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【自己紹介】自分が何者か見定められていませんが、頑張ってものを書きます。

自分が何者か見定められていませんが、頑張ってものを書きます。

数ヶ月Twitterのbioにしている文言だ。昨日こっそり、noteの自己紹介にもこの文言を織り交ぜてきた。これをこの前、出来心でgoogle英訳してみたらうつくしい英文が返ってきて、おどろいた。

I’m not sure who I am, but I’ll do my best to write.

テストで良い点が取れるような再翻訳をしてみるならば、「わたしは、自分が誰だかわからないですが、書くことでベストを尽くします。」といったところか。きちんと意味が通っているが、味気のない台詞だ。やはり原文をここでもう一度繰り返したい。

自分が何者か見定められていませんが、頑張ってものを書きます。

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「noteのはじめ方」のような記事をいくつか読んだ。いくつか読んでいると、大体共通していることもわかってくる。「あなたが発信するコンテンツをわかりやすく決めましょう」「ターゲットを決めましょう」というようなことだ。休職する直前、SNSマーケティングの案件を任されかけていた。その時だって自ら提案書に書いたものだ。狙うべきはこういうターゲット層です、そのためにはこういうブランディングをしていって、こういう施策をしていかなければなりません。それを根拠づけるのはああだこうだ……。それと同じことをこれから、「自分」という商品を売り出すためにやっていかなければならない。

だけどわたし、やってみて気づいちゃった。わたしは、マーケティングってやつが滅茶苦茶嫌いだ。

知るか! とちゃぶ台ひっくり返したくなる衝動に何度駆られたことか。まず、商品化されるってのはどーゆーことかというと、簡略化する、ってことだ。わたしという人間がそんな簡単に要点123でまとめられると思うのか? こんな複雑骨折コンプレックス矛盾塊が! それにわたしが大切にしたいもの、こと、ひと、そういうのと世の中の商業主義・資本主義の相性が悪すぎる。わたしは研究が好きだ。専門職が合っているとこの前占い師さんに言われたが、わたしは専門職の中でも職人気質じゃなくておそらく学者気質だ。毎日コツコツ何かを計画的に作り続けることよりも、一つのことを変質的に集中して問い詰めてずっぽり頭のてっぺんから爪先まで浸かっちゃうことのほうが得意だ。はーマジで大学院行って文学やればよかった。だが大学院行った先で待っているのは結局就職で、世の中で、商業主義の資本主義かと思うと反吐が出る。

くるしい。今のわたしはやけくそで、混沌そのものだ。商品化してお綺麗にこれができます、あれができますなんて整えることなんてできない。KPIもKGIもペルソナも何もねえ、すっぱだかのわたししかいない。

けど、今はそういう、すっぱだかのわたしのことを話したい。

休職する前、わたしはけっこうな良い子ちゃんだった。思えば良い子ちゃん歴はけっこう長い。小学校でも体育と忘れ物欄を除けばほとんど◎だったし、中高でも理数系は苦手だったけど平均点を下回ることはなかった。大学では学びたいことと教授との巡りあいが良く、研究においては手厚く指導もしてもらえた。会社でも大人しめな見た目をしているからか乱暴に扱われることもなかったし、仕事のミスは多いものの頑張ってやってる新卒のお嬢ちゃん、というような印象だったように思う。

その一方、大学から東京で一人暮らしを始め、学校やTwitterで堂々とオタク友達と話すことができるようになったことからか、快活な自分らしさみたいなのも開花していった。自分がこんなにお喋りで、周囲を巻き込んでふざけるのが得意だなんて、数年前まで知らなかった。高校時代まではいわゆる「天然系」のぽややんとしているキャラだった。(まあ、天然で片付けられるのを内心めちゃくちゃ嫌ってたあたり、我の強さの片鱗はあるのだが。)

そのどちらもが「わたし」で、どちらもだけじゃ「わたし」じゃないし、どちらも「わたし」じゃない。ベン図に書いたらわかるけど、言ってることが無茶苦茶だ。

そう、わたしって無茶苦茶なんだ。たかが体系ごときに落としこんで、わたしのことわかった気になんてなるんじゃねえ。無茶苦茶のわたしごと受け止める覚悟を見せろ、いいか、わかったな。

