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2023 同期しない音楽を求めて ~ 坂本龍一:晩年の試みと環境音楽について

前置き
2023年3月に死去した坂本龍一の追悼ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」(2017年公開)が、4月27日深夜にNHK総合で放送されました。その時の録画を、つい先日やっと見ました。それをきっかけに、坂本龍一のことだけではなく、広くは「環境音楽」と分類されてきた音楽について、もう一度、自分なりの「確認」をしてみました。

なお、お断りしておきますが、私は、坂本龍一のファンでもなければ、彼の音楽を好んで聞いていたわけでもありません。ただ、2017年の彼のアルバム:async を聴いて、彼の従来の音楽傾向が「環境音楽」へと向かい始めたのを感じ、彼に興味が湧いたのでした。

ですから、私がこれから述べたいことは、高名な作曲家:坂本龍一のことではなく、ドキュメント:CODA と、アルバム:async を素材にして、私が昔から興味を持って聴いてきた環境音楽:Environmental music、および、B・イーノが提唱した音楽様式であるアンビエント・ミュージック:
ambient music 、またはそれに関連した音楽についてです。

映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」(2017年公開)より、印象深い場面と彼の言葉を拾ってみます


場面1:映画「惑星ソラリス」とサウンドトラック
坂本龍一が音楽担当の映画「レヴェナント 蘇えりし者」の重厚なオーケストラの流れる大雪原シーンから、ほどなく、タルコフスキー映画「惑星ソラリス」で特に有名な「図書館で二人の無重力浮遊シーン」をテレビ画面で見ている坂本龍一の姿。そのシーンで流れるバッハのオルガン曲「我、汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」( BWV 639) を、ピアノで弾く坂本。

坂本の言葉:
ガンだと判った時、今まで考えていたアルバム・コンセプトを変えた、・・タルコフスキーの、あの感じをやりたい、でも、タルコフスキーに使われてしまったバッハは使えない、・・だから、自分でそういう曲を創りたい。

場面2:森の中、鳥のさえずりに耳を傾けては録音する坂本。

坂本の言葉:
普通の生活の音を自分の音楽に取り込みたい、・・混然一体となった音楽。

場面3:自宅のスタジオで
録音した落ち葉を踏む音に通奏低音のような電子音響をコラージュして、「いいでしょ、合ってる」と語る坂本。その音にさらにピアノをかぶせてゆく坂本、「ちょっとありかも」。

場面4:映画「惑星ソラリス」冒頭:水草の揺らぎシーン

坂本の言葉:
タルコフスキーは深く音のことを考えている、・・複雑な音響世界。彼はある意味、音楽家だね、・・タルコフスキー映画のサウンドトラックのようなものを作れたらいいな、・・うれしいですね。

場面5:いろいろな音を鳴らす坂本
ドラムやシンバルを叩いては擦る坂本、その反響を「いい音、最高だな、擦り続ければ永遠に続く」と感想を述べる。
ピアノの鍵盤を一音押したまま、「ピアノの音は持続しない、減退してゆく」「外のノイズの中に消えてゆく、・・反対に、そうでない音に憧れる」。
クリスタルボウルをあやつる坂本、それに電子音を重ねる。

場面6:バッハについて

坂本の言葉:
バッハのコラールは、一音一音、彼は祈るように書いていた、・・どこかメランコリック、神はなぜこんな苦しみを人に与えるんだ、という気持ちで曲を作っていたと思うんです。

場面7:津波とピアノ
(地震によって発生した津波被害を受けたピアノを弾く)

坂本の言葉:
津波という自然が調律したピアノの音はとてもよく聞こえる、自然(津波)が、不自然な状態のものを本来の自然な姿に戻してゆく。



・・・以上に述べた「映画:CODA」からの引用で、私が確認しておきたい要点は3つです:

・この映画は、2012年より5年かけて、坂本龍一を追い続けたドキュメントであり、その音楽制作の過程はそのまま、2017年発表の彼のアルバム:Async に結実していること

