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【休職日記】2年ぶりの、全休

帰り道、今日という一日を喩える言葉を考えていた。まだ18時そこそこだったけれど、いつの間にか立春、空は未だ明るくて、季節感覚も時間感覚もなんだかボケてる。ボケボケで歩いて思いついたのが、ああ、全休、だった。懐かしい言葉の響きだ。一年生や二年生の頃は必修があって取れなくて、三年くらいから取れるようになったあの、一個も講義を入れない平日。今日を喩えるには、それがいちばん相応しい。

今朝は奇跡だった。なんと、朝から人間の形が保てていた。朝の5時なんて言ったら、普段ならどろどろの泥状態で布団に這いつくばってぼんやり起き出して、ちょっとスマホを覗いてから再び泥のような睡眠に戻って11時まで目を覚まさない。今日もそのパターンだと思い、5時に目覚めてしまったはいいものの、そこから7時半まで寝付けない。あのだるくてぼんやりとした脳の霧が晴れて、「起きている」のだ。気がつけば東の窓のカーテンの隙間から光が零れている。わたしの部屋でいっとう好きな、屋根を滑ってロフトの梯子に落ちる斜光。光に引き寄せられるように、起床していた。電子ケトルでお湯を沸かし、インスタントのコーヒーと昨日のうちに買っておいた20%引きのパンを一緒に食べる。12時の朝ごはんじゃない。7時半の、朝ごはん。Twitterを見れば、知り合いがちらほらと出勤していく。ああそういえば朝ってこのくらいの時間のことを指すのか。わたしが閉ざしたシャッターの向こうの社会ってやつが、今徐々に目覚めていく。Twitterの友人も、毎朝顔を合わせていたあの会社の人たちも、向かいの家の人も、電車で隣の席になるあの人も。

一度離れてみると、変なの、と思う。人間って昼行性に作られてるみたいで。だって夜行性の人間がたくさんいるのも、人によって求める睡眠時間が違うのも当たり前のことなのに、どうして皆日付が変わる頃に眠って、6~7時間寝て、朝になったら起きるんだろう。かまきりの雌が交尾後に雄を食うように、本能にプログラミングされているみたいに動くのって、ふしぎ。もしかしたら、本能じゃないのかも。人間――特にサラリーマン――が作った、人間の文化なのかもしれない。

そういう他愛もない思考の流れを止められぬまま、もそもそと口にパンを突っ込む。パンを突っ込むことと、コーヒーを啜ることに集中していると、口が自然にFly me to the moonを歌っていた。最近エヴァンゲリオンの新作が出るとかでどっかで流れていたのが、頭の中に残っていたのかもしれない。火星と木星の春がどんなもんだか見せて頂戴、みたいな歌詞。音楽が頭の中に流れ始めると、何も考えない、というお医者さんの指示に成功しやすくなる。覚えてないところはふふふ~ん、とか適当に誤魔化して一曲歌いきったけれど、物足りなくてアレクサに頼む。

アレクサは、フランク・シナトラのFly me to the moonを選んで流し始めた。一緒になって歌うけれど、シナトラとわたしの間の取り方や歌い方のリズムはどうもずれていて、わたしがおぼつかなくシナトラに合わせて歌いながら、パンとコーヒーの後片付けをする。シナトラって、なんだかデジャヴ感のある声だなと思っていたら、もしかしてわたしの好きな喫茶店でよく流れているかもしれない。何も考えず、黙々と何かをするのにシナトラの甘やかに洒落た歌い方とジャズオーケストラの演奏はしっくりと嵌まる。

シナトラを流したまま、自然な流れでまた、風呂に入れた。昨日も(夕方くらいだったけれど)風呂に入れたから、また二日連続で風呂に入るのに成功している。しかも風呂に入る前に排水溝の掃除までしてしまった。一体何ヶ月分なんだろう、わたしの髪の毛と垢といろんなものが凝縮されてそのまま腐ったドブの臭いはそりゃ酷かったけれど、シナトラのご陽気な歌声につられてか大した苦でもない。何も考えずに塊を処理して風呂に入り、三日くらい風呂に入れていなかった二日前と比べると肌が湿気を帯びてきたことを実感する。毎日風呂に入ると、こうなるらしい。初めて大地に触れた子供のような原体験だった。でもこの面倒くさい仕事を、皆当たり前のこととして毎日こなしていることを思うと、やっぱりへんだな、いや、へんな文化、って言ったほうがいいのか。

