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バレンシアの日本人


 時間になると寮の前にバスがやって来て、それから扉が開くと、運転手の男に挨拶を交わし乗り込む。

 “Hola, que tal?” 

 それから、乗り合わせのやつら全員と握手を済ませ、初めての者なら自分の名を名乗っておく。ここにいるのは、スペイン人に、アメリカ人、イギリス人、エジプト人、コンゴ、南アフリカ、インド、日本、台湾、その他諸々。

 年齢は17〜20が多く、育成年代からトップチームへの移行を目指しここを利用している者がほとんどだ。

 僕が今いるのは、スペインはバレンシアにあるアカデミーで、ここにはサッカーをする環境、グラウンドに、練習、送迎、それ以外にも、寮、食事、語学学校、と何でも揃っている。この文を書くことでお金をもらっているわけではないが、お世辞抜きに言ってこんな環境は、少なくとも日本にはない。

 白状すると、僕はもう今年の5月で23歳を迎える予定で、このアカデミーではおそらく最年長だ。同年代ではもう立派にプロでプレーしている奴らがほとんどの中で、単身バレンシアに来てスペインサッカーに挑戦することは覚悟の必要なことなのだ。

 フットボーラー輸送車は、バレンシアの整理された街中を走り、バレンシアCFのホームスタジアムであるメスタージャを横目に見ている。バレンシアには物が”ありすぎる”ということなどはなく、街並みにも余裕があって落ち着いた雰囲気を纏っている(その証拠に公園も多い)。これからバレンシアに来て初めての試合に向かう。

 とは言っても、ここに来て2日目でいきなりの90分フルタイムの試合だった。相手はPrimera、6部に相当するアマチュアチームだ。

 ロッカールームで試合に向けたミーティングが行われる。スペイン語でまくしたてられると、作戦ボードの上で動くマグネットはただのマグネットのままだった。

 しかし、このチームには自分と同じように国外から来ている学生時分の選手が多かったので、コーチが英語で繰り返し同じ内容の説明をしてくれた。それで、戦術の確認と相手チームの傾向と対策について何を話しているかがようやっとで理解することができた。

 試合は2−1で勝つことができた。ここのレベルが高いとか低いとか、後半にはもう少しコンパクトに距離を保って少ないタッチ数でリズムを作っていくべきだったとかいう話をするわけではない。

 ただ、ここで分かったのは、誰彼構わずプレーする者も見る者もサッカーによってひとつなぎになれるということと、スペインにはスタイルがあるということだ。

 そして、ここにある、サッカーのスタイルに対する執拗なまでの探究心と、それらを取り巻く環境については、非常に興味深いものがあり、今それを目の前にしている者として、文化と呼ばれるこの現象についての記録をすることは務めであるということに至った。

 これから記録するものは、留学の手助けをするものだとかスペインサッカーがいかに日本よりも勝っているかなどという内容のものではない。そして、よくあるような、どのようにして僕が成功したかといったストーリー展開を期待しても無駄である。ただ、身に起こっている現実世界をできるだけそのままのサイズで記述していこうと目論んでいる。これは、クロニクル(日記のようなもの)に近いし、現実はおおよそ何かの明確なシナリオを持っているのではなく、同時多発的に起こりうるものであるということを述べたいのである。そこから各人が何を得ようと勝手である。

 

 前置きに時間がかかってしまったが、こうして前置きを据えることは、それによって多少の遠回りをしたにしても、何か目標とするものに向かう時間の中で必要なことであると僕は思っている。サッカーの試合前に入念なウォーミングアップが必要なのと同じである。また、スペインサッカーで前半戦にボールを全員ができるだけ多く触りながらゆっくり運び、リズムをつけていくのにも似ている。

 しかし、同時に、今回は時間の重要性についても話さなければいけない。

 先を急ごう。

 このアカデミーには、僕以外にも日本人が3人いる。パリにアメリカ人、ニューヨークにイギリス人だったら、バレンシアにも日本人だ。そのうちの1人は18歳で高校を卒業してスペイン行きを決意し、もし彼がこちらでプレーすることになった場合にはもう育成という枠ではなくトップチームでの契約となる。寮では僕のルームメイトでもある。

 この日にあった試合では彼もプレーしていて、僕も彼も、試合後にはアカデミーのコーチに呼ばれて、これからどのカテゴリーの、どのチームに練習参加をするのがベストなのかについて会話が交わされた。

 ここでは、アカデミーでの練習や試合でパフォーマンス向上を図ると同時に、こうして1人1人のプレーを見た上で、相互の会話を通じてプランニングすることができる。ここで多少の時間を使っても、それだけ自分のキャリアについて慎重に考え、チーム選びをすることが大事なのだ。

 

 試合の疲れで少しでも早く寝たい気分のまま、食堂で事前に確保してもらっていた食事を適当に済ませて部屋に戻る。この時の自分にとっては、冷めきったご飯も、火照った身体と筋肉痛も、勲章であった。多かれ少なかれ、今僕はここスペインに来てサッカーができている。明日も。

 そろそろとベッドの中に身を滑らせ、週末にはどこへ出かけるか、日本で女の子は待っているのかなどと18歳の男子との会話に興じる。

 それから、18歳の日本人は、5部、4部といかにステップアップして、いずれはオランダでもプレーしてみたい、そのためには今はフィジカルもしっかり作り上げなければいけないといった話を聞かせてくれた。

 残念ながら、僕にはそれだけの時間がない。僕には僕の時間と、それに見合ったプランを進めなければいけない。

 サッカーにおいて、もしくはそれ以外の、あらゆる選択を後悔しているなどということは微塵もない。高校、大学で得たことは今の自分にとってかけがえのないものであることは間違いないし、その環境やそこで出会った人々への感謝も忘れてはいない。

 しかし、物事には選択しなかったものがあり、選択をするということは、常にその選択しなかったものを犠牲にしているというわけである。そして、どんな選択にもついて回るものは、時間である。時間は有限であるからだ。

 この時間に関する意見の相違については、スペインのサッカー雑誌、「Panenka」にも、「日本の18歳はスペインの18歳のようにお金のことを考えることはない。」という記述が見られる。自分は少なくともそのとおりであった。

 今になって気づくことばかりである。ああすれば良かった、こうすれば良かった?そういった過去は感傷に浸るものでも、悔やまれるものでもない。ただ、今できることをひたすらに推し進めることのみである。

 例えば、出国予定日にパスポートを家に忘れて飛行機のチェックインに間に合わなければ、変更にかかった手数料と24時間を失うわけである。これは、実際に僕が今回の旅の始めにしでかしたミスである。時間には余裕を!確認に過ぎることはない!

 それでも、今は今、このこぼれ落ちてしまいそうな時間の流れをしっかりと捕まえて、自分のやるべきことを自分の目でしかと見つめ直さなければいけない。


 バレンシアの街を歩くと、道は広く真っ直ぐで、木々が風に揺れ、テラスでカフェを楽しむ地元の人々に出くわすことができる。横断歩道を人が渡ろうとしているのを見れば、車は必ず止まってくれる。

 約束の時間に少し間に合わないことがあっても、次の予定に焦って目の前を横切る景色を見落とすことはない。

 試合を見に人が集まれば、勝ち負けに一喜一憂し、あーだこーだと議論を戦わせる。しかし、この人達にとってはそもそもどっちが勝つか負けるのかなんて大したことではないのかもしれない。

 できることはやったさ、そんなもんさ。と言って、喜びも悲しみも、それさえも楽しんで。

 

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