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連続パンク小説『ババアイズノットデッド』 第五話





この世の全てのおばあちゃんと全てのおばあちゃん子に、そして最愛の祖母・笑子に心からの心を込めて本作を捧げる。




第五話 味方

 あれから一週間。ウメとヒナタはこれまで以上に猛練習をかさねていた。毎日欠かさずスタジオに入り、ストイックに音楽に向き合った。そのまま朝を迎えることもしばしばあった。ある日の休憩時間、ヒナタは防音壁にもたれながらミネラルウォーターを飲むと、ベースアンプのうえにかかっているホワイトボードを疲れた顔でぼんやり眺めた。

 “孫と私 初ライヴに向けて”

 と題字されたソレには、その日その日の練習内容や演奏上の留意点などが書き込まれていた。左隅にはウメが“SHAUTO TO THE TOP”と書き付けていた。熱い気持ちは伝わるがスペルを間違えている。

“孫と私”か……」

 ヒナタがミネラルウォーターのペットボトルを持ったまま溜息混じりにつぶやくと、スティック回しの練習に興じていたウメが答えた。

「我ながらええバンド名だわい」
「どこが。どう見てもイロモノじゃん、こんなの」
「好評だったしいいべさ。バラはどんな名前で呼んでもいい香りがするものよ」
「……ま、バンド名のことはもう、いいけどさ……なんであのとき、ライヴするとか言ったワケ?」
「その話ももう何回もしたべしゃ。何でも、どんなことだって、今やらなきゃ、すぐやらなきゃ。いま面白いこと、いま興味があること、いま大切なこと、いまが全てなんよ。人生の残り時間はどんどん少なくなってく一方だ。だったら一秒でも多く楽しまなくっちゃ」
「……なんか、もうすぐ死ぬ人みたいなこと言うじゃん」
「だいじょうぶ、車が空を飛ぶまでは死なねえやい。それによ、いいところを見せるチャンスじゃないけ」

 ウメが顎を撫でながらニヤリと笑うと、ヒナタは途端に眉を吊り上げて怖い顔をした。

「は? なにが」
「とぼけなさんなって。ヒイちゃんがこの世でいちばんかわいくてすごいってことを、バシーっとジローさんにアピールせにゃ」
「っば、バカじゃないの? だからジローさんはそういうんじゃないって言ってんじゃん!」
「そういやあ、ジローさんが“ヒナタちゃんはいい子ですよね”って言っとったぞ」
「え……な、なに、いつ、どこで?」
「昨日、LINEで」
「LINEで!? ていうかおばあちゃん、LINEやってたの!?」
「カカオトークはチェンソーマンのスタンプがないからねえ……」
「なんでおばあちゃんがジローさんとLINE交換してんの、あ、アタシだって知らないのに……」
「こないだギグを観にいったときに交換したのよ。いろいろキカクの詳細も知らんと困るだろ」
「まぁ、それは、そうだけど……」

 確かにもっともな話だった。ヒナタはミネラルウォーターのペットボトルを置くと、上目遣いにウメにこわごわ尋ねた。

「……ね、ねえ。ジローさんとは、どんなこと話すの?」
「んー、話すっていうか、だいたい自撮り送ることが多いな」
「自撮り送ってんの!?」
「ああ、寝る前とかに」
「寝る前に自撮り送んの!? もう彼女じゃんそのテンション!」
「最近ジェラピケも買ったしな」
彼女じゃん! 完全に彼女ノリじゃん!」
「あとは、そうね、ヒイちゃんの話だなァ」

 それを聞くや否や、ヒナタは口元に薄い笑みを滲ませたが、それを悟られまいと平然とした口調を装った。

「ふーん……そ、そう。へ、変なこととか、言ったりしてない?」
「言わん言わん。だいたいヒイちゃんの子供の頃の写真とか送っとる」
やめてよ!