それに無茶苦茶なのはわたしだけじゃない。世界も、政治も、生き方も、セクシュアリティも。ありとあらゆるもの全部、本当は無茶苦茶の混沌なんだと思っている。それを人間っていう猿でもわかるようにわかりやすく、区分して説明して共通認識を持たせようとしているのが「世の中」で、秩序で。ドロドロした収まりきらないところは全部カットして、美味しく調理されたものを理解してもらった先に何があるかっていうと、商売だ。本当は、そのどろどろして収まりきらないみかんの白い筋みたいなところに大切な栄養があるかもしれないのに。

という意気込みだから、マーケティングととても気が合うわけがない。

世の中的に間違ってるのはどう見てもわたしで、価値がないのもわかっているし、伝わらなきゃ意味がないというのも、とてもよくわかる。だから「noteのはじめ方」の言う通りで、発信するコンテンツをきちんと定め統一し、ターゲットもなんとなくイメージした上で、いずれは発信していきたい、とは思う。

でも、わたしはまだその段階じゃない。いわばアイデアフラッシュの段階で、企画にまとまるもんじゃない。

自分に何ができるのか、エッセイなのか、小説なのか、シナリオなのか、キャラクター設計なのか、企画なのか、はたまた3Dモデリングなのか。自分の得意なことが何で、苦手なことは何か。そして自分ができることの中で、世の中に価値を与えてもらえることは果たして出来るのか。わたしの作ったものを、誰かが「欲しい」と求めてくれる日は来るのか。

なにもかもがわからない。誰に頼ればいいのか、何から始めればいいのかさえも。だから、今はこれしか言えない。

自分が何者か見定められていませんが、頑張ってものを書きます。

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琳、またはmorcoと申します。かっこつけて漢字の名前をつけてみたものの(最古のnote参照)、なんだかんだ馴染みのあるもるこという名前に戻りそうです。どちらでもお好きにお呼びください。

96年生まれの射手座。生まれた性も性自認も女。身につける格好はロペピクニックが超着やすい系。好きになった人が好きな人。東京都内在住。住んでる街のことが大好きなのでいつか書きたいけど、身バレはちょっと怖いのでまだ言わない。もうすぐ一歳になるシルバー文鳥♂のおひいちゃんとラブラブ同棲中。

近現代文学と臨床心理、セクシュアリティについては大学で研究していたので少し話せます。文学は太宰治が特に大好き。臨床心理については境界性パーソナリティ障害に関心があり、大方の理解はしているつもりです。ペルソナ・シャドウ論を用いて考えるのが得意かも。セクシュアリティについてはあらかた大学の講義で概要を理解して以来、アライで在りたいと思っています。心理やセクシュアリティなどを用いて文学を読み解くことをやってきました。

小学生の頃から文章を書くことが好き。最初に書いたのは小学生の時、ポケモンのオリジナルトレーナー小説。それから夢小説を中高大まで書き続け、色々脇道しながらも今はエッセイを書くことが多いです。絵も少し描けますが、文章のほうが好き。一年ほど前から急に3Dモデリングをやり始め、簡単なキャラクターモデリングならできます。好きなことならどこまでも集中できちゃうタイプのオタクです。

苦手なことは秩序、マルチタスク、整理整頓、時間通りに待ち合わせの場所に行くこと、パンパンの手紙受けを開くこと等。ADHDの気質があるかもねと心療内科で言われましたが幼少期のエピソードが大してないのでよくわからず。ライフハックは参考にして改善していきたいと思ってます。

フェミニズム、女の生き方、孤独との付き合い方、的なところに関心があるっぽいですが、詳しくはよくわかっていません。男性と共に生きる人生は今のところ全く想像できないです。

こんなよくわからない段階のわたしですが、もしも何かお手伝いできることがあれば、お声掛けください。自分が何者か見定められていませんが、頑張ってものを書きます。

その際は、TwitterのDMにご連絡いただけますと幸いです。

以上をもって、2021年1月19日現在の自己紹介とさせていただきます。

何卒よろしくお願いいたします。


2021年1月19日

琳 / morco

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