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【休職日記】しなだれかかる蔦のように

一輪挿しのような女になろう。
自らの足で立ち、見るひとの心を奪う気高いひとに。
そうだな、帰りに花瓶を見よう。そして夾竹桃を飾ろう。

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新宿3丁目地下の長い通りから地上に上がる。夾竹桃がどんな花だかも思い出せないまま、そう心に決めた。今時珍しくなってしまった有線のイヤホンをぶら下げて、カネコアヤノの「愛のままを」を聴いていた。

みんなには恥ずかしくて言えはしないけど
お守りみたいな言葉があって
できるだけ わかりやすく返すね
胸の中の燃える想いを

溌溂とした曲調と素朴な声色に乗せられて、わたしは一輪挿しへの憧れをさらに募らせる。わたし、ひとりでも凛と生きられるようになりたい。誰かに頼らないでも、自分の足で立って生きていきたい。だから頑張ろう。仕事のことも、ちょっとずつこれから考えていきたいんですが、どうでしょうか。

心療内科の先生に、その思いをぶつけた。今日は少し久しぶりの診察で相談したいことも多かったので、事前に内容を文章にしたためていた。iPadの画面を見せて、今の生活のこと、生理のこと、対人不安のこと、それから仕事のこと。ストレスになることは考えないようにと言われていたが、そろそろ本格的に考え始めても大丈夫でしょうか? とぶつけてみた。少しずつ立ち上がる練習をしていきたい。好きな人たちが困ったときに助けられるような、軸のあって凛とした強い人間になりたい。それは素朴で、自然な欲求だと思っていた。自分を愛せる自分になろうとして、がんばるのはいいことだと思った。

しかし、

「まだ焦らないで、休みましょう。」

それが先生の回答だった。

「過眠気味であること、食事を一日一食で済ませてしまうこと。それらはあなたの心と体がまだ休息を求めている証拠なんです。エネルギーが溜まっていないまま頑張って考えすぎても、またばてちゃいます。睡眠についてはその調子で、ご飯を一日二食にできるといいですね。対人不安については、今回の件とはちょっと別なのでカウンセリングもありですが、それもとにかく心身が回復してからです。エネルギーが溜まってくるのを待ちましょう。こういうのは、待つしかないんです。」

それから先生はパソコンのスクリーンをこちらに向け、前回の血液検査の結果を見せてくれた。特徴としては、新陳代謝が落ちていることと、甲状腺の働きが落ちていることの二点。

「どちらも、脳や体が疲れていて、休息を求めているんです。だからたくさん寝てください。あともうちょっとご飯食べましょう。」

先生の言うことはとにかく一貫して、休みましょうとのことだった。落胆や失望はあまりなかった。不安だった過眠についても説明がついたし、注射器三本分くらい血抜かれた結果の数値を出されると、納得せざるを得なかった。まだ、一輪挿しのような女には早かったということだ。

帰り道、前にも行ったインテリアショップを覗いた。一輪挿しを許可されたら、ここで素敵な花瓶を買って帰ろうと思っていた。一輪挿しじゃなければ何を目指したらいいんだろう。いや、目指すのもあんまりいけない、というかいけないという考えもいけない……うずうず考えつつ、ぴたりと来るなにかを探して店内を歩き回る。歩き回りながら、確かに焦っているんだろうな、と、ここ数日のことを思い返した。

古本屋に行って選ぶ本は「高校生のための経済学入門」と「女の仕事」だし、積読の中から選ぶ本もフリーランスになるには? みたいな入門本。気になっていたスクールのオンラインイベントにも申し込んだし、noteを漁りながらも憧れのライターさんの仕事観ばかり読んでしまう。けっこう前向きに頑張れてるじゃん、と思いながらも、休職してたかが数週間なのにそんな活発に動いていいのか? という疑念も、少なからず自分の中にあったのかもしれない。それを先生に言い当てられて、「ああ、まだ休んでいいんだ」とどこか安堵する無意識の自分に気がついた。恐らく、それが過度のやる気の裏の本心だったんだろう。

直感を研ぎ澄ませる練習に、店内の商品を見て回る。衣服がまず目に入った。家で過ごすことに特化した、心地よい服を目指したというブランド。ありかもしれないが、この高そうなブランドで買う必要はあまりないだろう。何せこれから貧乏生活なのだから。カトラリーや器のコーナーにはあまり足が向かない。やはり食べることについて、抵抗感を感じているんだろう。リモコンを置いておくような収納雑貨はいいなと思ったが、これなら無印でも100均でも買えるくらいだし、デザインもぴんとこないのでなし。黄色いランプは唯一ぴんときて、欲しい! と思ったものの、想像していたゼロの数が二つほど違った。無念。

観葉植物のコーナーは、多くが小さな仙人掌や鉢に入ったグリーンだった。ちょこんと可愛らしい風貌のそれらもいいなと思うが、一輪挿しの代わりにこのこじんまりしたかわいいの、というのはなんとなく違う気がしてくる。強いて言うなら上から吊り下げる蔦みたいなやつか。でもこれもなんか違う。この「なんか」を大切にしてあげよう。帰り道、新宿三丁目地下の長い道には、誘惑がたくさんある。マルイにも伊勢丹にも直通で行ける、けっこう便利な道なのだ。一輪挿しに代わる何か、が見つかることを祈り、地下の道に潜りこむ。

最初に目指したのは紀伊国屋書店だった。芥川賞受賞の『推し、燃ゆ』は正直とても気になるし、流行りの作品の考察書けば多くの人に見てもらえるかも! という下心も湧いてくる。迷った末、作家が年下であることを知った時のちっぽけなプライドの傷、あの傷口がひらくのが怖くて手に取れなかった。つくづくちっぽけな人間である。これで一輪挿しのような女を目指すのだ、とか大言を張るので、厄介な人間性だ。

