「ここまで来たあの世の科学 」で意識変革を提唱する元ソニー上席常務・工学者の天外伺朗氏の話に、耳を傾けます
・・・「あの世」には過去も現在も未来もありません、つまり、時間がないので死もないのです、私たちが「この世」に生きているこの瞬間にも
「あの世」に存在しているのです ・・・
まず最初に、天外伺朗(てんげしろう)氏のプロフィール:
東京工業大学卒で工学博士。42年間勤務したSONYで、CDの発明・開発、ロボットAIBOの開発責任などに携わる。著作は「ここまで来たあの世の科学」などの宇宙論・人生論から、「人材は不良社員からさがせ」などの人材論・組織論まで40冊以上あり。本名は土井利忠。
本題に入る前に、
2020年6月17日付朝日新聞に掲載されていた、生物学者・福岡伸一氏の寄稿文より、以下に要点を紹介しておきます;
コロナ禍で見えた本質 ~ 福岡伸一氏
それでは、天外氏の話に耳を傾けます;
「あの世の科学」より以前のこと
私:
理系大学で電子工学を学ばれ、SONYという大企業の研究所に入り、技術開発に大きな貢献をなされたわけですが、そもそも、なぜ、「あの世の科学」に興味を持たれたわけですか?
天外氏:
私の父は、一種の霊能力者でした。そんなわけで、超常現象には子どもの頃から興味があったし、私自身は全く疑いをもっていないのに、世間が否定している超能力というものを何とか科学的に究明できないもか、そう考えて、電磁波を研究することにしました。
私:電磁波ですか?
天外氏:
目に見えないテレパシーとか透視を研究するには、同じように目に見えない、それでいてエネルギーを伝達したり通信の手段に使ったりできる電磁波を研究するのがいちばん手っ取り早いと考えたわけです。
私:
それでどうだったのでしょうか?
天外氏:
博士号まで取ったのですが、サイエンスの世界そのものが、自分の目指す方向に近づこうとしていない、いってみれば、近代科学の限界のようなものを私は感じるようになったということでしょうか。
私:
なるほど、そんな若い頃がおありだったんですね。その後は、かなり長い間、企業の技術開発部門のリーダーとしての生活が続くわけですね。
宇宙は二重構造 ~物理学者ボームに出遭う
天外氏:
私が再び見えない世界に目を向け、「あの世」について考えるようになったのは、デビット・ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」やユングの「集合的無意識の仮説」などを知ってからのことでした。
私:ボームとは初めて聞く名前ですが、どんな人ですか?
天外氏:
ボームは、「あの世」と「この世」が表裏一体であるということを、次のような言葉で表現しています。
「宇宙は二重構造になっており、物質的な宇宙=明在系(この世)の背後に、もう一つの目に見えない宇宙=暗在系(あの世)が存在している。」
実は仏教でもヒンズー教でもいわれてきたことですが、科学者として最初にこの仮説を提唱したのは、デビット・ボームという高名な物理学者です。ボームの仮説は、素粒子の不思議な動きを説明するために生れた物理学上の宇宙モデルであり、そこには神秘主義や宗教の色彩はまったくありません。
私:
そう言われても、「あの世」と「この世」の宇宙モデルというのがどうもピンとこないのですが・・・。
天外氏:
宇宙は、実は目に見えない「あの世」と、目に見える「この世」とが一体になってできていると考えられます。ただ「あの世」とは、「死んでから行く世界」のことではありません。
私: ・・・?
天外氏:
ボームは、そんな「あの世」の概念を説明するのにホログラフィーをもってきました。ディズニーランドの「ホーンテッド・マンション」というお化け屋敷で見られる動くお化けの立体像、あれがホログラフィーです。干渉縞と呼ばれる細かい模様が記録されたフィルムにレーザー光線を当てると立体像が浮かび上がってくるというものです。その模様のどの部分にも物体の全体像が記録されている、これが特徴です。
私: ??・・・何かもっと違う説明もありませんか?
