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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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2021年11月の記事一覧

ボタニカル哲学(45)よそ見をせず、名誉を求めず

学問の道を志す者は、精神を散らさないで気力を一点に集中しなければならない。もし仮に道徳的…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(44)大所高所から世の中を見る

社会で出世しようとするなら、他人より一歩だけ高いところに立っていないと、あたかも埃の中で…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(43)静寂の中にこそ見える人生の真実

風も波も静かな状態で、人生を見ることが出来、淡白な味を味わい、静かな声を聞くような、耳・…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(42)仁義の力はなにものにも勝る

彼が財力で来るなら、自分は仁の徳をもって対抗し、彼が名誉で来るなら自分は正義で対抗する。…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(41)君子の平生は濃淡適正に

心が細やかな人は、自分にも他人にも、全てに対して細やかだ。これに対し心が大雑把な人は、自…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(40)欲望に流されず、道理を守って

欲望に絡んだことは、それがいくら楽しくても、染まってはならない。もし一度でも染まってしま…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(39)子弟教育の要訣

若者を教育する時は、ちょうど箱入り娘を養育するのと同じである。人の出入りを厳しく監督し、付き合う相手にも注意しなければならない。もし、一度でも素行の悪い者に近づけば、綺麗な田畑に不浄な種を撒くようなもので、以後は一生、良い苗を植えることが出来なくなるように若者も善に導くことはできなくなる。 つまり、若者を教育する際には、時、場所、人を観て厳格に行うことが大切ということ。 言い換えれば、自身が口先だけでなく、模範を示している必要がある。

ボタニカル哲学(38)心中の魔こそ真の敵

魔性のものを降伏させようとするなら、まず自分の心にある魔性を降伏させなければならない。煩…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(37)質朴にして淡白な生き方

人間の生き方としては、素朴で素直な態度を守り、頭に依存することなく、自然体の元気で生き、…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(36)小人を憎まず、君子といえども媚びず

未熟者にその短所や欠点を責めることは簡単だが、その欠点を包容して憎まないようにするのは難…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(35)人生の難事には譲る心で対処する

人情は手のひらを反すように時々刻々と変り易く、人生の行路は本当に険しい。そこで、抜き差し…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(34)慢心が道をさえぎる

利益を求める気持ちは必ずしも善なる心を損なうわけではないが、自分なりの思い込みが善を蝕む…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(33)富貴も捨て、仁義にもとらわれない心

功績を立て名声を得、成功しよう、金持ちになろうとする心を捨て切ることが出来れば、凡人の境…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(32)一歩退いて世の真実の姿を観る

低い地位に居るからこそ、高い地位に上るのだろうが、危険をわきまえておくこと。 人目につかない暗いところに居るからこそ、明るいところに出るだろうが、でしゃばりをわきまえておくこと。 世間から退いて静けさを守っていたからこそ、動きたくなるだろうが、働き過ぎをわきまえておくこと。 世間に対して言葉少ないを守っていたからこそ、多弁の騒がしさをわきまえておくこと。 つまり、君子は、対極に在る時に学び、対極に行きて活かすという戒めを忘れてはならない。 言い換えれば、欲望に任せた過剰反