起こったことのすべて
夕食の後で海沿いを散歩しようということになった。
同部屋のビクトルと、それから隣の部屋の2人を誘って、そうしているうちにホテルのロビーを出てみると、結局全員がそこに集まった。
こっちとくっついたり、あっちとくっついたりしてお喋りに興じ、お揃いのジャージの一団がぞろぞろと歩いた。ホテルの前はすぐビーチで、そこに沿って舗道がずーっと向こうの方まで伸びていた。さすがに日も落ちて海は真っ暗闇で、そちらから風も吹き込んできた。
ベンチに座っていた老人が、パストールに話しかけた。
「君たちは何者だい?」
「僕たちですか?僕たちは誰でもないですよ(Somos nadie.)」
そういうことじゃないだろ!と周りが茶化して笑いが起きた。パストールはそのまましばらくその老人と話し込んで、オレたちはそれには構うことなく先に進んでいった。2人の話し声が遠ざかり、波の音が聞こえた。
いよいよ本番の当日になった。
昨年のリーグ優勝という結果から予選出場資格を得て、ようやく最終予選まで駒を進めてきた。Buñolはバレンシア州代表として、カナリアの代表、CD Guiaと対戦することになった。抽選の結果により、オレたちはカナリアの中のラス・パルマスにある彼らのホームスタジアムまでやってきたのだ。
直前の週末に仕事を回してスケジュールを空けたり、特別休暇の手続きをしたりして、みんなこの遠征に備えた。中にはこの3日の不在により、職を失った者もいた。「後悔は1つもないさ」とジョアオは言った。
全員が遠征を心より楽しんでいて、雰囲気は最高に良かったが、緊張は当然隠せなかった。ビクトルは予定より1時間も早く朝食に出かけちゃうし、フィジカルトレーナーのアマドールは午前中のビーチでのセッションで張り切りが空回りして背中を痛めた。
だが、何も心配はなかった。誰もが自分の役割をきちんとわきまえていて、実際その通りにみんなが働いたので、いざ試合が始まってみるとチームは完全に1つになっていた。
相手はカテゴリーが1つ上であることもあって、個の実力があり、戦術も長けていた。試合は思った以上に苦戦した。
しかし、ここぞというところでは常にBuñolの選手が身体を張り、徐々に流れを引き寄せていった。そして、その末に待望の1点を勝ち取る。肝心のゴールシーンは、小便に行っていて見逃してしまった。どうやら同い年のアルベルが決めたみたいだった。急いで盛り上がりの輪の中に飛び込み、混じった。
その後も総力戦となって、最後まで全員が走り続けた。オレは後半の途中に、足をつったホナスと交代した。得点を挙げたアルベルも怪我で退場した。とにかくできることは何でもやった。ほとんど考えるよりも先に身体だけが動いて、ミスをどうこう考えたり、もっと上手いことしてやろうなどとは微塵も頭に浮かばなかった。
遂に、そのまま1−0で試合が終了した。誰が見ても納得のいくほど両者奮闘の末、ウノセロでの勝利だった。相手チームの選手は悔しさの涙を目に貯めつつも、顔を伏すことはなくこちらへ向かってきて、固い握手で別れていった。オレもそれに応えた。
あとはお決まりの写真撮影に、歓喜の歌声。
写真を撮る時には、コパ・デル・レイ出場の看板が用意されていた。そこには、「私たちはコパ・デル・レイ(Somos Copa del Rey)」と書かれていた。
シャワーも浴びずにホテルへと戻り、急いで着替えを済ました後で、ホテル下のバルへと各々集まった。そこも1時には閉まってしまったので、ビーチ横の高台の方に移動した。コロナで夜間の外出制限がされている中、幸いにもカナリアだけは全くその制限がかかっていなかった。
高台の端っこまで来ると、すぐ下の岩に波がしぶきを上げてぶつかり、明かりは全く無かったが、ちょうどそちらに月があったおかげでその先の海までよく見渡せた。オレたちのために用意された場所に思えた。
タバコから酒から、どこからか誰かが持ち寄ったものが回されて、みんなで食らってまた回した。
「あなたがたは何者ですか?」
とオレが言うと、
「何者でもないさ」
とパストールが言った。
「リキ、オレたちは何者でもないさ」
彼もまたオレと同い年だった。1月にはアメリカへの留学が決まっていた。シーズンはまだ始まったばかりだった。これでコパ・デル・レイの本戦は、1回戦が12月の16日に決まっていて、これからやることも山積みだった。
みんなかなり酔いを回していたが、何が何だか分からなってもオレたちは楽しんだ。すでに朝の方が近かった。
今度はアルベルが大瓶のビール瓶を持ってやってきた。
「どうだよ?」
「お前のおかげで最高だよ!」
オレがそう答えると、アルベルは嬉しそうな顔をしてビールとタバコを一本寄こした。
「幸せかよ?」
自分の好きなサッカーを続けていられて、同じ志の仲間がいて、後ろで応援の声が聞こえてくる。苦労も背負い込んだままいっぱい挫折して、たまにはこうして報われることもある。幸せの他に何があるだろうか?
