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原稿は紙じゃなくデータで下さいね

編集さんから突如こんな事を言われ、軽くパニックに襲われたのはモノ書きデビューかわわずか数か月後のこと。

当時の僕にとって担当編集者といえば神様同然で、その言葉はまさに御託宣。泣く泣く40万ほどのワープロをローンで購入し、400字詰め原稿用紙への手書きからフロッピーディスクでの入稿というちょっとした産業革命が我が書斎にて行われたのである。

今じゃ原稿どころか写真の入稿もメールが当たり前。それどころか、スプレッドシートでの共同編集も日常的な作業になってしまった。

ワープロからパソコンに変わったのは、やはりWindows 95のとき。現在のハイエンドマシンなみに高額だったけど、スペックはガラケー以下。以来、95→98→XP→7→8→10と10台以上のパソコンを乗り継いできた。

原稿作成や編集(DTP)作業メインではなく、情報収集のためにインターネットを使うようになったのは、XPの時代からかな?この辺りから僕はモノ書き仕事以外の仕事(コンサル他)が忙しくなってきて、検索及びデータ処理の道具としての使用がメインになってしまった。そして今…

物書きとして、コンサルとして、再び情報発信ツールとの位置づけでパソコンを使っている。インターネットはダイヤルアップ回線からADSL、光回線へと変わり、さらにWiFiという魔法を得て「どこにいても世界と繋がる」時代となった。思えば携帯電話が世に出たとき、まだ保証金10万円・レンタルのみという時代だったのに早速導入し、「これでどこにいても連絡が取れる」と得意になっていたものだ。だが、それは同時に「どこにいても仕事から逃げられない」と同義であり、ビジネスパーソンたちのストレスを大幅に加速させた。

どこにいても電話が通じる、どこにいてもネットが繋がる。

それは大層便利なことだけど、果たしてみんなにとって幸せなことなのか…ちょっと疑問でもある。時代の流れでテレワークやリモートワーク、そしてワーケーションが進んでいけば、どんどんオンとオフの境界線がぼやけていくようにも思う。疲れてベッドに横になっているときにPCから転送された仕事のメールが枕もとのiPhoneに届く。今日は勘弁してくれぇと思っても、やっぱり気になって起きちゃうんだよね。

今年の8月はWindows95の発売から25周年という節目だった。

もちろんそれ以前からMS-DOSやMacOSはあったけど、世にパソコンブームが巻き起こったのはまさにこの時。それから四半世紀の時が流れた今、新型コロナの影響もあって人とインターネットの関係はまた大きく変わろうとしている。便利さだけでなく快適な生活・労働環境を構築するために、それらをどう使っていくべきなのか。

時に応じてスマホやネット環境を遮断し、【情報断捨離】をすることも必要なのかもしれない。なかなか難しいことではあるけれど。


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