですか?」と聞いた私に「医療関係者?」と尋ねられ、「臨床検査技師です」と答えた。そこからはお互いに気のしれた専門用語での会話をすることになる。私を死の淵から引き摺り出し、今でもお世話になっている主治医との出会いだった。

実は最初の検査では発覚しなかったが、私の大腸癌は肺に転移していた。幸いにも1個だけ外側に近い部位でこちらは内視鏡での手術で切除することが決まった。

ただこの転移の発覚で私の病症は ステージ4(つまり末期)と診断されたのだ。
「(肺に転移)血行性の転移がある時点でステージは4なんよね~」と先生は言った。

医学の知識は誤魔化せないほどある自分が恨めしかったが、それは厳しい現実を示していた。「5年生存率25%かぁ~」ふと自分で呟いたのを今でも覚えている。

(ただ、なんとなく、不思議と死ぬ気はしなかった。「4人に1人に入ればいいんだ、いけるかも!」そんな風に思ってみたりした。)


会社に事情を告げ、およそ1ヶ月半くらいの休みをもらい、開腹と胸部内視鏡での二度の手術を受けるべく入院することになった。


後半へ続く
↓↓↓↓↓↓↓↓
5: 闘病生活と人の繋がりを噛み締めた辛抱編:後半


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?