 ヒナタは思わず立ち上がると声を張りあげた。ウメはスティックで背中を掻きながらキョトンとした顔を浮かべた。

「ダメだったかい?」
「ダメに決まってんじゃん! どっ、どんな写真送ったの!?」
「んー、七五三のときの写真とかなあ。あれはほんとに可愛い。あと鼻の穴にピーナッツ詰めて取れなくなって泣いてるときの写真とかかねえ」
「〜〜〜ッ、さいあくさいあく最悪っ!! いい、もう絶対にアタシの写真は送んないで!!」
「でも、ジローさんはいっつも“かわいい”って言ってくれるぞ」
「ゃ……そ、そんな……お、お世辞に決まってんじゃん、ばかじゃないの……」
「なんだ、ジローさんとLINEやりたいんか?」
「……まぁ、その……ちょっと興味は、ある、けど……」
「いつの時代も、好きな人と他愛ないおしゃべりすんのは嬉しいもんだ」
「だからそーゆーんじゃないって! アタシはっ、単にっ、おすすめのバンドとかっ、音作りの仕方とかっ、そーゆーのを教えて欲しいだけっ!」
「ほんなら聞きゃあいいじゃないか、LINE」

 あっけらかんと言い放つウメに、ヒナタはうぐ。と呻いたあと、両手の指をもじもじ絡めながらうつむいた。

「や、でも……っ、め、メーワクかも、しれないし……」
「自信持ちなさいな。うぬぼれるぐらいがちょうどいいってもんよ。自信があるから人に優しくできる。だってもしヒイちゃんがよ、ジローさんにLINE聞かれたら嬉しいだろ」
「…………うれしい」
「だろ、じゃあ同じことよ。自分がされて嬉しいことは、相手にとっても嬉しいことだって図太く思い込まにゃ。わたしも最近気づいたんだけんど、謙遜っちゅうのは、すればするほど人生が削れてゆくもんよ」
「……ふん」

 腕組みをしてそっぽを向くヒナタに、ウメは人差し指を振りながら釘をさすようにいった。

遠慮は、なんもかんも全部を遠ざける。遠慮と配慮を履き違えちゃいかん

 それからしばらくヒナタはだまっていたが、やがてギターアンプの上に置いていたスマホを取るとウメに尋ねた。

「……いま、ケータイ持ってる?」
「あるが」

 ウメがダメージジーンズのポケットからスマホを取り出すと、ヒナタは両手でじぶんのスマホを持ったまま、小さな声でぼそりといった。

「教えてよ……LINE」
「おう、もちのロンよ」
「……考えてみたらアタシ、おばあちゃんの電話番号も知らなかったんだね。おばあちゃんはずっとケータイ持ってたのにさ……ひどいね」

 顔を曇らせるヒナタに、ウメはぶんぶん首を振った。

「ひどくないべさ、今までそれでなんも問題なかったんだから。けんど今は必要ってことだろ。おばあちゃんにとってな、孫に必要とされるほど、嬉しいことはないんよ」
「……そか」
「いつでもかけてきておくれ。ピンチのときには必ずマッハで駆けつけるから。味方だからね」
味方て」

 仲間じゃなくて、味方。という言い方はちょっとおかしいと思ったけれど、それでもヒナタはそのおかしさが快かった。なんだか、あったかい言葉だと思った。



             ※  ※  ※


 

 この日は、陽が暮れるころに家路へついた。帰宅するなりウメはそそくさと部屋に閉じこもった。このところはスタジオ練習を終えて帰ってくると、ウメはすぐさま部屋にこもるようになっていた。相変わらず普段はエネルギッシュそのもので、七十代とは思えない運動能力とバイタリティを発揮しまくってはいたけれど、やっぱり疲れるんだろうな、とヒナタは思っていた。そして過度に心配したり気遣ったりするのもよそうと決めていた。そんなことをすればかえって逆に無理をするかもしれないし、あれだけ自己主張の激しい性格になったんだから、もし本当に調子が悪ければ自分でいってくるだろうと、ヒナタはそう考えていたのである。

 機材を置き、部屋着に着替えてリビングへ降りると、両親——ミチハルとビワコが並び立ち、いつになく真剣な顔でこちらを見ていた。

「ヒナタ、ちょっと話があるんだけど、いい?」
 
 そう尋ねながらもしかし、ビワコの語調は有無を言わせない圧があった。ヒナタは肩をすくめると、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。

「……なに。忙しいんだけど」
「すぐ、終わるから」

 リビングのテーブルにて、ヒナタは両親と向かい合いに座っていた。父のミチハルは腕組みをしたまま黙ってうつむいていたし、母のビワコは組んだ両手を卓の上に置き、切なそうな訴えるような目でこちらをじっと見つめていた。なんとも居心地の悪い、張り詰めた空気が充満していた。ヒナタはオレンジジュースをグラスに注いで飲むと、“あーあ、早く部屋に戻りたいな”と思った。やがてビワコは、遠慮がちにこう切り出した。

