広島県立美術館で個展 RiluskyE ~ ヒロシマ・モナムール 広島わが愛
巻頭詩:
夕暮れに最初の灯りをともすのだ
私たちの住む部屋のように
神と想像力はひとつ・・・・
あの最高のろうそくは何と高く闇を照らすことか
~ ウォーレンス・スティーブンスの詩より
次はどこの美術館で個展を行うか、その決め手は・・
2011年から2年間で地元の福岡、名古屋、神戸の4つの公立美術館で個展を行ってきました。ただ、名古屋や神戸という観光でも栄える大都市での個展はとてもやりがいがありましたが、作品の運搬費用が高額になることが最大の問題でした。
そこで、次回の個展会場に使う美術館選びは、自家用車で行ける距離にすることにしました。そうなると、西日本エリア中心となり、真っ先に候補としたのが、広島県立美術館でした。
利用できるかどうかは、抽選で決まる!?
広島県立美術館の場合は、他では経験したことのないことが起こりました。
展示室利用の申請書を出してしばらくして、案内書が届きました。それによると、利用希望者( 団体なら代表者 )は、指定日時に来館して一人ずつ
「くじをひかねばならない」ということなのです。それだけ、利用希望者が多いということでしょう。新幹線で広島へ向かい、美術館内の大ホールに入ると、すでにたくさんの人たちが控えていました。詳細は忘れましたが、なんとか「当たりくじ」を取れ、あとは、当選者たちでスケジュール調整の話し合いとなりました。私は個人なので自分だけで決めることができ、団体では調整がつきづらくて空いたままの月日にすんなりと入り込みました。
広島市の街並み
展示準備の前日、高速で約4時間かけて自家用車で広島入りしました。宿泊ホテルから美術館までは、徒歩と市電利用です。原爆投下と戦後の「零からの復興」のためでしょうか、整然とした街の区画や広い道路幅などよく設計されていて、美しく分かりやすい街並みで、JR広島駅をゴール地点として街全体がきれいに整備されていると感じました。
市中を巡る川には意匠を凝らした橋がかかり、川沿いには洒落たレストランもあって、私にはどこか「東洋のパリ」といった印象を受けました。
搬入開始
2013年4月29日午後13時より準備開始。今までの個展会場では5~8時間近くかかっていたので、今回は17時までの制約時間内に終了できるか気になっていました。
実際には3時間半の速さでほぼ終了できました。最大の理由は、「中吊り」という、作品を壁に吊るすための道具レールワイヤーを、高い天井ではなく、手の届く位置に付けることができるようになっていたので、脚立を使う必要がなく、作業がやり易かったからです。
会場になった第5室は、約220㎡の広さで、60cm ~ 84cmほどのサイズの作品28点を余裕をもってレイアウトできました。残りの4室すべては、歴史と伝統ある「日本アンデパンダン展」に使用されました。
4月30日の初日 ~ ある画家と写真家
初日の入場者数は22名でのスタートとなりました。次のお二人とは時間をかけてお話することができました。
ある女性画家;
もともと福岡で幼少時は過ごし、その後は広島へ転出、平和運動にも参加されて、現在も画業と社会活動に精力を傾け、活躍されておられ、私の作品を
こう評されました;
「表面的にはやわらかに見えても、色や形を厳しくつきつめて作られているから、ただの合成で終わらずに何か訴える力を感じ、異次元の世界に突き抜けていると思います・・」
有難いお言葉でした。
ある男性写真家;
午後遅くに杖をつかれた方が見に来られました。けっこう長い時間が過ぎて、ゆっくりと出てこられると静かに話しかけてくださいました。
「広島ではこんなのは見たことがないよ。」
お話をうかがっていると、どうやら長いフィルムカメラ時代を経て、現在はフォトショップも使っているとのことです。
「プロの大物写真家の中にはね、今のデジタル技術にはもうついていけてない人もいてね、そういう人が写真公募展の審査員してても、選ぶのが決まってるんだよ。」
初日から刺激的な「いい話」に恵まれました。
2日目 ~ 最終日まで
会場内でいろいろお話しできた方のことに触れておきます;
インスタレーションの若者
個展も3日目となると、体力・精神両面でかなり疲れと飽きが生じてきます。受付に8時間近くひとりで居るということは、修行に近くなるので、
来場者の方とちょっと話ができるとかなり気分転換になり、元気がよみがえります。
午前中にふいに見に来た若者がいました。普通は自分から声をかけませんが、この時は進んで声をかけました。ひょっとして隣の「アンデパンダン展」に出品しているのではと思ったからです。予想通りで、人間二人が入れるほどの大きさのボックス内に映像と音楽を流す装置があり、彼は映像を担当していました。
「 何を出してもいいということだったので、若いパワーで何か次につながっていくものを出せたらいいなと思って、3人で共同制作しました。」
言葉遣いもていねいで、明朗な好青年という印象でした。
地元フォトクラブの男性
市外から来られた方と少し話しました。
「自分は地元のフォトクラブに所属していますが、こういう作り方(合成)は指導の先生が認めないでしょうし、なかなかできないです。でもこういう合成をやりたい人が集まってグループ活動すればもっと世の中に広まるでしょうに・・。」
