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思うところ

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あ、すみません。何でもないです。
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私とBUCK-TICK

私とBUCK-TICK

櫻井さんの訃報を知って以来、ずっとBUCK-TICKのことを考えている。何せ人生を共にしてきたバンドだ。BUCK-TICKから思い出したり、思い出からBUCK-TICKに繋がったり…。
何度も書くが、八尾に住んでいた4歳くらいから、岡山の田舎に年に一回は帰っていた。片道4時間以上の道程でヘビロテされていたのはBOØWY、夢工場、そしてBUCK-TICKなどだった。ハリアップモードやセブンスヘブン、

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今、思いつくこと

今、思いつくこと

90年代最初の八尾にはバンドブームが溢れていた、ように思う。道行く人、チャリ行く人がギターを抱え、西武百貨店あたりを彷徨く。今と違って新譜が出ればバンドスコアが必ず出版されていた。
今から考えると悪の華、ハリアップモードが近い間隔で発売され、BUCK-TICKの数年間での進化を目の当たりにしていた頃だ。そこから狂った太陽、殺シノ調ベ、そしてdarker than darkness…、小学校低学年だ

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03年

03年

大学一年生の冬あたりから「あ、大学の中に居場所がない」と思い始めていた。当時を思い起こすと、生駒付近で始めたバイト探しに失敗し大学に使う沿線の反対方向である王寺駅の中條文具店で働いていた。大学の1限目が10時30分に終わるので、早歩きで長瀬まで歩いて12時前に王寺駅に着く。17時のバイトまでサイゼリヤでまっさんとダベる、ダベる、とにかくダベる。恋愛、思い出、音楽、映画、話は尽きなかった。
まっさん

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思い出し笑い要員

思い出し笑い要員

オードリーのオールナイトニッポンを聴いてると若林さんが校長先生の朝礼を話をしていた。若林さんは「何一つ覚えていない」と言っていた。自分の胸に聞いてみると、一つ鮮明に思い出した。
小学校の校長先生は白髪のおじさんで、もちろん朝礼の話もご多分に漏れず、そんなに面白くはなかった。ボーッと聞いていて、僕は法則があることに気づいた。校長先生は一節話し終えると「えー」だの「あー」だの、時には「おー」だの言うの

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惜別

職場の先輩が亡くなった。まだ50代だった。日曜日の夜に体調不良を訴え、自分で救急車を呼び、午前3時に病院に搬送され30分後には亡くなっていたそうだ。
2週間前には目の調子が悪いということで相談があり、馴染みの眼科を紹介していたところだった。先週の金曜日も普通に出勤していたそうで、まだ信じられないというのが正直な気持ちだった。
通夜に参加し、顔を見ることができた。目はつぶっているが、何か考え事をして

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Do you remember rock‘n’roll radio?

 ラジオを習慣的に聴くようになって、21年になる。今、毎週聴いているのは、「岡村隆史のオールナイトニッポン」「オードリーのオールナイトニッポン」の2つで、どちらもとても面白い。
 習慣となったきっかけは入院である。高校1年の冬に盲腸になってしまったのである。前日から体調不良で近くの病院を受診し、レントゲンまで撮られたが、何もないと言われ帰宅。翌日、夕方過ぎからは立てなくなるほどの腹痛に襲われたのだ

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あこがれ

いつの頃だったか、人生の中で「この人には会いたい」という望みが生まれてきていた。
特に強烈に意識したのは中学生の頃だったと思う。その人というのは「ジョージハリスン」「中島らも」「布袋寅泰」だった。何が根拠かは分からないが、幼さからか「会える」という確信が僕を支配していた。ビートルズアンソロジー、大きなビートの木の下で、変!を読みながら、自分がしっかりした大人になって、この3人に話しかけることを夢見

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散歩

出張先の名古屋市街を散歩中にこんな事を思い出した。

大学時代、バイトの休憩時間にタムラくんと雑談していた。その中でタムラくんの「今日の新しい講義、30分くらい聴いてて“トゥッ!”てなって~」との発言にしばらく爆笑してしまった。その後、“トゥッ!”の発展系を探す僕にタムラくんは「待て!使いすぎや。これは大事に育てんと」など警告を出していた。
バイトの終わり間際には、僕が「ダンカン!」とビートたけ

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6月19日

太宰治氏の随筆で好きなものに「六月十九日」がある。その中で同じ年、同じ日に生まれた詩人から酒を飲もうと誘われた時の太宰氏の断り方が何とも良いのである。6月19日生まれの人には全員に読んで欲しい。そうでない人にも、まあ読んで欲しい。

誕生日の記憶では「あと1日生まれるのが早かったらビートルズのポールと同じだったのに」と言われたことがある。これほど、「どうしようもない」こともない。時差を利用しても無

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あの人の長寿のお祝いに

今の職場では80歳を迎えた医師に長寿のお祝いとして、感謝状と記念品を持参する業務があるのだ。
毎年色んな医師に会ってると同い年でも様々なのだと感じる。特に女性は元気だ。「あと10年は続けるわ」と豪語した女性医師に幾度となく出会った。
一方で引退してプルプルしてる人にもたくさん出会う。でもそれで良いのだ。思えば人の命という繊細な分野を預かって第一線で担って来た人なのだ。頭が下がると言わざるを得ない。

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らもさん

中島らもさんが亡くなってもうすぐ12年になる。7月であった。まっさんかららもさんの死を知らせるメールがあった。
僕はらもさんが大好きで、書籍やテレビ番組をフォローしていたから非常にショックだった。ただ、死の直前のらもさんのエッセイや対談、大麻所持で逮捕されたことなどから「らもさん最近大丈夫かな?」と思っていた。特に逮捕についてはビックリした。らもさんは「国内で非合法の薬は絶対にやらない」とよく書い

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春がくれば

僕の大好きな冬が去ると春がやってくる。僕にとって春はノスタルジーを感じさせてくれる季節だ。

小中高の入学式、卒業式はもちろん、スーパーギタリストタムラくんと出会うきっかけとなった文具店で働き出したのも、大学入学後にあまりに暇でハマったサクラ大戦を買ったのも、タムラくんが就職する前々日にまっさんと3人で夜通し桃鉄をプレイしたのも全て春だった。

そしてまっさんが完成させてくれたトリビュートだ。通し

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