「……最近、ずいぶん、外出してるわねえ」
「……まぁ、天気いいし。体、動かしたいし」
「それも、ひとりじゃなくて、おばあちゃんとよく出かけてるでしょう」
「……まぁ。色々、買ってくれたりするし……最近のおばあちゃん、なんか、面白いし」
「そう。たまに夜中も二人でどこか行ってるでしょう」

 ぎくり。
 痛いところを突かれたと思いながらも、ヒナタはオレンジジュースを一口飲むと、平静を装って答えた。

「……アタシもおばあちゃんもけっこー夜型だし、一緒にコンビニ行ったりとかはあるけど」
「嘘はやめて。明け方にこっそり二人で帰ってきたりしてるでしょう。そんなに長くコンビニにいるの?」
「……それは……」
「ねえ、最近、おばあちゃんと二人で何してるの?」
「別に、いいじゃん」
「よくない。心配だから聞いてるの」
「心配してたらなに聞いてもいいの? とにかく別に、変なことしてないから」
「教えてちょうだい、お願い」
「何でもいいでしょ、お母さんにはカンケーないじゃん!」
「カンケーあるでしょすごく!!!!」

 憂いと怒りをかき混ぜたような声でビワコは怒鳴った。その目は涙でかすかに潤んでいた。母親の涙を見るのは久しぶりだった。やりきれない気持ちがこみ上げてきたヒナタは、オレンジジュースの入ったグラスをぎゅっと握りしめた。

「……あなたとおばあちゃんが何をしてるのか、なんとなく予想はついてる。でも、あなたの口から話して欲しい。わたしは、あなたの話が聞きたいの」

 ビワコの目は涙で潤んではいたが、その瞳は力強く、放たれる視線はまるでこちらを射抜くようだった。観念したヒナタは小さく息を吐くと、これまでのことを全部しゃべった。

 公園で同級生にからかわれているときにおばあちゃんが助けてくれたこと。

 おばあちゃんにバンドをやろうと言われたこと。

 そして今は、初ライヴに向けて必死に練習していること。

 言葉がうまく出てこなかったり、思うように伝えられないところもあったけれど、それでもヒナタは一生懸命はなしたし、ビワコは何度もうなずきながらも黙ったまま聞いてくれた。やがてヒナタが話し終えると、ビワコは背もたれに身体を預け、天井を見上げながら、そうだったの。とつぶやいた。

「……変わったわよね」
「……ん。おばあちゃんは、ほんと、別人みたいになったと思う」
「おばあちゃんだけじゃないわ」そしてビワコはまっすぐヒナタの目を見つめていった。「あなたも変わった」
「それは……自分では、わかんないけど……変えてくれたんだと思う、おばあちゃんが」
「おばあちゃんには感謝しなくちゃ。それに……いっぱい、謝らなくちゃ」

 母親の言葉に、ヒナタは胸がどきんとした。いつもウメに冷たくあたっていた母親がそんなことを言うなんてまったく想像もしていなかったからだ。ヒナタが沈黙していると、ビワコはおずおずと、言葉を選びながらしゃべり出した。

「……あなたが学校へ行かなくなったとき、いろんなことが同時に起きた。お父さんがお仕事をクビになったり、信頼してたお友達に騙されてお金をとられたり。町内会では陰口をいわれるようになったり、いろんな……いろんなことが、突然、一気に、うまくいかなくなったって、思った。わたしはそういうイライラを、全部、お義母さんやあなたにぶつけてた。いけないって思いながらも、やめられなかった。そのうち、怒ってない自分が思い出せなくなった。普通のしゃべり方も、わからなくなった。ずっと、わたし……どうか、してた……」

 そしてビワコは涙をポロポロ流しながら頭を下げた。

「……あなたにはひどい態度をたくさん取った。本当にごめんなさい」
「……今更、何さ」
「わかってる、でも、それでもいま言わなきゃいけないって、そう思ったの」

 そういって身を縮こまらせ、涙を流し続ける母は、たった数ヶ月まえの母とは別人だった。金切り声を上げ、ひどい罵倒を繰り返していたあのおそろしい母親と同一人物だなんて、とても信じられなかった。ヒナタの胸の中で、いろいろな言葉や感情が胸の中でぐるぐるした。いくつかの絶対に許せなかった瞬間が脳裏でまたたいた。それでも、とヒナタは思った。それでも、自分は母親を許すべきだと思った。自分だってウメに冷たく当たったりした。それと同じことじゃないか。ここで母親をやり込めたところで、きっとモヤモヤが取れることはない。人は変われる。コードが転調するように。転調には合わせるべきだ。それでこそグルーヴは生まれる。

