"多様性"から学んだこと

つい最近、とてもリスペクトしている友人の投稿にとても考えさせられるものがあった。

彼女は、宗教的、人種的な多様性もそうだけど、私たちはもっと身近なところで”多様性”を感じているんじゃない?学力によって区別されることのない小学校や中学校で出会ったたくさんの人たち。勉強が大嫌いで全然やらないけど、代わりに勉強以外のことはうまくこなせている友達とか、複雑な家庭で育ってお金の余裕がなくて高校、大学に進学せずに就職をした友達とか、自分とは少し違ったたくさんの人たちに出会って、たくさんのことを感じた。それを多様性だと思わずに国際系のことを学んで多様性多様性言ってる人はなんなんだ!っていうような話をしてた。

私は、それを"多様性"と考えたことは全くなかったけど、確かにそうだなって思った。

私が通っていた中学校は中卒、高校進学しても中退、のような人が多くて、当時はあんな人たちみたいにはならない!ってかたくなに彼らを否定して必死に勉強をしていたけど、その彼らは今、就職して社会人として働いている。大学生でまだ親のお金で生活している私の何倍も社会の厳しさやお金をもらうことの大変さを分かっていると思う。

他にも、都内の大学に進学して通うようになると、幼稚園から高校まで女子校でしたっていう女の子や、実家が港区のタワマンで、生まれも育ちも東京、親が超ハイスペックだったり高校のころから飲み歩いていたりする男の子にも出会った。

そういうのがきっと"多様性"なんだよね。人種とか宗教もそうだけど、生まれや育ちから形成されたその人のキャラクターそのものがもう"多様性"以外の何物でもないと思う。

そして、わたしは、私と違った生活や考え方をしている人たちからいろんなことを学んでる。大学での出会いは特に刺激が多い。そして、始めて一年くらいが経つ匿名でのTwitter。

おかげで、私のなかで、これは絶対これでしかない!とか、私の夢はこれ!これが私のすべてであり、すべての道はそのゴールまでの道のり!のようにがちがちに固まっていた思考が最近なくなってきました。私もこんなことしてみようかな?とか、あの人のああいう考え方いいな、参考にしてみようかな、なんて思えるようになりました。思考がまとまらなさすぎるが故に、将来が不安になって憂鬱になってしまうこともあるけど、そんなことも含めて今私はとても充実していると思うな!たのしい!

これからもいろんなひとに出会って、たくさん吸収していきたいな!

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