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「ママがいい」と泣く子と毎日過ごしてアラフィフ保育士が考えること

今日の記事は、なんとなく心に引っ掛かっていることを言葉にしました。
書いてはみたものの、結論も出ず、とりとめのないものになりましたが、そのままアップします。

私が幼稚園で働いていて毎日のように子どもから聞く言葉。
「ママがいい。ママに会いたくなっちゃった」

これに関しては以前にも記事を書きました。


これを書いたときにも、今日書くようなことは思っていたのですが、外に表現することがはばかられて、心の中にしまっていました。

「ママがいい、ママに会いたい」と毎日のように別の子から代わる代わる言われて、率直な私の気持ちは「そうだよね、ママに会いたいよね。ママに会わせてあげたい」というものです。

そして「なんでこの子たちはママに会えないんだろう」と思います。

もちろんその理由は、それぞれの家庭ごとに異なっていますが、保護者が仕事をしているから、というものが大多数であると思います。

時々、私の心の声が漏れて「そうだよね、先生も〇〇ちゃんをママに会わせてあげたいよ…」そんな風に言えば「じゃあママに電話して」と言われたりして「ママはお仕事だから電話できないんだよ」「でも絶対に迎えに来てくれるから、それまで先生と遊ぼう!」などと話しても「なんでー!!今がいいーー!」と泣く子もいれば、諦めてそれ以上言わない子もいますが、いずれにせよ、がっかりしたり、悲しかったり、怒ったりしていることは伝わってくるので、とてもせつないです。

こんなにママに会いたがっているのに、会わせてあげない私は人でなしなんじゃなかろうか。
そして、こんなことで悩んでいるのは保育士としては失格なのかもしれない。

だって、保育士は保護者から子どもを任されて、保護者に代わって子どもの生活を支え、保護者の支えにもなる、それが仕事だろう。ママに会えない子をかわいそうと思っちゃいけない、そう言い聞かせてきました。今もそうも思います。

でも、かわいそうと思っちゃいけないと思うと、私の心の一部分が少しずつ死んでいくことに気づき始めました。だって、たぶん人が何かを思ったり感じたりするのは誰にも止められることじゃないのです。これは「ママがいい」と泣いている子たちも同じです。

「ママがいいー」が心に住み着いてずっと考えていたら、今働いている園と以前に働いている園で違いがあることに気が付きました。

以前働いていた園でも子どもたちは「ママーママがいいー」と泣いたりすることがありましたが、この時は特別に嫌なことがあったなどという場面に限られていました。主に友達と喧嘩したり、トラブルがあったときです。
でも今の園では何でもない時に「ママがいい、ママに会いたくなっちゃった」という声が頻発するのです。

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