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日本で子育てしている大人に笑顔が少ない。日本の大人は子どもが嫌い?

今日は松井博さんのこちらのnoteを読んで、日頃私が感じていたことに近かったので、触発され書きました。

松井さんは、この記事の中で、「子育てが辛い」という声が増えている現在の状況はなぜ起きているのか考えています。

そもそも、昭和の時代より近代化が進んでいる現在は、家事労働の負担も減っていて格段に楽になっているはず、それにも関わらず、子育てが辛い人が多いのはおかしいではないか、そう考えています。

これは、私も同じことを思っていました。さらに言えば、子育て支援も進んでいます。私が子育て全盛期だった20年前と比べても、格段に支援は広がっていると思います。(そもそも「子育てが楽にならない子育て支援について考え直さねばならない」ということも、ずっと私が思っていることですが、これは別の機会に書きたいと思います)

松井さんは、その理由の一つとして「普通のレベルが上がったから」ということを揚げています。

そして、普通のレベルがあった理由は、人々が「暇になったから」であると言っています。
この視点は面白いなと思いました。人は暇になって生活に余裕ができると、何を考えるのか。ここら辺は、マズローの5段階欲求説と重ねて考えてみると面白そうです。
松井さんは過去のデータを見て、近代化(家電の進化と普及)が進むと大学進学率が増え、同時に少子化が進んでいると示しています。これは「自尊欲求・承認欲求が増える」段階ということになるのでしょうね。社会的余裕ができて、人々は「たくさん産んでテキトーに育てる」から「少なく産んで手塩にかけて育てる」に変わったのだろう、と松井さんは述べています。

社会が豊かになればなるほど、少子化が進み、子供の教育が過熱していく。何故なら今や子供は、偶然にできてしまうものではなく、計画して産んで丁寧に育てる、僕らの人生の結晶だからです。失敗作なんて許されないのです。

最後に松井さんは、子育てはもっとテキトーで良いのでは?と結んでいます。だって、未来のことは誰にもわからない。だから、躍起になりすぎても意味がないのでは?だから、子育ては、もっと肩の力を抜いて楽しんだ方が良いと。

保育園に子どもを迎えに来る保護者の顔色が暗い

私には学童保育や保育園・幼稚園で働いてきて、ずっと心に引っ掛かっていることがあります。それは「保護者に笑顔が少ない」という点でした。

ずっと引っかかっているというか、働き始めた頃は特にその点に違和感を感じたことが、私の中に引っ掛かりをつくってずっと覚えているという方が正確かもしれません。今はその状況に慣れつつあるのか、もっと違う視点が増えたのかはわかりませんが、働き始めの頃思ったほどの印象は薄れましたが、相変わらずお迎えに来る親御さんたちの表情はあまり晴れず、楽しそうな人が少ないな、ということは日々感じています。

1日の仕事が終わって疲れているところへ、さらにこの後子どもにご飯を食べさせたり…という、やらねばならないことも頭の中にあるだろうし、笑顔になれと言う方が無理かもしれないことも、もちろん想像しています。

でも、中には(少ないのですが)、息せき切ってお迎えに現れ「〇〇ちゃん!来たよ!待たせてごめんね!」と満面の笑みで子どもの名前を呼び、子どもも保護者の声で駆け寄り、親子でハグ!という、見ていてこちらも笑顔がこぼれるような再会をする親子もいます。二人はとても嬉しそうで、こちらの方が自然に見えます。お迎えの表情の暗い保護者は、本来なら大切な我が子に会えた瞬間なのに、別のことに頭を使わねばならないのかな…と心配になります。そして、後者の方が多いのが現状です。

両者のこの違いに起因しているものは何だろう。
子どもはどんな時も保護者のお迎えを待ちわびていて、お迎えがくるとそれはもう嬉しそうなので、大人の表情が暗い場合、親子の表情の違いが対比され強調され私の目に映るのかもしれません)

お迎えの表情が明るい保護者の特徴

私に見える範囲で、両者で大きく違うのは、お迎えの時間帯や、預かり保育に来る回数です。毎日遅くまで預かり保育を利用する保護者に比べ、早い時間にお迎えに来られる保護者は余裕が表情に現れます。早い時間にお迎えで表情の暗い保護者は皆無といっても良いほどです。これは、学童でも保育園でも、どの施設であっても同様なのです。

子どもとの暮らすことは人を育てることです。その成長を感じる瞬間など、ある種の喜びは多くあっても、実際は大変なことであることに変わりがなく、本来ならそれだけに専念したって良いくらい大変で重要なことではないでしょうか。しかし、現代の大人は忙しく、子育てだけに専念している人は少ないです。余裕がなくなるのは当然のことだと思います。

子どもを産み育てるというのは、何にも代えがたい喜びがあるのではないかと私は思います。仕事をするのだって、根っこは生きるため・食べるためであって、大人は、まだ自分だけでは生きて行かれない子どもたちを食べさせ生かすために働きます。それがどこかの時点で、仕事をすることの意味が、自己実現という承認欲求に変わっていった時、子育ては複雑なものになってしまったのかもしれません。

日本の大人は子どもが嫌い

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