以前友達と就活の面接の話になって、「毎日習慣にしていることはありますか?」と問われた、という話を時折思い出す。友達はとっさに「日記を毎日書いてます」と嘘八百を伝えたそうだが、わたしならきっと何も言えなくて沈黙してしまう、というかみんなそうじゃない? 毎日続けていることなんて、そんな立派なことできる人がこの世にそうたくさんいるのか? と思っていた。けれど、仮にわたしが再びどこかの企業の面接を受けて同じことを聞かれたら、こう言おう。

「毎日の習慣ですか? はい。わたしは毎日だいたい同じ時間に起きて、朝ごはんを用意して食べ、顔を洗って、歯を磨いて、櫛で髪を梳かしてアイロンで伸ばして、化粧して、服を選んで着替えてコンタクトをつけて鏡で自分の姿を確認することを習慣にしています。それだけではありません。帰ってきたら手を洗ってうがいをしコンタクトを外したら風呂場で体と髪と顔を全部洗い流します。化粧水と乳液をつけて部屋着に着替え、夕食を用意して食べ、だいたい同じ時間に寝ます。」

そんなの当たり前だと笑われたら、さらにこう畳みかけるつもりだ。

「わたしはその『当たり前』の難しさをよく知っています。これが当たり前にできなくなることは、この世の中でざらにあるんです。わたしのポリシーはこのように、当たり前を疑い、問い直すことにあります。御社は疑ったことはないのでしょうか? ああ、ええ、そうですか、それでしたら、面接は辞退ということで、これにて終了とさせていただきます。どうもありがとうございました。」

唖然とする面接官に綺麗なお辞儀を見せつけたあと、オフィスに颯爽とぺたんこ靴のペタペタ音響かせて去ってやろう。

アレクサによるシナトラ・リサイタルは未だ続いている。All of meを口ずさみながらベッドのシーツの洗濯に取り掛かろうとしていたとき、インターホンが鳴った。ヤマト運輸からの小さな箱で、発送元は新潟県。でも、贈り主には大切な友人の名前が記されていた。その名前で、胸が詰まる。

わたしの大切な彼女が一昨日突然、贈り物をしてもいいかと尋ねてきたので驚いた。何か気を遣わせていたら申し訳ないと思って色々と取り繕ったが、彼女はそれを否定したあと「存在だけでも必要なものな気がした」と。なんだよ、それ。贈りものは好きだ。贈ったときの、相手の喜ぶ顔や驚いた顔を想像してにやけるのが好きだ。でも贈られるのは、なんだか久しぶりで、わからない。彼女には誕生日プレゼントも自分からねだってしまったし。天地無用、割れ物注意と書かれたその箱を恐る恐る解体し、包装を解いていく。段ボールの中からもう一回り小さな箱が出てきて、それを開いて、泣いちゃった。

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気泡が雪のようだった。硝子だけれどもその気泡が連なった上半透明の質感で、一つ一つ手作りなのだろう、飲み口の断面が微かにゆがんでいるが、いやなゆがみではない。むしろ素朴で、不完全ゆえのあたたかく、そっけない美であった。

つめたい硝子を掌に収めて、しばらく泣いていた。向かいの家の屋根の上を光が滑って、祝福のようにわたしの額を照らした。シナトラとジャズオーケストラはまだあの甘やかな声で歌っていて、わたしは彼女の贈り物を手にしていて。ゆめのような朝だった。何かの手違いで、わたしにこんな朝がやってきたんだ。と思った。罰当たりなほどの幸福と愛おしさと光を、わたしは上手に受け止めきれなかったし、まだ、くるしい。持てる言葉をできるかぎり、でも怖くならないように、尽くして、お礼を伝えた。言葉が合っていたのかは、わからない。

シーツは、いつぞやの生理に失敗してしみになっていたところがあるから、そこを落としてから洗濯機で回して外に干した。(衛生観念的にとてもまずいことはわかっているんだけれど、どうにも動く気力になれなかった。)カーペットも玄関で細かい汚れを叩き落としてから洗って、ロフトに引っ掛けるようにして干した。それでようやく11時、普段ならやっと起きる時間だ。一日が長いことに感動しつつ、文鳥と遊んだり小説を読み進めたりしながらも身支度を整えて外に出られたのが12時半頃。日が高い。いつも日が暮れてから、紫色の夕焼け空の頃に外に出るというのに。

