見出し画像

1992年4月25日に死んだ尾崎豊の話ではない、おれに尾崎を教えたあいつは、死んでいたんだ

テレビで「伝説のコンサート:尾崎豊 約束の日 1991 」を見た。それで久しぶりに、彼のことを思い起こした・・・


遠い昔、20代前半の学生時代のこと。青森出身の彼とは演劇サークルの同期だった。第一印象は、こいつとは友だちになれない、だった。隣り合った駅に住んでるアパートがあったせいか、帰りの電車が一緒になることもあり、いつのまにか彼のアパートに寄り道することにもなった。

ある夜、彼のお薦めのバーボンを飲んでいたら、一枚のレコードを聴かせてくれた。お気に入りだったのだろう、普段は大声ではしゃべらない彼は、ライブハウスにも行ったと言いながら、歌っている男のことを熱く語った、それが「尾崎豊」だった。でも、当時の私には全く知らない人物で ピンとこない曲ばかりだった。

それから1年ほど過ぎ、演劇サークルを辞めた私は版画教室に通い始めており、彼とはすっかり会わなくなっていた。

その後どうやって知ったのか忘れたが、彼が世間で有名な俳優塾に合格したことを知った。彼の喜んでいる声や顔を覚えている気がする、彼は、違う世界へ大きく羽ばたこうとしていた・・・・

その後、数か月ほど過ぎて、共通の友人から彼が事故で死んだ、と聞かされた。朝、恋人に見送られながら、バイクに乗ってバイト先に向かう途中、車に衝突、タイヤ部分に巻き込まれたらしく、即死だったとのこと・・・・


どこかいつも屈折したような思わせぶりな表情で、長い手足のせいか、大仰にふるまっているように見えた態度、スピード事故で早死にした、あのハリウッド俳優 J・ディーンを彷彿とさせるところもあって、ちょっと付き合いにくく思っていたあいつは、死んでいた・・・でも、朴訥とした青森なまりで親しげに「少し飲んでいかないか」と誘ってくれたあいつは、いいやつだったんだ、お互いどこか寂しさ、かかえていたしな・・
 

テレビ画面では、白いシャツ姿の尾崎豊が流れるような汗をかきながら激しい身振りで熱唱している。このライブの翌年に尾崎豊は亡くなってしまうのだが、その姿はそのまま、演劇サークルの舞台稽古をしていたあいつの姿と重なって見えた、きっと人気者の俳優になっていただろうに・・・

もう40年近くも過去の出来事となってしまった。年月の経過だけで考えると、いやになるくらい大昔のことだが、記憶の中の「忘れ難い思い出」としてなら、つい数か月前のことのようにも感じる、・・故人を偲ぶとは、こういうことなのだろう。

Sよ、ちゃんと覚えているよ。短い時期だったけど、お前の友人であったことは、切ないくらいうれしいんだ。