・坂本龍一氏は、映画監督タルコフスキーの、とりわけ、「惑星ソラリス」の音楽および音響の取り込み方に対して強い関心と思い入れがあったということ。
・旋律を奏でるための楽器以外の「物体」から生じる「音」にも興味を示し、自ら叩き擦って音を出してみた、ということ。

補足:タルコフスキー映画の音響について

彼の映画では、効果音や主題曲などの伴奏音楽はありません。あるのは、沈黙と人間の対話、その狭間に聞こえてくる自然界の音、疑似自然ないしは別次元の響きを想わせる電子音響です。そして、切迫した状況の果てに不意に奏でられるバッハです。
坂本氏の映画音楽「「レヴェナント 蘇えりし者」(2015年)は、そういうタルコフスキー的なアプローチの片鱗がうかがえると感じました。


次に、彼の2017年アルバム:Async について述べます


「教授」と呼ばれる音楽家、久しぶりのアルバム "async"

坂本氏が亡くなるずっと以前の2017年、BS1スペシャル「坂本龍一:音が溢れる世界で」というドキュメントを見ました。
古くは80年代テクノポップYMOで活躍、その後は映画「ラスト・エンペラー」でアカデミー音楽賞を獲得、ニューヨーク在住の著名な日本人の一人で
あろう坂本龍一氏。東京芸術大学の大学院出だからでしょうか、「教授」というあだ名もある人、その最新アルバムのタイトルは "async"、「同期しない」という意味のようです。

坂本氏はこのアルバムに関して、番組でこう語ります;

普通、99%の音楽というのは“同期している音楽”なんですよね。人間の中のネイチャーとして、そういう感覚があるらしいので、ほっとくと勝手に同期しちゃうんです。同期することに快感を覚える動物らしいんですよ、人間というのは。だから僕はあえて、“同期しない音楽”というのを作ってみようと思って。同期してない音楽、いわば誰もしゃべっていない言葉をしゃべるみたいなことなんです。


同期する、同期しないとは?

彼がここで言う、「同期」・「同期しない」の意味が漠然としていたので、ネットでいろいろ検索しました:
「同期」で検索して圧倒的にヒットするのは、iphone内のさまざまなデータをクラウドなどの記録媒体に「そのまま一括転送して保存」することでした。
「同期しない」でかけると、データを転送する際に、送信側と受信側のタイミングの一致(同期)を気にせずにデータをやり取りすることである、とあり、どうやらコンピュータ用語としての使い方が多いようです。

そこで、私なりに、平たく言いかえれば;

同期:お互いが調子を合わせあうこと、
同期しない:お互いがそれぞれの調子のままでいること、 

・・・ということでよいのでしょうか。
 
坂本氏の今回のアルバムは、さまざまな場所で実際に録音した音や、いろいろな素材を使って生じた音を取り込んで作った曲らしく、とても興味を持ったので、ネットにアップされている「試聴盤」を可能な限り聴いてみました・・・・・・

Youtube では、坂本氏本人が登場する映像と音楽を編集した14分ほどのプロモーション的作品があります;

https://www.youtube.com/watch?v=emSold2PCvw    広告skip

さて Async、 その印象は?

私が彼のアルバムをどう感じたのか、・・・それを述べる前に、80年代ムーブメントとしての「 環境音楽 」について少し語ります。

六本木CDショップ「WAVE」、イーノと環境音楽

80年代に私が過ごした東京、その六本木駅近くに「WAVE」という、3~4階建てのCDショップがありました。ジャンルごとに階が分かれており、ここに来れば輸入盤中心にたいていの探し物が手に入り、試聴もできるので、何か面白いものはないかと探るだけで2~3時間はすぐに経っていたものです。

この店を通じて、ブライアン・イーノ Bryan Eno というイギリス人音楽家と 環境音楽 : environmental music という言葉を知りました。初期の代表アルバム「鏡面界」・「パール」・「エアポート」などのような音楽傾向を、当時のニッポンでは「環境音楽」と呼び、イーノ以外にも数多くのミュージシャンによるアルバムを店頭で目にしました。

