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雨のあとの虹
きっと誰にだってある明けてほしくない夜
布団についたら眠りたいのにやらなきゃいけないことが迫る
あぁ、ずっと寝てたい。
自由には必ず責任が伴うわけであって、選んだ先で挫折することもしばしば
ポンコツがゆえに真っ当な理由で怒られることもあれば、理不尽だと感じることも少なくはない
それもこれも選んだ先で、ふがいない自分が生んだ副産物。
わかりやすく言うと、誰から見ても「かっこいい人」になれば
誰も何も言えなくなる。もしくは言い返すこともできるようになるわけだ。
もっともっと頑張らないとそう思って日付を見たら
3月1日。じいちゃんの命日だった。
4年前の人生のドン底。あれに比べたらなんだって乗り越えていける気がした。
眠い目をこすりながら通勤途中のふるさとの海を眺めて
今日も思う。結果を出さないと。頑張らないと。
天気はあいにくの曇り。どんよりとした薄暗い雲が広がっている
やる気を出しても天気は歓迎してくれてないなと思ったら
薄っすらと見えた虹。
中々見られるものでもない
じいちゃんの命日だからか一層その虹が特別なモノに見えた。
ちょっと走ったら消えていった一瞬の出来事
一番大好きな人が応援してくれていると思ったら120%のやる気が出た。
昨日柄にもなくセンチメンタルになって
インスタのストーリーにちょこっと2020年4月21日に投稿したブログを載せてみた。大体朝起きたら消すやつ。
自分が高校生の頃に、YUIさん繋がりで知り合ったみさこがチェックしてメッセージを送ってくれていた。
うちも今月7回忌で、おじいちゃんが亡くなったときにりくが体はなくなっても魂はなくならないからみたいなことを言ってくれて、その言葉にすごく救われたし、今も忘れないと。おじいちゃんがずっとそばにいてくれている、そのおかげで心が支えられた。
確かにそのようなこと言った覚えはある。現に今でもそうだと信じているし(笑)
会えるか、会えないかなら絶対に会える方がいいし、目を見て話して、手を握ったり、笑い合ったりできた方がいいに決まっている。
だけど、自分と誰かとの関係性は常にそれができるとは限らない
一生それができなくなることもある。それを知ってしまったから。
だから言葉を大切にしたいと思う自分がいる。
言葉というよりそこに乗っかる思いだな。
音楽にも、スポーツにも、料理にも、本にも、人が関わることでそこに通うモノ。
人間の感情は厄介だけど、虹を見ただけでも感じられる思いに今日は救われた。
じいちゃんはいつだって味方してくれているなぁって
わしが60歳のときの孫やって
ただそれだけのことで自慢してくれていた
それ以上に自慢してもらえるような人になっていくよ。
自分の生きる原動力が何かに気づけたときに
また一つ人生の見方が変わって楽しくなっていくのがおもろいな。
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