文庫本のコーナーで、前に勧められて行く先々の本屋で探している小川洋子の小説を探した。が、やはりここでも見つからず。わたしにしては珍しく出版社まで調べてみたのに、そもそも置いていないようだ。天下の小川洋子なのに。勧められたとき、あげようか? と言われたのを断ったことを思い出す。もらっておけばよかったのかも? と思う反面、ここまで見つからないとなると逆に今手に入れる運命ではないのかもしれない、とも思う。きっと今読んだらいけないものなんだろう。だから神様がわたしの前から隠しているのかもしれない。

じゃあ、神様が今見つけなさいって言ってる本は何だろう。しばらく店内を彷徨って、そういえば、と単行本コーナーの「や」行に辿り着く。山内マリコ。大学1年生の時に『さみしくなったら名前を呼んで』に感銘を受けて、それから時々手にする作家だ。とはいえ、積読にしてしまうことも多いけれど。そこにあった二冊の本を、どちらとも買った。「なんか」これだ、と思ったから。最初にこの人の本を手に取った時もそうだった。『さみしくなったら…』の、帯カバーの文面。「いつになったら、私は完成するんだろう。」それがなんか、当時のわたしの心を物凄い吸引力で引っ張り上げた。今回も同じだった。『あたしたちよくやってる』は、額縁に入ったモノクロ写真の女の子から、青や黄色の小花が咲いて散っている表紙だった。帯カバーには、クラフト紙のような素朴な質感で、こうあった。

誰かの期待に応えられなくても、無理して笑うのは、もうやめよう。

そうね。
一輪挿しになろう、ならなきゃ、と思ったのも、結局ひとの力になりたい気持ちが先走ってしまったんだろう。なんだかんだ言って、わたしはひとが好きだ。大好きだ。ちんこをあげたいくらいに、大好きだ。わたしにできることがあるのならば、わたしのすべてをかけてそれを行おうとしてしまう。でもそれはとても危険で、下手すれば破滅にしか向かわないことで、だからまずは一人で立って、強くて立派でうつくしいたましいを手に入れないといけない。その志自体を否定する気持ちはない。むしろ会社の中ではそれが正しい。勝手に自分で自分に期待して、目標とタスクを課してがんばろうとすること。いわゆるPDCAってやつだ。

でも、それももうやめよう。全部。待つことしかできないんだ。見事な花を咲かせるにはまだはやい。土から少しずつ養分を吸い上げて、たくわえて、待とう。ゆっくり眠って、好きなものをむりなく食べて。しなだれかかって生きていこう。

まあ、しなだれかかる支柱のあてもないから、地べたでだらだら這いつくばって眠るだけだけれど。上からお洒落に吊り下げていただくのも申し訳ない。布団にしなだれかかる蔦にでもなろう。自分で自分を毛布にして、蔦のお庭を作って、そこで眠ろう。好きなものに包まれて、誰も入れない、わたしだけの秘密のお庭を作ろう。

それから導かれるように、鉱石屋さんで石を買った。ラブラドライトという石。漫画で存在を知って、あこがれてたのだ。粘り強く探していたら、はっと見つけた。想像していたよりも地味で素っ気の無い石だった。でも漫画で見た通り、見る角度によって、青や緑、いや虹色、いやそれともまた異なる、ふしぎな色彩の底光を放つ――ラブラド・レッセンス。数個の中から悩んだうち、500円でお買い上げ。

最後に無印良品に寄って、洗いざらしのワンピースを買った。部屋で眠れる肌触りの良さと、そのまま外に出て行っても恥ずかしくない程度のデザイン。想定より高い出費だったけど、「なんか」が反応するのだから仕方ない。元々一輪挿しの花瓶なんて買おうとしてたのだから、似たようなものだろう。

本と石と、ワンピース。
それらが今、わたしが求めてたものらしい。背伸びしてがんばりすぎないわたしが、「なんか」、選んだもの。

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帰り道の電車で、今時珍しい有線のイヤホンで、スピッツの「歌ウサギ」を聞いた。

ひどく無様だけど 輝いたのは 清々しい堕落

うん。今、こっちかなあ。なんか。

***

もう朝の10時半になろうとしている。毎日書いていたnoteも休んで、書きたいことだけ書き残して、眠くなった時に寝たからだ。

帰り道に内容のことは考えておいたから、さして悩まずに書いた。わたしにとって毎日文章を書くことは、自炊の得意なひとが毎日夕飯を作るようなものだろう、と思う。めんどくさくてもどこか楽しい。今日は冷蔵庫にあれがあった、今日はあの食材が安かった、と思いを巡らせるように。今日は心の中にあれが浮かんだ、今日はちょっと美しいものに気がついた、ってわたしも思いを巡らせる。よっこらせで家に着いて、ああ面倒臭いと思いながらも、なんだかんだ手は進む。手が進んで、時々味付けしながら出来上がる。それを、誰よりも自分が美味しくいただく。

まあでも無理せず外食したり、さぼることが悪じゃない。一輪挿しはまだおあずけ。無理せず、清々しく堕落を満喫しようじゃないか。

材料は買ってきた。本と石とワンピース。
しなだれかかる蔦のように寝そべって、それらを這って享受する。
徐々に栄養がのぼってくるのを待ちながら。

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今日は雨だ。雨粒が屋根を叩く音、時折車がタイヤを滑らせる、サアアという音。出窓から漏れているのだろう、ほんの少しの冷気が心地がいい。

もーちょっと、休もっと。

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