「オレの家族はな、毎試合観に来るんだ。どんなに遠い場所でもな」
当然、今回の試合にも彼の両親は足を運んでいる様子だった。
「それからな、リキのファンなんだよ。お前が試合に出ると、必ず名前を叫んでる。いつも話してんだ。分かるか?お前はいつも幸せそうだ。だからオレたちはみんなお前が好きなんだよ。去年よりもかなりたくさん単語も覚えたよな。いっぱい話しができるのも嬉しいんだよ。これからは試合にもいっぱい出るだろう。ここに来てプレーする決断がお前にとってどれだけ大変なことだったかはオレの想像できる範囲じゃないけど、とにかくありがとうってことだ」
それから今度は、オレが日本にいた時のことや、小さい時からスペインでサッカーをすることを考えていたことなどを話した。彼は頷いてそれを聞き、写真を1枚撮った。
次の日はほとんどが二日酔いでぐったりしていた。
帰りは飛行機でマドリードまで行き、そこからバスで帰ることになっていた。道中はほとんど睡眠に当てた。マドリードからバレンシアまでの道中では、6月にこちらに帰ってきた時に見たような景色を何度か見ることがあった。その頃もまた大変だったななどと思いだそうとしたが、またすぐに眠りについてしまった。
次に目を覚ました時には、すっかり夜だった。外を見てもどこにいるか分からなかったが、どうやら全員でBuñolの町に向かうことになったようだ。町の人たちが迎えたいから凱旋してくれということだった。
いよいよBuñolに着くと、警察車両がまずは迎えた。そのままバスは誘導され、気がつくと周りに車が増え、それが全部オレたちを迎えているのだと分かった。ハザードランプを焚き、クラクションを鳴らして進んでいった。町中がすっかり渋滞になり、ゆっくりゆっくりとCampo(スタジアム)の方へと向かった。
途中、道沿いのカフェやバルに座る人たちも立ち上がって手を振った。通行人は足を止め、オレたちは歌を歌ったり、拍手したり、手を振ってそれに応えた。「オレはBuñolの人(Yo soy de Buñol)♪」という応援歌が繰り返し歌われた。アパートの上の方からも声が被さった。
その夜は結局、町中全部を回って、凱旋はしばらくの間続けられた。
とにかく大勢の人に迎えられた。中世の頃から、戦に勝利した後で帰還する男たちはこうして迎えられていたのだろうと思い起こされた。
彼らは、Hincha(インチャ)と呼ばれる。ファンだとかサポーターとかそういうレベルではなく、本当に自分の人生をそのクラブと共にする者たちだ。
例えば、Utilero(用具係)のペドロはBuñol出身で、Campoのすぐ前で駄菓子屋を経営している。右足のふくらはぎには、クラブのロゴのタトゥーが入っている。今度は、月曜に行われる抽選で対戦相手が決まった後で、対戦相手と試合の日時を腕に彫るのだと言っていた。
Ayuntamiento(市庁舎)の前のロータリーを、ペドロがバスの前に立って誘導する。
選手たちからは歓声と笑いが上がる。
車の赤いランプが彼を照らし、そこにトレードマークのヒゲが浮かぶ。
オレは全てに意識を向けて、目に焼き付けた。
今、自分の目の前で何が起こっているのか、これから何が起ころうとしているのか。
知らない単語をその場で引くみたいにした。
何もかもが自分の知らない初めての出来事なのだと思った。
Instagram:@Footballbehindchannel
スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!