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吃音を活字にするって酷だな 【読書#04】椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』


次男(中3)の通う中学校で、今年度(2024年度)から読書タイムなるものが設けられた。
次男は読書の習慣がなかったので、司書&司書教諭の資格をもつ、元司書のわたし(母)が、次男の読書タイム用の本を選書して用意している。

これまで、4冊の本を次男に手渡した。


次男に本を渡す前に、まずわたしが本を読む。

椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』も、最初は次男に渡すつもりで購入したが、実際に読んでみて、これは渡せない…と、ある意味、お蔵入りになった本である。


『僕は上手にしゃべれない』は、吃音症で悩む中学生が主人公だ。筆者もまた吃音症を抱えている。


この本を選んだ理由は、わたしの次男もまた吃音症を抱えているからだ。


次男の吃りに気づいたのは、5歳のころだった。「ぼく」が言えず、「ぼ、ぼく」「ぼ、ぼ、ぼく」になった。3ヶ月くらいすると「ぼく」に戻ったので、一過性のものだろうと思ったが、数ヶ月経つとまた「ぼ、ぼく」になった。それが一年ほど続いて、次男はおそらく吃音症なのだろうとわたしは思った。

専門家に相談しようかな…と何度ともなく悩んだものの、専門家に相談しなかった。

すでに発達障害のある子ども(長男)を育てていたので、わたしと夫は、わりとすんなり次男の吃音症を受け入れることができたように思う。
専門家に相談しなかったのは、次男本人が気づいてしまうことで吃音症が悪化する可能性があったこともあるが、次男の吃音が軽度で、親としてさほど気にならなかったということもある。
できることは、見守ること。次男に吃りを指摘したり、言い直しをさせたりしないようにした。

とはいえ本人はつらいことも多かったと思う。
小学生になって、毎日出される音読の宿題が、不調のときは苦痛そうだった。小4になると音読でつっかえるたびに、次男は胸を拳でドン、ドンと叩くようになった。

「うまく話せない」と、本人が自覚したのも、たぶんその頃だったと思う。
幸い、周りから指摘されたり、からかわれることはなかった。ただ、次男本人は気にしていたし、悩んでいて、つらそうだった。

中学生になって、本人から「英語の授業で、みんなの前で英語で受け答えするミニテストがあるが、うまく答えられなくて困っている」と相談された。
そのとき、はじめて次男に、たぶんあなたは吃音症なのだと告げた。自分の困りごとに、名前がついていること、そして自分以外にも同じように困って悩んでいる人がいることを、次男は知ることになった。

わたしは次男に、吃音症とは付き合っていかなければならない、うまく言葉が出なくて困ったら、自分で吃音症であることを話し、相手に理解してもらって生きていくように…みたいなことを話したように記憶している。

それから2年…。
放送委員になったり、YouTubeで配信を始めたり、吃音症であることと向き合わざるを得ない場面もある次男。

相変わらず見守ることしかできないわたしが、最近出会った本が『僕は上手にしゃべれない』だ。

吃音に悩んでいる人が、この人にだけは吃音を理解してほしいと思ったとき、説明に費やす多くの言葉の代わりに、この物語がなれたらという思いで書きました。

ポプラ社webサイトより


うまくしゃべれないことを気にして、悩んでいる次男の力になってくれるかな…と思って、この本を買ったのだが、わたしは読んですぐにショックを受けた。

「……ほ、ほほ、方法なんてないんだよ。なな、なな治す方法なんてない……なな、ないんだ。は、ほほほぼ僕だってな、な、ななな、な、治せるものならなお……な、な……治療したいよ。こ、ここ、ここ、これ、こ、これを治療するためなら、ど、どどどんなことだってするし、できる。で、でで、でもむむ、む……むむむむ無理なんだ」

『僕は上手にしゃべれない』より



吃音を活字にするって残酷だな、と強く感じた。


次男の吃音は、本の主人公と同じ傾向だが、ここまで言葉が出づらくはない。
吃音症といっても、人それぞれ症状は異なるし、次男が悩んでいるとしても、主人公の悩み方とは、ちょっと違う気がした。

この本の主人公は、ネガティヴすぎる。
読んでいて苦しさを感じるほどだった。
でも、吃音症のある人がみな、ネガティヴになるわけではない。
少なくとも、次男は次男なりに吃音症とうまく付き合っていけるよう、前向きに向き合っている。

吃音症の苦しいことばかりが全面に出ていて、治すことができないからこその向き合い方を、もう少し丁寧に書いてくれていたら…と思った。



本を最後まで読んで、この本を次男に読ませたくはないな…と思った。
いつか、次男本人がこの本に出会うことがあって、手にとって読むのはいいかもしれない。
でも、親から吃音症のある次男に手渡す本ではなかった。


吃音や、吃音症について、あまりよく知らない人には、吃音症の実態がよく描かれているので、読んでみるのはいいと思う。
ただ吃音症がある人、またその家族の人は、ショックを受ける可能性があると思うので、気をつけて読んでほしい。



子どもに本をすすめるには、やはり試読は必要だなと思う、貴重な体験だった。
読み方、感じ方は人それぞれだから、どんなふうに読むかは個人の自由だ。
でも、誰に、何をすすめられたか…ということには、すすめた本人が無意識であっても、意味が介在してしまう。

おそらく、わたしが『僕は上手にしゃべれない』を次男にすすめたら、次男は戸惑うだろう。

人に本をすすめるって、実はすごく難しい。



2024.7.9

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