環境音楽とは?
このイーノが創り出した音楽傾向を彼自身は ambient music( 周囲の音楽)と称し、それと類似した当時の世界の音楽傾向も含めて、日本語訳が「環境音楽」となったようです。

環境音楽の特徴は:
作曲家が意図を強く主張したり、演奏を黙って聴くことを強制したりせず、その場に漂う空気のように存在して、それを耳にした人の気持ちを開放的にすることを主な目的として作られた音楽、らしいです。

さらには;
旋律や音階に縛られない音楽の創造や、音楽の素材として自然音や日常の物音なども取り入れる動きが西洋やその影響下の日本で起こり、サウンドスケープ、サウンド・インスタレーション 、 ミニマル・ミュージックなど、新しい傾向の音楽が欧米中心に数多く登場します。

論より証拠、まずは、そのイーノの ambient music として名盤扱いのアルバムを聴いてみてください;

彼の ambient シリーズ 第1作 Music for Airports (1978年) 1曲の長さが16分もあり、通して聴くと50分かかります;

 https://www.youtube.com/watch?v=vNwYtllyt3Q

ちなみに、このアルバムを初めて聴いたのは、確か、東京都庭園美術館での展覧会場内で、とても小さな音量でBGMとして流されていました。自分の部屋でヘッドフォンで聴いても脳内に拡がるイメージ体験ができますが、実際の空間で流してこそ、最大に活かされる音楽だと思います。

ambient シリーズ 第2作 The Plateaux Of Mirror :日本語盤「鏡面界」より、カモメか何かが遠くで鳴いているような音が入っている、2分50秒ほどの曲 Above Chiangmai (1980年) 

 https://www.youtube.com/watch?v=aHiC6r04410    広告skip

私は、この「鏡面界」を聞くと、心の奥深くを彷徨いながらさまざまな想いやイメージが浮かんでは消えて、この音世界から抜け出られなくなります・・。

ただ、21世紀になった現在は、
ストレスフルな現代人のためのリラクゼーション、癒しや瞑想のためのヒーリングミュージック、企業における作業効率の向上のための音環境作りなど、本来の「環境音楽」というコトバは、多用途化した概念に枝分かれしてしまっていると思われます。

補足:シンセサイザー・ミュージックについて

70~80年代のポピュラー音楽の大きな潮流のひとつに、シンセサイザー奏者によるコンセプト・アルバムが数多く世に出ていました。環境音楽と重なる音作りもあって、レンタル・購入してはいろいろ聞き漁りましたが、最後まで自分の手元に残り続けたのは、タンジェリン・ドリーム、J・M・ジャール、ヴァンゲリス、富田勲などのアルバムCDでした。
坂本・細野・高橋の YMO が 注目を浴びることで、リズム重視のテクノ・ポップ全盛の時代へと変わってゆきました。

音楽ではなく、音響そのものを求めて

80年代当時、世界的な潮流としてあった環境音楽という傾向を、日本でも実践していた作曲家のひとりに、吉村弘さんがおられました。そのアルバム "surround" では、スター的な存在であったイーノとはまた一味違う印象の「音風景」が感じられます。吉村氏自身、アルバム・コンセプトをこう説明しています;

サウンドスケープ:透明な音の波動は空気を浄化し、まわりに豊かな波動を拡げてゆく。・・・・空気に近い音楽によって、聞く人それぞれの音風景に出会えるような、あるいは居心地のいい空間になるような、音と音楽の中間領域をひろげてゆく・・・

youtube では、アルバム全曲約40分ほどが海外より投稿されています、ちなみに再生回数102万、347件のコメント(驚き!)