最初は荻窪の本屋さんに行こうと思っていたのだが生憎定休日だったので、サイゼリアで籠って書き物でもしていよう、と足を進める。商店街はこの辺りの住民の生活圏内ということもあり、平日といえども人が多い。そそくさと切り抜けサイゼリアを目指す途中、カラオケ館が2時間0円とかいうキャンペーンをやっているのが目についてしまった。それで思い出した、わたし歌うのが好きだった。それこそ全休の日は土日よりも安いので、よくフリータイムの始まる11時から18時まで一人で歌い続けるとかいうバカをしていたものだ。コロナ禍になってから、すっかりカラオケに行くという選択肢がなくなっていたけれど、一人ならまあ感染リスクもないし、いいだろう、と思って二時間、歌った。いつも行き帰りの歩いている間に音楽を聴いていたので新しい曲のレパートリーもなく、いつも通り歌いやすい米津玄師だとか東京事変だとかを歌っていた。最後のほうで、アリーナサウンドっていう——なんかエコーとか音響がライブっぽくなるやつ——あの機能に気付いて、なんとなくやってみた。曲はカネコアヤノ「祝日」「燦々」

一年くらい前から、弾き語りをしてみたいという夢がある。弾き語りというか、誰かにこころからの歌を聴いてほしいという欲望、なのかもしれない。中高時代の自己表現方法はずっとサックスで歌うことだったから、その延長線上というか。書くことよりかは少し下だけど、音楽、歌うことも、わたしの自己表現の手段の一つで、それを誰かが受け取ってくれたらいいな——イメージは、こうだ。

雪が降る夜、ちいさな家の窓にオレンジ色のひかりが灯る。家主であるわたしの大切な人はソファーに腰掛けて、やわらかい手触りのブランケットを膝の上にかけている。わたしは暖炉のそばで小さな丸椅子を借りて、胡座をかくようにしてギターを抱えて、歌うのだ。テーブルの上には中途半端にクラッカーやチーズ、レーズンが残っている。わたしたちはさっきまでそれを食べていたのだけれど、思い立ったようにわたしがギターを持ち出したから。ホットワインから立ち昇る湯気の白さ。暖炉のぱちぱちと燃える音。雪の重さが作り上げたちいさな箱の中で、わたしはふざけながら、ときに真剣に、隠していた愛を暴露するみたいに、「燦々」を歌うのだ。

間違っても 別に構わない
次の日も君といれるかがずっと不安で
燦々とした気持ちでいよう
胸が詰まるほど美しいよ ぼくらは

まあ、アリーナサウンドだから、あの日ちいさな家で歌っていたわたしは随分と出世した設定らしいけれど(笑)

時間ギリギリになって椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」を歌った。これは大好きな曲、魂に刻み込むほど歌った曲。最後に叫ぶように歌いきって、満足して、ドリンク代の600円+税のみ。大丈夫なのか、カラオケ館。

ようやくサイゼリアに辿り着く。半年ぶりくらいに来たような気がするが、メニューの取り方が変わっていて驚いた。メニューに書かれた商品番号を紙に書いて、店員さんに渡すのだ。期間限定のチーズのパスタを頼んで食べたあと、この前買った山内マリコ『あたしたちよくやってる』をようやく読み切った。小さなエッセイや短編が多いから、毎日少しずつ読むのにちょうどよかったのだ。

普段あんまり作家の経歴に興味がないほうだけれど、山内さんに関しては同時代を生きてる人というのもあり、なんだかんだエッセイを読みながら知っていった。といっても物覚えが悪いので、30代で作家デビューしたってことと、結婚してるってことくらい。30代、遠いようで、着実に近づいている世代。

大人になったら、なんとなく普通の大人になれるんだと思っていた。わたしは普通の小学生から普通の中学生、普通の中学生から普通の高校生、普通の高校生から——ちょっと変わってるかもしれないけど——でもまあ、普通の大学生になった。から、まあ普通の大人、社会人になると想像するのは易い。でも、なぜかここで躓いちゃった。普通の大人、普通の社会人に、なれなかった。

たぶん、わたしはどっか子供のまんまの心を引き摺っているんだと思う。それを今まで「学生」「若さ」という身分で許容されていた。けれどもう、24歳。同世代はどんどん活躍しているし、年下の人でわたしなんかより才能に溢れ努力をしている人を見ると、正直焦る。でも目前には30歳、「学生」はおろか「若さ」ですら失われつつあるのに、こんな内側に子供を抱えたまま。不安だ。不安だ。上からも下からも、内側からも責められる。でも責めているのは、結局全部自分自身。勝手に考えて、勝手におかしくなってるだけ。そのことでまた落ち込んで、泣いて、ままならぬループに陥ってしまう。