天外氏:
かりにいま、私たちが見ているテレビの画像を「この世」、電磁界を「あの世」としてみてください。電磁界が存在しなければテレビに画像は映りません。画面の中の人物や物体は、電磁界の特定の場所に存在しているわけではありません。あらゆる空間に拡がる電磁界全体のなかに、渾然としてたたみ込まれていて分離できません。
私: それで、どうなるのですか?
天外氏:
私たちが「この世」に生れてくるというのは、テレビのスイッチを入れた状態にたとえられるでしょう。画像に人物が映し出されるように、私たちは「この世」に生まれ、動き始めます。また、死ぬということは、テレビのスイッチを切った状態にたとえられるでしょう。スイッチを切っても電磁界はなくなりません。画像のすべての要素は電磁界のなかにたたみ込まれたかたちで存在し続けます。つまり、もう一人の根源的な自分は、生死と無関係に「あの世」に存在し続けているわけです。
私:少しわかったように思えますが、信じられない考え方でもあります。
天外氏:
「この世」の常識に束縛されている私たちにとっては、それも当然でしょう。日常の生活概念のなかにまったくない「あの世」の存在など、信じようとしてもなかなか信じられるものではないからです。
人間の心も二重構造 ~深層心理学者ユングに出遭う
私:
ある時期から、精神分析学の開祖フロイトの弟子で、その後、独自の「集合的無意識の仮説」という概念を生み出したユングに興味を持たれたのはなぜですか?
天外氏:ユングは次のように言っています、
人間の「無意識」は、個人に所属するものではなく、全人類に共通であり、つながっている。
ユングを読みながら、私にはひらめくものがありました。意識の奥底にその存在がまったくわからない「無意識」がひそんでいるという説と、目に見える宇宙の背後に目に見えない宇宙が存在しているという説は、私たちに知覚できない「もう一つの世界」があるという点で共通しています。
私: 何かわかりやすい具体例はありませんか?
天外氏:
「虫の知らせ」とか「胸騒ぎ」とか「テレパシー」、あるいは「以心伝心」などという現象は、人間の心と心がどこかで網の目のようにつながっていなければ、ありえないことではないでしょうか。ユングは、これを学問的に追求し、そこからこの「集合的無意識の仮説」を導き出してきたのです。
私: なるほど、少しわかってきました。
「あの世」は時間がないから運命もない、想像を絶する世界
私:
計測可能なデータに基づき、何度でも実験結果が同じになる現象だけしか科学的発見とみなされません。天外氏のお考えは、科学的ロマンに満ちた話ではありますが、科学的実証はできませんよね?
天外氏:
精神の世界を科学の視点でながめようとするとき、どうしてもこの両者(ユングとボーム)が結びつきにくいのは、ふたつの固定観念がじゃまするからでしょう。ひとつは、「物心二元論」です。デカルトが唱えてから、まだ300年しか経っていませんが、私たちはこの考えに染まりきっています。もうひとつは、学問の細分化です。素粒子の物理学と深層心理学というふたつの異なる専門領域の仮説が実は同じ内容だという発想は、そういう状況の中からは生れにくいでしょう。
私:
なるほど、そうなのかもしれなせん・・・。それでは最後にお聞きします。多くの著作を通して一貫して主張されていることがあると思いますが、ここであらためておたずねします、「あの世の正体」や「宇宙の仕組み」を知って、一体、この人生がどうなるというわけですか?
天外氏:
何度も言うように、「あの世」には、過去も現在も未来も一体になっている、つまり、時間がありません。時間がないということは、死もないということです。ですから、「死後の世界」は「あの世」にはありません。そんなこととは無関係に「あの世」は存在しているし、生きているこの瞬間にも私たちは「あの世」に存在しています。
私: 「あの世」に存在して、「この世」にもいる・・・??
天外氏:
私たちがこうして肉体をまとって「この世」に生れてきたというのは、ちょうど大海からちょっとあぶくが出てきたようなものでしょう。もちろん、大海が「あの世」で私たちがあぶくです。宇宙の主体は「あの世」です。「あの世」には、すべてのものが渾然一体となってたたみ込まれているので、個というものがありません。「全体でひとつ」ということです。私はあなたであり、彼は彼女であり、同時に石や木であり、ビルや飛行機であり、月や太陽や銀河でもある。それらすべてが溶け合って区別できないということです。
私: それで、一体どうなるというわけですか?