ご自身はフォトショップのソフトをお持ちのようですが、まだまだ使いこなせていないと言われ、だれかに教えてもらいたくてもそういう人や教室等が自分の町にはいないことが残念のようでした。
私の師をご存じだった来場者
4日目の午後。午前はわずか6名。このまま夕方になってしまうのかと気分が暗くなっていたとき、ある男性が来られました。会場内には、自由に取ってもらおうとテーブルに自費出版本やカードを用意しているのですが、しばらくしてその男性が、「これはもらってもいいのですか。」とたずねられ、そこから話が始まりました。
まず驚いたのは、私が師として仰ぐ写真家ジェリー・ユルズマンをご存じであったこと。次にまた驚いたのは、私の好きな画家の三尾公三もお好きであったこと。
会場内には、「次回の個展案内を御希望ならお名前・ご住所をお書きください」と雑記帳も置いているのですが、この男性には自分から進んで、「よろしければ書いてください」と頼んだのでした。
この日の入場者数は男性16女性4のわずか20名でしたが、そんなことはどうでもいい、と思えた日でした・・。
美術館での一日:雑感
美術館企画の特別展として「夏目漱石の美術世界展」が開催中でした。自分がいるのは地下一階の一番奥の会場で、近くに駐車場出入り口とエレベータあります。私のいる受付の前を1時間に4~5組の人々が通り抜けてエレベータへ向かわれます。中高年の夫婦か家族連れがほとんどで、たまに、「駐車場はどこですか、上にはどうやって行くんですか」とたずねられます。
夕方5時の閉場になると、鍵を一階の警備室に返しに行きます。一日ずっと日が差さないので寒気を感じる地下から地上世界に上がると、まるでホテルのロビーのように広々として華やかなエントランスホールには明るい光があふれています。天井まである大きなガラス越しに隣接する日本庭園「縮景園」の鮮やかな緑が見えています。外に出て、きれいに整備された街並みを見てほっとしたときです、次のような思いにとらわれるのは・・・
・・自分はここで何をしているのだろう・・
4人の印象深いコメント
開催中に、訪れる人も少なく時間をもてあますときは、読書するかブログの原稿を下書きするか、あるいはただボーっとして居眠りしているかでした。
そんな中、5月2日のことです。帰る頃になって、会場の隅の台に置いている雑記帳を確認すると、コメントが書いてありました。あまりに素敵な文章だったので、原文をちょっと詩のように行を変えてここに紹介します;
不思議な写真の世界
高度な技術と夢想と そして
現実の中をただよい続ける世界
闇 とどまる所を知らない動の輝き・・・
ふとそんな事を今 思いつくまま記しました
ほんの気まぐれに立ち寄った写真展
御活躍 期待しています
以下は、その方の「直筆」です;
こうして今、久しぶりに見て、その筆跡、その輝き、その想いにあらためて感動いたします。本当にありがとうございました。
多くの場合、来場者一人で会場は独占状態になるのですが、たまに何人か重なってご覧になられていることもあります。次に紹介するコメントはそういうときに書いてくださったのでしょう、どなたがお書きになられたのかはもうわからなくなりました。
不思議な世界でした
「予感」など遠目で見るとタンギーの作品のように見えて
でも近づくと違うので面白く感じました
以下は私の作品「予感」です・・
5月4日に、隣の「アンデパンダン展」に出品されている方とお話しましたが、コメントもお書きくださいました。その一部を;
( 展示していた私の作品に寄せて )丸窓のある閨房は、映画「美人図」の秘密の逢い引きの後のようだ、韓流ドラマ・シネマの見すぎです、悪意はありません。このようにサラッと表現できるのがうらやましい・・
以下がその作品・・
次は最終日にお見えになった方のコメントです。
自分はどこから来て
どこに行くのか
そしてこの先どこに向かうのか
「海」を使った作品をぼーっとながめつつ 考えました
ではその作品「漂着する記憶」を・・・
この作品を私自身が制作しながら、常に心によぎっていたイメージも、実はこの方の想いと同じでした。このような想いというのは、ひょっとしたら、
何か人生の岐路に立ったような時に、だれでも一度は考えたことがあるのではないかなと思います。
最後に
2023年の現在、私の個展を通じて巡った都市:名古屋、神戸、広島、下関、北九州、熊本、大分、倉敷、そして福岡市と、9つの都市それぞれに特徴があり、個人的な思い出もあります。
ただ、街並みに際立った特色を感じたのは、やはり、原爆投下後の戦後、奇跡的な復興を遂げた広島市の姿です。街中に流れる大きな川と、幅広い通り、お洒落な建物に緑の豊かさ、・・まるでフランスのパリかと想わせるその光景は、もう一度訪れたいと思わせる魅力があることは確かなのです。
戦後の広島を史実と幻想を交えて描いた、アラン・レネ監督の有名なフランス映画「24時間の情事」、その原題は「ヒロシマ・モナムール 広島わが愛」でした。それに描かれていたのは、大きな運命の嵐に揺れ動く人間の記憶と情念の灯火だったのではないでしょうか?
広島の個展会場に1週間ほど居た私の脳裏にも、常に「揺れ動く記憶と情念の灯火」が静かに時に激しく燃え続けていたのです・・・。
個展での使用情報
2013年5月 広島県立美術館・県民ギャラリーにて「あなたを巡る旅Ⅱ 」