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コンティニュアム


 日がかなり短くなって、車に乗る頃にはすっかり夜だった。その日は天気がとても良く、そのおかげで月は二日か三日目ほどの細い月であったにもかかわらずその輪郭が透けて見えていた。

 水曜の試合に向けて、その週から月、火と天然芝のグラウンドを借りて練習をすることになっていた。クラックスという育成年代のクラブチームが所有する練習場にちょうどいいのがあったので、そこを借りることになった。

 グラウンドでは子どもたちが必死になって練習をしている。将来、プロサッカー選手になることを夢見て、あるいはただ今週末の試合のことだけを考えてコーチの言うことを自分のものにしようと一生懸命である。

 こっちの練習は戦術がメインになった。水曜に控えるコパ・デル・レイ一回戦のエルチェ戦に向け、細かい対策を練る必要があった。こうきたら、こう。こう出たなら、こう。と、一つ一つを細かく確認していく。セットプレーは特に、全員が理解しているか監督が何度も尋ねる。選手たちもいつも以上に質問が多い。

 練習の最後に監督が全員を集め、集まった全員も監督が何を言うか、その一言をじっと待っている。

 「怖がる必要はない」

監督が言う。

「劣っているところはたくさんあるだろう。今日までやってきたことをやれば絶対に勝てるから心配はするな、ともおれは言えない。だけど、怖がる必要もない。可能性がおれたちの味方だ。それを信じることが何より大事なんだ。できることは全て出しつくせ」

 その言葉をみんなが待っていた。何がともあれ、失うものは何もないのだ。

 「プレッシャーをかけたら、ボールに触れなくても必ず相手を触れ。相手が少しでもプレッシャーを感じるよう、ストレスをかけるんだ」

 おれと同い年のララは、「おれの友だちは酒場でそうやってちょっかいを出して、今は刑務所にいるぞ!」と言った。彼は地元のバルを経営していた。その他にも、友人が刑務所に入っている者、仕事を失う者、周りには苦労が溢れていた。そんな家族や友人たちから見ておれたちは、ヒーローだった。



 水曜日は、BuñolのCampo(スタジアム)で一度集まって、着替えとビデオミーティングを済ませてから会場へとバスで向かった。ミーティングの最後には、今回協力してくださった方々、地元のメディアやPCR検査に立ち会った協会の人なんかが挨拶にきた。

 会場入りをすると、ピッチにはコパ・デル・レイと書かれた入場用の門が構えていて、数分後に起こる本番の様子が容易に想像された。短めの芝のピッチを端から端まで歩いて確かめてみる。

 ロッカールームには、それぞれの背番号のユニフォームがきれいに並べられ、その真上の壁には家族写真が貼られていた。選手の家族からメッセージを集めていて、写真とともにそれらが書かれていた。

  「ここまでやってきたあなたを誇りに思います」

  「もう何も恐れるな」

  「今日はあなたの日!」

などなど…。おれのところは、両親は日本にいたので、ただ何も言葉はつけずに家族写真が貼られていた。

 試合はすぐに始まった。始まってからは、とても長かった。

 レベルの差はたしかにあった。だが、練習でやってきた通りに対応し、1対1でも負けることはなく、相手の高い精度のクロスもしっかりと守りきっていた。ほとんどチャンスはなかったが、たった一回のフリーキックから相手のオウンゴールで先制すると、前半はそのままBuñolのリードで折り返した。

 問題は、前半での選手たちの体力の消費が著しかったことだ。相手チームはファーストタッチから無駄がなく、パススピードも早い。ポジショニングの細かい取り直しや体の向きでの駆け引きが上手だったから、その部分を走りと球際の粘り強さで補うしかなかった。

 後半60分までは1−0のままだった。しかし、ボール支配率はこの時点で完全に相手側になっていて、ボールを持っても仲間を見つけられないか、自信のなさや恐れがタッチの一つ一つを狂わせた。そして、繰り返されるクロスの応酬にとうとうズレが生じて、そこから同点弾が入ってしまった。すでにアップを始めたライン際、ピッチの反対側から選手たちの表情を眺めた。

 自分につき続けてきた嘘の全ては、この瞬間にもう全く通用しなくなるのだ。なんとかして頭の端っこの方へ追いやっていたのが、今や隅々までを覆っている。足取りは重い。

 それは例えば、五分五分の場面で出てくる。同じように競り合っても、ボールはあちらへと転がってしまう。気がつけば、相手FWの足元に吸い付くようにボールは転がっていて、ゴールを目の前。もう何もできることはない。

 2点目が入ってからは、正直勝てる要素はなかった。フベニール上がりのアンドレスと二枚でようやく投入されたが、おれたちはボールに触ることもなくひたすら追いかけ回すことしかなかった。「お前が何をしようが、もう遅いんだよ」と、パスで往なす相手選手が、遠くへ行ってしまうボールが、すぐ下のピッチが、スパイクが言っていた。おれの頭の中で聞こえた。

 1−2でコパ・デル・レイは終わった。目の前でビクトルが仰向けに倒れた。パコはゴールの前をしばらく離れず、腰に手を当てて立っていた。

 観戦に来てくれたサポーターは温かく迎えてくれた。たくさんの拍手で、おれたちはその前で写真を撮って、歌を歌った。顔を上げて彼らに応えたが、あまりに耐えられなかったので少し足早に更衣室まで帰ってしまった。監督やスタッフに声をかけられ、深くうなずきながらそこを通り過ぎ、頭の中ではさっきの言葉が音だけを残して鳴り響いた。こっちでぶつかって跳ね返ると波は大きくなって、また違うところでぶつかってどんどん大きくなった。

 開いているドアからは誰も入ってこなかった。そっちを見ると、相手チームの更衣室が見えた。その前に、Buñolの選手たちが群がっている。ドアが開くと、そこから出てくる相手選手へ話しかけ、ユニフォームをもらうか、写真を撮るかしていた。

 帰りのバスでは、誰とも口を聞かなかった。



 家に着いたのは遅かったが、次の日は早くに目が覚めた。タバコ屋に新聞を買いに行き、もう一度家へ戻ってきて試合に関する記事を読んだ。

 出場が決まった時と同じくらい、大きく写真といっぱいの文章が載っていた。何も期待はできなかったが、やはり自分の名前をどこかに探してしまう。すると、一番最後に数行、見つけることができた。

  「アドリアン(監督)は才能ある日本人のリキを投入し、彼の左足に賭けたが、それが実ることはなく、Buñolの夢は消え失せた」

おれに才能と呼べるものは何もなかった。ただ、それを信じていただけだった。

 ボールを持って、近くの公園に行くために外へ出た。エレベーターを呼んでみたが、故障しているのか反応がなかったので、仕方なく階段を使って降りることにした。薄暗く狭い階段を、足元に気をつけながら次の段を探って前に足を出す。先はまだまだ遠い。




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