「……ショック療法って効くんだね。おばあちゃんに蹴っ飛ばされてよかったじゃん。ちゃんとおばあちゃんにも謝りなよ」

 ヒナタは精一杯の憎まれ口を叩きながらもテーブルから立ち上がった。

「別に……いいよ。お母さんを許すワケじゃない。こんなことで人を許せなくなる自分は、許せないから」

 ビワコははっとした顔になるとテーブルにうずくまり、それから静かに泣き始めた。ヒナタが部屋へ戻ろうとすると、今まで一言も口を利かなかった父親が初めて口を開いた。

「待て」
「……なに?」
「……学校へは、今後も行かないつもりかい?」
「……わかんない。とりあえず、いまはそれどころじゃない。悪いけど」
「ミュージシャンを目指すのか?」
「……いまは、音楽しかしたくない。それしかやりたいことが、見つからない」
「ヒトと違う生き方っていうのは、なかなかラクじゃないぞ」
「わかってる。でも仕方ない。楽な生き方がしたいんじゃなくて、楽しい生き方がしたいから」
「そうか……」

 ミチハルは絞り出すような声でそういうと、テーブルの下に潜り込んだ。何事かと思っていると、ミチハルはギターケースを取り出し、テーブルの上に置いた。

「それなら、お前にこれを贈ろう」
「これって……」
「父さんが若いころ、使ってたギターだ」
「お父さん、バンドやってたの?」
「ああ……父さんは早々にあきらめたけどな、そこまで音楽が好きなら納得行くまでやりきってみろ」
「……まあ、くれるモンなら、もらうけど」
「なかなかいい音がするぞ。一応、ちゃんとした有名メーカーのものだからな」

 ヒナタはテーブルの上のギターケースを開いた。それは、マホガニー製のボディにローズウッドの指板が美しい黒のSGだった。ところどころ塗装が剥げており、それがまた重厚な年輪を感じさせた。ミチハルは少し照れ臭そうに笑いながら尋ねた。

「どうだ?」
「うん……かっこいい。すごくかっこいい、けど……」
「けど、なんだ」
「これ、TOYOTAって書いてあるんだけど」

 ヒナタが指差したヘッドの部分には、黒地に銀抜きで『TOYOTA』のロゴが燦然と光り輝いていた。

ああ、日本が世界に誇る有名メーカーじゃないか
「いや、よく知らないけどTOYOTAって絶対ギター作ってなくない? 絶対偽物だよ、これ」
「何をバカなことを。本物に決まってるだろ、23万したんだぞ」
「いや、絶対騙されてるって。絶対。もう手遅れだけど」
「YAMAHAだってバイクとか作ってるだろ、TOYOTAもギターぐらい作ってるに決まってるだろう」
「いや、だから……」

 そこでヒナタは諦めたように首を振ると、ギターケースを閉じた。これ以上押し問答を続けたところでどうしようもないし、父親が未だ幻想の中にあるなら真実を伝えないのもまた優しさであると思ったからだ。

「……まぁ、とにかく、もらっとく。ありがと」
「品質は本当に素晴らしいからな。さすがTOYOTAが作っただけのことはある」
「はいはい」

 ヒナタはギターケースを抱えると、踵を返し、階段を登りはじめた。いろんな感情がないまぜになって、自分が楽しいのか、悲しいのかすらよくわからなかったけれど、ヒナタはすこしだけ笑った。

「……変な日。なに、TOYOTAって」

 少なくとも、きょうのこの一連の流れは、“ウケる”という言葉に値すると思った。ヒナタは薄く笑いながら階段をのぼり続けた。



 ……いっぽうその頃、二階の自室でウメは布団にうずくまり、胸を抑え、脂汗をぼたぼた流しながら歯を食いしばっていた。

「ぐむむ……っ、ぐう……っ……いて、いて、いてえよう……」

 身体を内側から引き裂くような激しい痛みを、ウメは必死に堪えていた。声を上げないように。気を失ったりしないように。間違っても、家族にこのことがバレないように。遠のく意識の中で、ウメは祈った。ただ、痛切に祈った。



 ——神様、頼んます。もう少しだけでいいです、時間を、ください。





♪Sound Track : A Week Away/ Spearmint 



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