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笑い声

オットがスマホを片手に声を出して笑っている。わっはっは、あはははは。なんだろうかと思ったら、ずいぶん昔の吉本新喜劇を見ていた。んふっふっふ、ふはははは、ぶわははは、ひひひひ、ふっふっふっふ。止まらない。

どうやら昨晩、youtubeをだらだら見ていたオットが、花紀京の追悼番組を見つけて、それをきっかけに吉本新喜劇のアーカイブスにたどり着いたらしい。オットとムスメが話しているのを聞いた。「俺が小学生の頃はな、土曜日に半ドンで家に帰って、インスタントラーメンを食べたらちょうど、吉本新喜劇が始まる時間だった。毎週楽しみだった」

今日は土曜日。さっき起きてきて、自分でインスタントラーメンを作ってズルズルと食べ、youtubeを見始めた。「ああ、この頃に、本物を見たかったなー。面白かったろうなあ」と言いながら、次々に動画をチェックしている。

ここ数年、オットの笑い声を久しく聞いていなかった。いつも無表情か、怒っていた。笑ったとしても、口の端っこをちょっと持ち上げるくらい。機嫌が良くても、声をあげて笑ったところを見ていない。もちろん、家の外で笑うことはあったかもしれないが、わたしの前で笑うときは鼻で「ふん」と何かを見捨てるような笑い方だった。それが今日は、目尻に笑い皺を作って、口を開けて笑っている。小学生のオットを見たことはないが、こんな顔で笑っていたんだろう。

オットが楽しそうにしていると、わたしの心がこんなに楽なのかと驚いた。この数年、オットには辛いことが続いた。オットのせいではない。父をはじめ親しい人たちの死や、会社が大きく体制を変えたことや、社会情勢がどんどん悪化していることも含めて、安心できる日が少なくなってきたのだと思う。そこにきて、このコロナ禍の影響で、またしてもオットにはストレスが上乗せされた。たぶんオットにはプライドがあって、意地があって、守るものがいて、全部自分で背負って、ガチガチに固まっていたのだ。

動画が終わったらしい。「あ〜、面白かった!」と言って、またいつものように無表情で黙っている。吉本新喜劇がこれからも特効薬になるかはわからないが、今日の笑顔が見られたことをわたしは喜ぼう。



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