天外氏:
時間のない「あの世」には原因と結果がありません。原因と結果は、時間の経過があって初めて成立します。つまり、「あの世」には因果律がないのです。
私:
時間の経過がないから、原因と結果もない・・・ということは、「運命」というものも無いということでしょうか?「この世」の実際の人生では、私たちは成功や失敗に一喜一憂する煩悩の中にいますが、「あの世」から見れば無意味でしかない、とても刹那的な感情に人間はとらわれてしまっているということでしょうか?
天外氏:
前世、現世、来世と、綿々と続く輪廻転生の一つひとつの人生は、「あの世」では全部ぐしゃぐしゃに重なっているわけです。そこには時間や空間や精神までもが「たたみ込まれ」ている。これは、ものすごい、想像を絶する世界です。
私:
ということは、「この世」に生きるわれわれが、心の奥から意識を変えて、もっと「あの世」に近づくなら、あらゆる煩悩を超えた全く新しい世界が開かれるわけですね。
愛は人からではなく、宇宙から来ている
天外氏:
私は、前著「ここまで来たあの世の科学」で、次の言葉を結論として提示しました。
宇宙は、全体として、ひとつの生命体です。その基本は、「無条件の愛」であり、また「仏性」であり、宗教が神や仏と呼ぶ概念と一致します。
私:
んん・・・、「あの世」も含んだ「宇宙」のことは、そういう考え方もアリだろうと納得しましたが、著書をさらに読み進めると、日々の実践としての「人生論」、つまり、人間の「想念」や「気づき」の重要さについて述べておられます。こちらのお考えもとても示唆に富んで傾聴に値するお考えだと思いました。
天外氏:
宇宙のしくみを考えるということは、人生のありようを考えるということに通じます。人間の生き死にの問題の考察です。「いかに死ぬか」という問題は、「いかに生きるか」という問題と切り離して考えられません。幸福とは、宇宙の愛を感じることです。人に対する愛というのは決してその人から出てきているのではなく、やはり宇宙からきているといっていいのではないでしょうか。宇宙の愛を感じている人は、自分を通してその宇宙の愛を人に伝えているのです。
私:それはもう科学というより、宗教といったほうがよさそうですね。
天外氏:
「感じる」ということが大事なのだと思います。つまり「宇宙の愛」を、キリスト教では「神の愛」、仏教では「仏の慈悲」といっているけれども、
これは説教を聞いて頭で理解しても、何の助けにもなりません。理性で理解しようとしても、これは理解できることではなく、体で感じる必要があるということなのです。
私:
それを「感じる」手立てのひとつに、「瞑想法」や「呼吸法」があり、日々の「気づき」があるのですね。本日は貴重なお話、本当にありがとうございました。
*上記は、天外氏著「宇宙の根っこにつながる生き方」(2002年サンマーク文庫)より天外氏の文章を一部そのまま引用して、私との「架空のインタビュー」として構成した創作です。
最後に、まとめ
天外氏はこんなことを言っています;
・私たちは、「あの世」という大海からあぶくのごとく、肉体をまとって「この世」に生まれ落ちている。
・「あの世」には、すべてのものが渾然一体となってたたみこまれているので、個というものがない。
・「全体でひとつ」だから、私はあなたであり、彼は彼女である。同時に石や木であり、ビルや飛行機、月や銀河である。
そして、福岡氏はこんな風に言っています;
・生命とは、遺伝子のことでもなければ細胞のことでもない。絶え間なく分解と合成を繰り返しながらバランスをとることである。
このお二人の主張されていることは、私の中では、ほぼ同じことを言っていると思われるのです。
つまり;
宇宙とは、時間を超越して、渾然一体となって絶えず分解と合成を繰り返し続ける生命体そのもの