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バレンシアのバレンシア人


 もう1週間も過ぎてしまったが、5月の初めには23歳の誕生日を迎えていた。同じ日には、フランコ・バレージ、キース・ジャレット、トマス・ピンチョンが生まれていた。

 大学も卒業して社会人、サッカー選手ならばバリバリに活躍している年齢だ。リオネル・メッシがバロンドールを受賞したのはたしか22歳だった。

 今プレーしているスペイン国内でも、ラ・リーガで活躍している23歳は数え切れないほどいる。特に、ヨーロッパの市場は動きが早いので、18でここに来れば育成という枠で見られるかも知れないが、23は即戦力でなければいけない。

 とにかくいち早くクラブに馴染むことだ。それぞれのクラブでやっているサッカーも違えば、文化もまるっきり違うものなのだというのは、今でも地域ごとの国意識が強いスペインでは殊更だ。

 誕生日を迎える前の週まで練習参加をしていたクラブでは、誕生日の日には練習に差し入れの食べ物を持ってこなければいけないという風習があった。ロッカーの真ん中に並べておいて、練習の終わりにみんなで食べるのだ。

 なんだそれ、と思ってしまったが、ひとつまみで食べられる寿司を持って登場したらさぞかし喜ばれるだろうなと考えながら少し楽しみにもなっていた。結局、その週には違うクラブへの練習参加が始まってしまったが。

 今参加しているクラブでは、毎練習でスペインおなじみのロンドが行われる。時間内で最後に鬼になっていた人は、pasillo(廊下)と呼ばれる人で作った通り道をくぐり、頭を叩かれる。

 他のクラブでは、シーズンが終わると仮装をして最後の練習を行うというのも聞いた。全く意味が分からない。

 地域ごとの、更に詳細にクラブごとにも存在するこのような風習は、全く意味が分からない。実際、練習もクラブごとに独特のものが多く、スペイン語で説明されるのを理解するのに必死である。

 全く意味が分からないものばかりだが、とにかく他と同じでは困るのだ。うちのクラブは、他とは違って特別で、それをいつも応援する人たちがいる。だから、試合には負けられない。

 バレンシアはもともと、今の公用語となっているカスティーリャ語とは違う言語を持っていて、それはほとんどカタルーニャと同じ言語なのだが、カタルーニャ語と呼ばれるのは嫌がる。バレンシア語なのだ。

 僕はすっかりバレンシアのファンになってしまったので、青のバレンシアの練習着を着ているのだが、街中でそれを着て歩いていると色んなところで声をかけられる。

 いいね!バレンシアはチャンピオンズ(CL)に行くぞ!とか、俺はマドリードだバレンシアなんてクソくらえだ!といった具合だ。

 日常がサッカーに彩られている。これが文化と言えるものなのだなと思ったが、この国にとってサッカーはコミュニティのものなのだ。サッカーは帰属意識をもたらすものであり、誰もが自分の応援するクラブをもっている。

 週末のスタジアムで見られる熱狂ぐあいは、宗教観にも通じるところがあるのかもしれないが、要は誰もが何かに属し心のうちにはっきりと信条を掲げているのだ。

 練習後のシャワーを浴びながら、リキの宗教はなんだ?と聞かれて、日本のアニミズムを説明したがとても不思議そうな顔をされた。

 頭では分かっていても、これは大変難しいことなのだ。何かに依存することなく、個人で自立しているというのは。

 バレンシアのビーチで美しい女神に手を引かれ、ついていくのもその手を振り払うのも、どっちでもいい。だが、問題はその判断が、自分の中で何を信じているかによって善し悪しが変わるということだ。

 23年間で積み重ねてきた僕の信条は、少なくとも雲の上の大きな存在とか、ある特定のサッカークラブに根ざしていたわけではない。

 だから、バレンシア人には理解できないだろうが、僕はある日は女神についていくだろうし、ある日は見向きもしない。

 1つだけ手を挙げて宣誓するとすれば、そんなことには縛られたくないということだ。

 そして、ある日の闘牛士のように、僕もたった1日、今日だけのこの時間に命を賭して踊りをやめない。


Que guay! : カッコいい!




クラファンで応援してくださいとかは柄に合わないので、本作って売ってます。もしよければ、結構面白いので読んでください。作品は父によるものです。


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スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!