だから、山内さんが30代で作家デビューした、って話をしてくれるたびに、救われちゃう自分がいる。あ、まだ、大丈夫かなって。

年齢なんて関係ないって言われたら、そりゃそうかもしれないけど。自分で作り上げて責め苦の抜け道を、わたしは山内さんに見出してしまいがちだ。お姉さんとして。わたし、この人の後を追っていきたいな、と思う。山内さんがエッセイの中でたくさんの女の子に憧れていたように、わたしもこの作家さんの生き方に憧れて、追っかけて、何か見つけられたらいいなって思う。まあ、甘い考えなんだろうけれど。

それに、山内さんが昔この街に住んでいたと知って、やっぱり嬉しくなっちゃった。そういう憧れの断片を少しずつ拾うことに意味があるのか、それより書け、いいから書け、書かんと始まらんだろ、と言われれば、スミマセンデシタとしか言いようがない。

収録されているエッセイの中で、母校の高校生に向けて書いた文章がある。

 夢を追いかけるのはリスキーな選択です。結果オーライで、いまはこうやって偉そうに語っていますが、この先どうなることやら……。それでも、「歌いながらパンを得よ」とわたしは言います。つまり、楽しく働いて生きていこうってことです。
 人生の前半は、できるだけ好きと思える仕事を探す旅です。わたしはその旅に、三十一年もかかりました。
(中略)
 でも、歳を取るたびにその重荷は少しずつ減って、そのうち身軽になれるので、もうしばらくがんばってください!
(山内マリコ『高校の先生に頼まれて書いた、後輩たちへのメッセージ』同作者「あたしたちよくやってる」に収録)

わたしもう高校生なんてはるか昔だし、三十一歳なんてもうすぐなんだろうし、全然この文章の想定読者外なんだろうけれど、それでもなんか、「おっしゃ!」となる。

大丈夫だよ。まだまだ、探していこうよ。時間ならあるんだから。


読み終わった後、何か文章を書こうと思ったらキーボードの充電を切らしているという痛恨のミス。残念。仕方がないので恒例のラッセル『幸福論』を読み進めた。今日は「ねたみ」の章だったけど、珍しくあまり共感できなかった。ねたみが不幸の原因なのはわかるけど、でもそもそも色んな不平等がこの世をちょっと歩くだけで爪先にゴロゴロ転がってる。不平等をねたみにすり替えるのは、ずるいと思う。男女の話が喩えに出てきたから、過剰に反応しているだけかもしれないけれど。そこそこに切り上げ、退散。サイゼリアのデザートはメリンガータが好き。やけくそみたいなシナモンフォッカッチャも好き。

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そこから大きめの本屋に行って木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』を購入。短歌をやるつもりはあまりないんだけれど(Twitterの140字でさえ常に溢れかえりそうになるタイプの人間だもの)、言葉を磨く手段、という意味で使えると思ったので。

それから太宰治、山内マリコ、川上弘美の文庫本を買い漁る。しばらくはこれで食料に困らないだろう。どうもわたしは文章のことを食べ物だと思い込んでいる節がある。文庫本だし、短編集を多めに買ったから、つまみ食いもしやすいしね。ちなみに、本当の食料については買い忘れた。そんなこともある。

ようやく家路について、ああ、これ全休の日の過ごし方だ、と気付いた。のそのそ起きて、ちょっと家事して、歌ってご飯食べて本買って帰る。一番わたしがわたしらしかった大学時代の四年間、こんな日を何度も何度も過ごした。意図して過ごした、というより、自然とそうなっていた、というほうが正しい。で、今日も自然と歩いてみて、案の定そうなったんだから、すごい。わたしにとっての一番の日常って、これなんだろうな。恐らく。うん。わたしって確か、こんな人間だった。これが当たり前にできる生き方ができたらいいなあ。

行く道は外の音を聞きたくてイアホンをしなかったけど、帰り道は例の如く椎名林檎を聴いていた。Apple Musicが選んだのは、「目抜き通り」

誰も知らない わたしが何なのか
当てにならない 肩書きも苗字も
今日までどこをどう歩いてきたか
わかっちゃあいない 誰でもない

人気のない夕方の住宅街を目抜き通りに仕立て上げ、本でいっぱいの買い物袋をデパートの紙袋みたいに下げて、わたしは愛する街を闊歩する。

と、そこまではよかったものの、家に着くなり朝の睡眠不足を補うように爆睡。そこから慌てて書き始めて、今23時40分。早速今日買ったご馳走を広げつつ、眠ります。わたしも一応、昼行性目指してるんで。おやすみなさい。


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