https://www.youtube.com/watch?v=MojW0fVaaFE      広告skip

この吉村氏のコンセプトに近い音楽として別例をひとつ挙げるなら、イーノともよくコラボしている、Harold Budd というピアニストのソロ・アルバム、"The room" があります。何枚かある彼のアルバムの中でも、個人的には最も気に入っている一枚です。茫漠として、ただ漂い拡がるだけのような音の流れを、電子処理されたピアノとエコーで表現しています。

youtubeでは、全曲が聴けますが、ここでは、2曲目の The Room of Oracles (4分40秒)を紹介します;

https://www.youtube.com/watch?v=nT65DJD2hkg


Budd と坂本氏、ピアノタッチの違い

バッドのピアノは、坂本龍一氏のピアノタッチとはまた違う印象です。バッドのピアノの響き方は、電子処理された音響の中に有機的に連動しては溶解していく印象を受けます。
一方、坂本氏のアルバムの場合は、自然音や物音、人の声などが取り込まれてはいますが、彼のピアノはどんなに弱音で弾いてもはっきり自立した音階として聞こえてくるので、他の音や響きとは融合はしてない感じです。

ピアノを奏でるのか、ピアノを叩くのか?

10代の頃に住んでいた実家にはピアノがありました。楽譜など読めないし、音階もまったく知らないのに、ひとりでこっそり鍵盤やペダルを叩いて出る反響音がなぜか好きで、飽きずに遊んでいた記憶があります。

20代半ば頃には、従来の音楽一般にある旋律や音階を聴くことに飽きと苛立ちを感じ始めました。要するに、新し物好きの若者らしく、もっと違う音楽が聴きたくなったのです。たとえて言うなら、楽器としてのピアノ演奏ではなく、物としてのピアノの物質音のほうに興味を持ち始めたのです。

もっと具体的に言うと、環境音楽の典型であったイーノやバッド、吉村弘のピアノ奏法にまだ残存していた人為的な痕跡=旋律や音階というものが全く無い、「音」や「響き」そのものを求めたのです。

環境音楽を超えるものは?

そうなると、どんなアルバムが自分の求める「音」を聞かせてくれるか全くわからず、現代音楽、実験音楽、フリー・ミュージックも含め、10枚聴いてやっと1枚ぐらいは該当作品に近いかなの状態で、そのうち、究極の非人工音ともいうべき、自然音だけを収録したアルバムにも手を出すようになりました。

そういう中から、2枚ほど実例を紹介しておきます;

Stephan Micus:    " The music of Stone "
ステファン・ミクスというドイツ出身の音楽家。さまざまな民族楽器を駆使して人類太古の音楽的響きを想い起こさせるような音作りをしている方で、
3枚アルバムを持っています。中でも、このアルバムでは、「resonating stones=共振共鳴する石」という、約1m四方の特別製の石塊を鳴り響かせながら、笛や尺八などの民族楽器の音も織り込んでゆく演奏方法で、旋律的な節回しはほとんど無く、土俗信仰の祈りのようにも聞こえます。

youtube で、その装置を使ったパフォーマンス映像がありました(1分ほど)

https://www.youtube.com/watch?v=xxjtrKFy3lM


幻の音美術:「水琴窟」

「水琴窟」とは、江戸時代の庭園の茶室そばに造られていたという、かめを伏せて地中に埋め、底に貯まった水面に落ちる水滴によって反響が生じる、
幻の音響装置のことで、全国にもいくつか残っており、私はその現地録音アルバムを持っています。


youtube では、このアルバム投稿がなかったので、鳥取県三徳山三仏寺にある水琴窟の紹介投稿を挙げておきます;

https://www.youtube.com/watch?v=yeQr0sJNXbM


このアルバム以外にも、雨音や川の流れる音、鳥のさえずりなど、自然音だけを収録したアルバムも何枚か買って聞き比べました。

現地で聴く音と、その録音とでは、決定的な違い

ただ、アルバムで自然音を聴くのと、現地で実際に耳にするのとでは、その印象はかなり違うと思います。
それは、現地では耳だけで聴いているのではないからだと思うのです。意識も加わり、皮膚感覚も含めた身体全体でその場所の雰囲気すべてを呼吸するように感じて聴いているので、あとから録音だけを耳で聞いても、現地で感じた印象が完全には蘇らないのではないでしょうか。

