Do you remember rock‘n’roll radio?

 ラジオを習慣的に聴くようになって、21年になる。今、毎週聴いているのは、「岡村隆史のオールナイトニッポン」「オードリーのオールナイトニッポン」の2つで、どちらもとても面白い。
 習慣となったきっかけは入院である。高校1年の冬に盲腸になってしまったのである。前日から体調不良で近くの病院を受診し、レントゲンまで撮られたが、何もないと言われ帰宅。翌日、夕方過ぎからは立てなくなるほどの腹痛に襲われたのだ。よかれと思って母が患部を温めたことも良くなかった。腹膜炎になってしまったのである。瀕死の状態で県立の病院に運ばれ、即手術。一命を取り留めたのだった。手術室に車いすで運ばれる僕を見て、姉は「蝋人形よりも顔色が白かった」と言っていた。
 この盲腸話はまた別の機会にするとして、退屈すぎる入院生活を支えてくれたのがラジオだった。まず朝は「おはようパーソナリティ 道上洋三です」、その後はNHKの朝の連ドラのラジオ放送(情景が浮かぶように説明が入っていた気がするが定かではない)、その後は漫画を読みながら、ウトウトしながらなどして聞き流す。そして夜はMBSラジオで「オレたちやってまーす」を聴いた。金曜日の担当はよゐこと声優の椎名へきるさんだった。ラジオを聴くまでのよゐこの印象は、濱口さんがめちゃイケでの騙され役、有野さんは失礼な話だが役立たずというものだった。ところがラジオのよゐこはめちゃくちゃ面白かった。なぜこんな面白い人達がテレビでは盛り立て役に徹しているのだろう?と驚愕したものだ(今から思えば当時でもあの立ち位置は十分すごいのだが)。この「オレたちやってまーす」という番組だが他の曜日では極楽とんぼ、藤井隆さん、V6など豪華なラインナップだった。声優さんやアイドルもメンバーで、ワイワイした雰囲気が楽しかった。
 退院してからもラジオ生活は続いた。藤井隆さんは当時、超多忙で元気に喋っていたと思ったらCM中に卒倒して病院直行、CM明けにはゲストに来ていた東野幸治さんに進行が交代していたこともあった。東野さんは難なくラジオを進行し、プロの凄さを痛感した。その翌週だったか、それとも別の体調不良の時だったかに代役で登場したのが雨上がり決死隊だった。彼らもとんでもない実力者だった。元気な暴力マンの宮迫さん、天然ボケなのか計算したボケなのか判断に迷う蛍原さん…。テレビでもよく見かけるようになっていった頃だったけど、蛍原さんは今でいう「じゃない方芸人」の様な扱いを受けていたのが納得いかなかった。彼は当時からラジオで物凄く面白かったのだ。ラジオは素の姿に近いのか、テレビではキャラというものを意識しているのだと思い始めたのもこの頃だった。このラジオには山崎邦正さんも参加していて、歌が上手くゲームも何となく上手くこなすというテレビとは全然違うキャラだった。大学受験も挑戦し、筆記で落第したことにも笑わせてもらった。
 余談だが、藤井さんはラジオにおけるキャラに迷走し、不思議な切れキャラを演じて放送事故級の事態となり翌週に番組の冒頭から謝罪。「往復ハガキを送ってくれたら謝罪文を書いて返信します」と宣言して一通一通本当に返信したのだった。なぜ言い切りかというと僕も往復ハガキを送り、実際に返事をもらった一人だったからだ。そのハガキは今も大切にしまってある。
 ところで、この文章は約3年前に書いたものに加筆・修正した。3年前は極楽とんぼの山本さんが復帰した頃で内容が微妙かな?と考えている間に今になった。しかし今は宮迫さんが…。何かがこれ以上起こる前に残しとこうと思う。

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