そういう場合、現地で聴いた音の印象を、作曲家の創造による音楽によって、ただの現地録音以上の印象をより感動的に再現してくれるのであれば、
その作曲家は素晴らしい才能の持ち主となるでしょう。

ノイズ noise と、大友良英のサウンド

朝ドラ「あまちゃん」の軽快なテーマで、一躍、日本での知名度が急上昇した大友良英氏。私がこの方に俄然注目するようになったのは、あの長寿番組「題名のない音楽会」で、ノイズミュージックへの熱い偏愛をご本人が語られる姿を偶然に見てからです。

もともと、ノイズミュージック、フリージャズ、TVや映画の音楽、異色の合奏ライブなど、様々なジャンルや形態で音楽活動をしてきた大友良英。知れば知るほど、この人物はほんとに「面白い音楽家」なのです。

youtube では、坂本教授とのセッションなど数多くの投稿がありますが、私が最も感動したのは、次のような「素人即興合奏」です;

投稿コメントそのまま引用:
「西成・子どもオーケストラ」は、演奏の経験や上手下手は問わず、簡単なルールと指揮者の指示にしたがって思いおもいに音を出し、一瞬限りのアンサンブルをつくっていく即興のオーケストラです。

https://www.youtube.com/watch?v=pobA2bziM0A    広告skip

(こういう賑やかなパフォーマンスを見せつけられると、「絵=静止画」だけの表現活動がちょっと虚しく感じてしまいますね・・)

ノイズなのか、サウンドなのか 

この大友氏の音楽活動を通じても思うのですが、ノイズというと、日本語では「雑音」と訳しますが、やはり、「サウンド=音」と捉えるべきだと思います。嫌いな人の話し声はノイズですが、好きな人のならそうではないでしょう。私個人の場合、ジミヘンの超絶ギターの破壊音はこちらの魂にまで響いてきますが、へヴィメタの激しい早弾きには拒否反応が起こります。

そもそも、生じる音には何の罪もないのだと冷静に思えるのなら、この地上で発せられる音はすべて(人工的に生じた音も含め)、基本的には「サウンド sound 」でよいのではと私は思います。ただ、原子爆弾の炸裂音や人の泣き叫ぶ声までものんきにサウンドに含めることは許されないことでしょう。

すっかり話が長くなりました、・・
では、坂本氏のアルバム Async の印象を述べます;

2017年の坂本氏の野心的なアルバム "async" は、ひたすら「同期する音楽」を作り続けてきた坂本氏が、「同期しない」を目指して作ったものとのことです。ですが試聴した限りでは、私が上記で紹介したミュージシャンたちの音楽と比べ、際立った差異は感じられませんでした。

むしろ、坂本氏は聴きやすくきれいにまとめられている印象。アルバムジャケットの写真に写るオブジェ(坂本氏の自宅の庭にある物たち)が何の乱調もなく整然と並んでいるように、取り込まれた様々な音たちも、坂本氏が想い入れたっぷりそうに弾くピアノ演奏のBGMの役割しか担わされていない感じ・・・・、つまり、音たちは別に坂本氏に同期しようとか、同期するまいとか全く関心がないのに、坂本氏本人が音たちを自らの曲の構成要素として「同期させている」、というのが、私が試聴した時の率直な感想です。

とは言え、ドキュメント:CODAで垣間見えた、タルコフスキー・バッハへの思い入れや、新しい音への真摯な取り組みなどを知ると、アルバム Async 以降にも、より深化発展したアルバムを期待できたと思えるので、やはり、その「死」はまことに残念であります・・。


最後に。
日常での音や自然の中の音に耳を傾けながらも、それらの音だけでは満足できない私たち人間は、そういう音に倣いつつも新しい音を求めて、今後も創造し続けることでしょう。

そういう創造的な音であるなら、同期か非同期かは関係なく、独りヘッドフォンで聴こうが、現実の立体空間で最新の音響装置を通して聴こうが、なんであれ、素晴らしい体験となるでしょう。